04「ロセスの両親」
ノエルとイライアスは予定通り、シャノンと遭遇してから三日後にロセスの都へ入った。
ロセスは領地の西側全域が隣国と接しているため頭に辺境と冠するが、ノアリズ第二の国都といっても過言ではない立派な大都市だ。なぜ他領を差し置いてロセスが発展したかといえば、敵性国家と対峙する最前線だからにほかならない。
北方の隣国システルとは和平を結んで長い一方で、西方のクィン聖国とは国家としての思想や信仰が相容れず、互いに敵対国と認定しているのが現状だ。実際、国境付近での宣教活動がもとで年に数回は小競り合いが発生している。
そのおかげで――と表現するのが妥当かはさておき、ロセスには人と物資、技術があふれているのだった。資材運搬専用ではあるが国都にもない鉄道馬車が敷かれ、この鉄道は複雑に分岐してロセス各地の国境へつながり、もちろんカナルにも乗り入れる。
話を領都への道中に戻そう。
森を抜けて耕作地へ入ると、畑の合間に民家が点在する牧歌的な風景が次第に活気を帯びてくる。そうなると市街地も間近だ。
都の中心部は木造と石造りの家が乱立し、大小の道が様々な角度で交わる。行く先も分からぬ小路では子供のはしゃぐ声が聞こえたり、静寂に支配された日陰もあった。
大きな広場を通り過ぎ、ノエルたちは今少し北へと馬を進める。商店街の喧噪を残響に聞きながら、今度は資産家が居を構える区域にやってきた。区画はどこも広々として、分厚い石垣で堅固に囲む家もあれば、整えた生け垣で景色を飾る家、鉄柵の向こうに爛漫彩る庭を展観する家もある。風にそよぐ木々の葉音が耳をくすぐり、優雅な閑静を演出している。
まだまだ進んでいくと、ついに大通りの終わりがやってきた。整備された道は丁字に別れ、そこを左へ曲がってしばらく行く。
そのうちに、一段と広大な敷地に堂々とたたずむ屋敷が見えてきた。開かれた門扉をくぐり、ノエルたちは待ちかまえていた使用人に馬を預ける。
正面玄関ではロセス夫妻が出迎えてくれた。
「ようこそ、ノエルくん。遠いところをお疲れさまでした」
シャノンの父トーマス・ロセスはイライアスに並ぶ大男だが、恰幅のよさと柔和な顔つきのおかげで威圧感はなかった。普段からよく笑う人物で、目尻に刻まれた小皺のあとがそれを裏付けている。ふわふわとした癖のある赤毛がまた、その愛嬌を引き立てる。
エントランスに入り、ノエルはようやくマントを脱いだ。
「日中の移動で何かご苦労などありませんでした? ノエルさん」
妻のフィオナ・ロセスも背が高く、つり気味の眉と目尻が向こう意気の強い女を演出していた。しかしその実、彼女はひとたび表情を緩めれば可憐そのもので、この二面性に魅了される者は後を絶たない。長くたおやかな黄金色の髪も相まって、向日葵のような人物である。
ノエルは夫人の気遣いに首を振った。
「いいえ、まったく。この遮光マントのおかげで日光の下でも快適に過ごせました」
「うん、うん。日焼けの痕も見当たらないし、大丈夫だったようね」
「ちょっとー、僕は労ってくれないの?」
イライアスが少しふてくされた表情で夫妻に不満をこぼす。
「もちろんですとも! エスター先生もお疲れさまでございました」
「エスターは別にいいでしょ。義務みたいなものだわ」
「よくはないんだが~?」
「……はあ、分かりました。うちのお婿さんを無事に送り届けてくれてありがとう」
「そうそう。人間関係を円滑に保つにはそういう一言が大事なんだから!」
「貴方にだけは人間関係云々を説かれたくないわね」
イライアスとフィオナが気安いのは、彼らが学生時代から続く年来の友だからだ。イライアスがノエルにシャノンとの縁談を提示できたのは、この伝手を頼ったおかげだった。
トーマスはお決まりとも言える二人のやりとりに飽きた様子もなく、穏やかだった。
「それにしても、うちの娘は何をしてるんだか。おーい、シャノン! ノエルくんがご到着だよ!」
トーマスが口の横に手を立て、二階に向かって呼びかけた。
応答はすぐにあった。ガタゴトと物音を引き連れたシャノンが吹き抜けの上階に慌てて飛び出し――、引っ込んだ。彼女は慎みのかけらもない登場をやり直すため、小さく咳払いをしてから改めて悠然と姿を現した。
シャノンは特別な席を除いてほとんどドレスを着用しない。この日も例に漏れず、彼女はシンプルなパンツスタイルだった。しかし男装らしい印象は一切なく、楚々とした仕草も手伝って領家息女にふさわしい華やかな風格をまとっていた。
シャノンは階段をしとやかに下り、気品に満ちた礼をする。
「い、いらしゃ、いらっしゃいませっ。ノエルさん、エスター先生」
口だけがたどたどしい娘に、フィオナが半眼になる。
「シャノン。貴方、未だにそんな調子でこの先も大丈夫なの?」
「いえ、その。両親がいる前でノエルさんとどう接したものかと迷ってしまって」
「おかしな子ね。これまでだって何度も一緒にお会いしているのに」
フィオナは腕を組み、片方の眉をクイッと上げて横目に情けない娘を見やった。トーマスがその肘をつついてささやく。
「いいや、フィオナ。これは案外よい傾向なのかも知れないよ」
「あら、トーマス。どうして?」
「この子といえば、男と見れば髪の毛を逆立てて片っ端から威嚇していたろう? そのシャノンがどうだい、ノエルくんには……」
「なるほど。たった一人、シャノンを骨抜きにした殿方と考えれば確かに希望が持てる反応ね」
「そういうわけさ」
「さすがよ、トーマス」
「まあね~」
身も蓋もない会話にシャノンは顔を赤くして泡を食っている。こんな話を目の前でされてはノエルも赤面しそうなものだが、彼は一人首をひねった。
ノエルの朴念仁はこれでもマシになった方で、以前なら「怪訝な顔」付きで不可解を言葉にしただろう。それがないのだから、イライアスは改善をかみしめて弟子の肩を叩いた。
「ノエル、キミはもうロセスの息子だ。シャノンの夫として、ロセスの人間として胸を張っていきなさい」
「はい。ロセスの皆様の顔に泥を塗らないよう、気を引き締めます」
「いやいや、そうではなく」
ノエルの答えにはイライアスのみならず、ロセス夫妻も首を振る。
「――というか、ノエル。キミはね」
イライアスはノエルを上からのぞき込み、鼻先に人差し指を突きつけて強く念を押した。
「自分で思っている以上に優秀で、本当に嘘偽りなく真実として才能ある若者なんだ。僕がその能力に太鼓判を押してること、忘れたらいけないよ」
「は、はい!」
ノエルが自己を過小評価しすぎる嫌いは一朝一夕で治るものではない。だからイライアスは自身の「立場」を引き合いに出し、師の眼識を毀損しないよう釘を刺す。通常であれば嫌みな言い方だが、ノエルには恩着せがましくするくらいでちょうどいいのだ。
シャノンもイライアスを後押しする。
「ノエルさん。貴方の味方はもうエスター先生一人ではありませんわ。わたくしも、お父様もお母様も、弟のエドワードだって、みんな貴方が誠実で勇気ある方だと知っておりますのよ」
「そんな、もったいないお言葉を……」
「純然たる事実です!」
「そうだよノエル。ぜんっぜん、何一つもったいなくないぞ」
「これが本来キミに与えられるべき正当な評価さ、ノエルくん」
トーマスもお茶目にウィンクをして賛同する。一方で、
「貴方がたはそう言うけれど、私は時々なら後ろを向いても構わないと思うわ」
まさかの提案をするフィオナに一同の視線が集まった。
「生きていく上で適度な〈息抜き〉は必要だもの」
否定も消極も、十八年と長きにわたり染み着いてしまったノエルの性分だ。それをいきなり、金輪際口にするなと禁止しては本人も辛かろうとフィオナは言うのだ。
「一足飛びに理想を求めるより、その〈息抜き〉を少しずつ前向きに変えていく方が健全よ。私たちはそのお手伝いをする、というわけ」
「なるほど。お互いに順を追って目標に向かうなら、ノエルくんと私たちの間にある齟齬も適切に埋まっていくだろうね。さすがだよ、フィオナ」
「フフーン。まあね!」
この夫婦は本当に仲がよい。
ネガティブな性質であっても許容してくれる二人に、ノエルはつい目を潤ませてしまう。
「お義父様、お義母様。ありがとうございます」
「ノエル~!」
そこへ横から突然イライアスが体をぶつけ、おいおいと涙を流す。
「ロセスに来て本っっっ当に! よかったねぇ!!」
「何でエスターが泣いてるのよ――、って。トーマス、貴方もなの?」
「いやその、感極まっちゃってぇ……」
グスグスと鼻を詰まらせる大男たちにフィオナがため息をつく。彼女は夫と友人にハンカチを押しつけ、仕切り直しとばかりに手を叩いた。
「さぁて。それでは立ち話もこれくらいにして、お茶にしましょう」
「甘いお菓子も用意してあるんだよ。長旅で疲れた体を癒すには糖分が一番さ! 遠慮なく食べてくれ」
「貴方は控えめになさってね」
「あっはっは。そんな殺生な……」
トーマスの体型を見れば想像はつくが、この紳士は菓子に目がなかった。
夫婦漫才も人が違えばこうも微笑ましい。
ノエルはカーターで終ぞ得られなかった「愛情」を前にしてはにかんだ。片やシャノンはノエルの安らいだ表情を目撃して胸を押さえ、口の端をモニョモニョとさせながらわき上がる情動を必死に堪えていた。




