09「いざ、出勤!」
ノエルの初出勤となる日。昼間の勤務で遅出となるシャノンに見送られ、彼は騎兵署へとやってきた。建物の中でも分厚いフードを被る姿はよく目立ち、すれ違う職員の皆が足を止めて彼を振り返る。人事課を訪ねて挨拶のためフードを下ろせば、氏名を確認するまでもなくノエルは本人として認められた。
面接などで顔を知っている者以外にも、「頭から爪の先まで真っ白」という外見はきちんと伝わっている。周知はノエルが望んだことで、それは多くの初対面となる職員への配慮であった。何の前情報もなしに特異な見かけの新人を受け入れるのは難しいだろう。ノエルとしても目を丸くされたりジロジロと観察されるくらいならまだしも、眉をひそめられたのでは気持ちよく働くことはできないと思っていた。
白亜種についてはニーナもわざわざ「調べた」と言っていたし、ノエルの身体的特徴は広く知られるものではない。博識のイライアスでさえ家庭教師を頼んだ十数年前、初回の面談では顔をひきつらせていたのだから。
窓口で話を聞いていると、人事課をまとめる壮年の男がノエルの顔を見に来た。
「やあやあ、ノエルくん。時間きっかり、よく来てくれたね」
「本日からよろしくお願いいたします」
頭を深々と下げると、フードが頭部を覆い隠した。ノエルは顔を上げた拍子にそれを再び取ろうとしたところ、課長が手を上げて動作を制した。
「被っていてくれて構わないよ」
「ですが、失礼に当たるのでは……?」
「白亜種について勉強したんだ。私たちにとっては何でもなくとも、キミにとって日差しを浴びることは熱湯を被るのと同じようなものなのだろう?」
「ええ。火傷のようになってしまいます」
「目にもあまりよくないと聞いた。ノエルくんは魔法の補助で視力は確保できていると言っていたが、体質的に得意でないものは避けた方がいい」
「ご配慮ありがとうございます」
「何てことないさ。服装についても皆に伝えてある。気後れすることなく、職務中の制服として身につけなさい」
一つの課を任された人物とあって、彼は肝が据わっていた。ノエルは感謝と尊敬の念を込めてもう一度頭を下げた。
「さ、て……と。それでキミの、そのぉ。配置先なんだが……」
打って変わって、彼は気まずそうに声を間延びさせる。そこに横から女が顔を出した。
「貴方がノエル・ロセスさん?」
「はい」
「私は人事官のサリバンです。貴方の配置部署に案内するわ、ついてらして」
言葉使いは丁寧だが端々で口調が厳しく、ツンと澄ました空気を漂わせている。きちきちとした仕草から名家のお嬢様と予測できた。シャノンとは対照的な雰囲気で、ノエルは少し身構えてしまう。
「ええっと、サリバンくん。キミは忙しいようだし、私が案内してもいいのだけど」
「いえ、課長にそんなことをさせるわけには参りませんわ。私にお任せくださいな」
課長はどこか申し訳なさそうにノエルを見やった。
「……分かった。ただ、仕事は待ってくれないからね。すぐに戻ってきてくれたまえ」
「もちろんです」
「すぐにだよ」
「承知いたしました」
新人の案内役なのだから丁寧な説明を頼むのが普通のはずだが、それを急き立てるとは何かがおかしい。ほかの職員もノエルを憐れむように見て、そっと目をそらす。しかし元引きこもり令息はその会話に疑問を持たず、「人事課のお仕事はよほど大変なんだなぁ」。察しが悪いにもほどがある。
世間知らずのノエルが違和感に気づいたのは、騎兵署内でも人の行き来がなく、しんと静まりかえった別館に足を踏み入れたときだった。
「あの、ここは……?」
どこなのかと聞いてみてもサリバンは聞こえていないふりで、不愛想に靴のかかとを鳴らし続けた。やがて通路の最奥、備品を保管する部屋を過ぎたところで歩みを止め、彼女はくるりと体を翻した。
「ロセスさん。貴方のお仕事はここの管理です。誰かが訪れた際にはその要求に迅速かつ適切に応えられるよう、文書の監督をお願いします」
サリバンが示したドアの上には「資料室」と記されたプレートが打ち付けてある。白木に墨で書かれた文字は劣化しており、所々で剥がれていた。埃で薄汚れていることから、どうにもこの場所は放置されて久しいと分かる。
「それじゃ、せいぜい頑張ってね。小さなお婿さん」
ぽかんと口を開けるノエルの手を取って鍵を握らせ、部署に戻っていくサリバンの足音はご機嫌だった。彼女のかかとが聞こえなくなって、ノエルはハッと意識を取り戻す。
「もしかして初日から左遷されたのか、僕は……?」
資料室という部屋を一つ預けられたのだから、ある意味では最初から重大な任務を任されたとも取れる。だが、それにしたって詳しい指示もなく「管理せよ」とはぞんざいが過ぎた。
課長が微妙な顔をしていたのはこのせいかとノエルは肩を落とす。彼には何か、サリバンに強く言えない事情があるらしい。
「……どうあれ、与えられた仕事はこなさなきゃ」
努力し結果を出さねば文句も言えない。
握らされた鍵を穴に差し込み、回して錠を解く。そろそろとドアを開けて隙間から中を覗いてみると、室内は真っ暗で、細く流れ出てきた空気はよどんでいた。扉の開閉だけであれば何度かあったふうで、入り口付近に真新しい書類が積み上げられている。奥まで踏み入った痕跡はない。
意を決してドアを全開にすれば、積年の埃が風に乗ってノエルに押し寄せた。思わず腕で顔をかばって目をつぶる。
「何でかは分からないけど、干されてるのは間違いないなぁ」
望遠魔法を拡張して瞼の裏に資料室の全景を映し出す。入って右側の壁にスイッチを見つけたので突起を上げてみた。すると室内の照明が点灯して視界が明るくなった。
ノエルはハンカチを広げて三角に折り、鼻と口元を覆って後頭部で端を結ぶ。目は埃がどうにかなるまで開けない方がいいだろう。
「まずは換気と掃除だ。けど、その前に……」
視点を移動して、納められた書類の状態を逐一確認していく。そよ風で飛んでしまいそうな書類を見つけるつど、彼は腰に下げた手帳を撫でて必要な頁に魔力を流した。目に付く限り、魔法で作った重石を乗せる作業を繰り返す。
資料室は思いのほか広く、山積みの紙束にしても高さがまちまちで、換気の前準備には午前一杯を費やした。昼食の後はさっそく雨戸を退けて窓を開け、風の魔法で空気を動かして隅々の埃をかき集める。天井から床まで風で掃き、たまったゴミを袋に突っ込んでいったところ、中身は圧縮した綿埃だけだというのに両手で抱える一袋が一杯になってしまった。
掃除は二時間ほどで終わった。その後は資料を斜め読みしながら、どの部門に関連するのか見当をつけていく。
「入り口から見て、右側が事務方の兵站部、左側が前線に立つ騎兵部に関する内容なのか」
山の最上部をさらっと読み流しただけなので正確とは言えないが、無秩序に見える書類も、最初のうちは部屋の左右でエリアを分けて保管していたらしい。それを奥から順に場所を埋めていって、今の混沌とした状況が作られたのだ。
ロセスは統領連邦に初期から加入していたものの、国境の警備は長らく現地が独自に担っていた。国家の統率を受けるようになったのはここ百年くらいのことで、それでも騎兵署を設置した当初から記録を残していたわけではない。
「おかげで書類が部屋から溢れないで済んでるのはありがたいけど、もうちょっと後のことも考えてほしかったな……」
結局、初日は傾向を大ざっぱに把握するだけで終わってしまった。




