35「辺境襲撃(2/5)」
残る誘拐犯も魔法で逃走の足を助けているらしい。ノエルが彼らに追いついたのは山の麓にほど近く、木々の茂りが目立ちはじめる地点だった。
ノエルがやってくるより少し前、アレンとシルビアを抱えた二人が主人のもとへたどり着いた。
『マスター、七一と三八。ここに』
『獲物は……二人か。お前たちにしては上出来だ』
『四〇が追っ手の足止めをしています』
「おい! 俺たちをどうするつもりだ!? 離せよ!」
『待っている暇はない。撤収するぞ』
「何なのアンタたち! 頭イカれてんじゃないの!?」
『……まったく、躾のなっていない小猿だな』
意識を取り戻していたアレンとシルビアが口々に暴言を吐く。主人は眉をひそめ、馬上から七一らが抱える二人に指を向けた。血流を操作して子供たちの意識を奪う直前――、
地面を揺らして強固な壁がせり上がった。意表を突かれたマスターは動揺する馬を抑えるのに手間取った。七一と三八が双子を放り出して前に出る。
地面を転がったアレンとシルビアは同時に体を起こし、驚愕のあまり目を剥いた。
「あ、アンタ……何で」
「どうして、ここに……?」
「弟たちを返してもらおう」
ノエルは剣呑な視線で三名を睨んだ。馬を落ち着かせたマスターが鼻をつんと上向けて不快を声にする。
『見たとコロ騎士ではないよウダが。四〇の奴も腕を落トしたモノだな』
「……何だ? システルの言葉か?」
いらだつ女を見据え、ノエルは静かに魔力を繰り始める。望遠魔法で周囲の地形を確認し、有効領域や威力を定めていく。マスターはそれを悠然として見下ろした。彼女は自分で手を下すつもりなどさらさらなかった。
『まアいい。七一、三八。さっさト片づけろ』
言いながら、マスターはアレンとシルビアの血流を操作して意識を奪った。静かになった二人をツタでからめ取り、足下に引き寄せる。
七一という女は足止めを買って出た者と同じく、魔法紋様は体に刻んであるのだろう。男は体格からして己の身体を武器とする戦士だと見当がついた。
何にせよ、手加減は考えていられない。
ノエルは手下たちが動き出す前に先制した。死角から風音を鳴らして注意を引き、明後日の方向から三八めがけて細々としたつぶてを放つ。七一はとっさにそれを防いでみせたが、姿勢を崩そうと迫る足下の泥を見過ごした。
とにかく魔法と体術で連携されるのが面倒だ。ノエルは七一の足を泥の縄で捕らえ、力任せに振り回して地面に投げつける。女は腕を後頭部に回して衝撃を軽減させたが、全身を強く打ち付けており、地べたに落ちて痛みにのたうち回った。
騎士でもないどころか男に手際よく魔法使いを排除され、マスターも三八も面食らっていた。ノエルが並みの相手ではないと知った三八は最初から全力で襲いかかる。男の動きは図体の割に素早く、その顔には苦悶が浮かんでいた。ノエルは三八の進路に石壁を立てながら後方へ下がる。しかし彼は分厚い壁をものともせず、素手で殴りつけて破壊し、直進してくる。魔法で強化を受けているのだ。しかし、背後のマスターには魔力を繰っている様子はない。
ノエルは三八に掴まれた上着の裾を切り捨て、足をもつれさせながらも距離を取った。どうにかして視野を広げると、足を傷つけ無力化したはずの四〇が助けに回っていた。三八に気を取られるノエルは壁を破壊する音に気づけなかった。彼女は痛覚を遮断しているようだが、止血のために巻いた布にはじわじわと血がしみ出し、体をふらつかせている。
強化魔法もそう長くは続くまい。とはいえ、無骨な拳は息をつく暇もなくノエルに襲いかかった。すんでに対応していた防御魔法も遅れつつあり、攻防を長引かせるのはノエルにとっても致命的だった。
なりふり構っていられないと判断したノエルは三八が拳を構える一瞬を突き、自身を中心に空気をかき回して鉄をも断つ威力の鎌風を吹き上げた。高速で空を刈る透明な刃は何人も寄せ付けない不落の守りに思えた。ところが三八は荒れ狂う辻風に体を切り刻まれるがまま、突進してくる。
巻き取られた血肉の飛沫がノエルの頬をべしゃりと打った。なま暖かいものが顎に流れ、指のかけらが首元を転がり落ちる。
今まさに「人間」を切り刻まんとする凶行。
それが自分の手によるものと自覚すると、ノエルは怖気に襲われた。
ほんの一呼吸、一秒もない間――つむじが弱まったタイミングで三八が旋風を突破し、肉薄した。ノエルの眼前に握り拳が迫る。己の身体能力では避けられないと分かりつつも、ノエルは反射的に体をのけぞらせた。石塊にも似た握り拳を真横から石つぶてで打ち、どうにか拳の軌道を変える。バランスを保てなかったノエルはそのまま姿勢を崩して地面に倒れ込んだ。
三八の行動には迷いがなかった。受け身も取れず転がったノエルを踏み抜こうとかかとを上げ、際どく展開された防御魔法も構わず振り下ろす。男の足技は強化を受けて威力を増していた。そのせいでノエルの防御を破壊するのと同時に骨が折れてしまった。足首が千切れんばかりにぶら下がり、痛みに堪えきれなかった三八は攻勢を失う。
ノエルは倒れかかった三八をかわしてしりもちをつく。その顔には恐怖が浮かんでいた。
どこまで人間性を失えば、己や他人を物のように使い潰せるのか。
捨て身の相手にも圧倒されず冷静に屠る覚悟など、ノエルは会得していない。
呆然とするノエルの体に岩がとりつき、動きを封じようとする。四〇は失血が進んでその場に伏していた。代わりに七一が魔法を行使したが、意識の動揺が続いているのか拘束の力は弱かった。それを逃れて立ち上がろうとした時、ノエルは肩をトンと突かれて地面に押し戻された。
「ぅぐ、あ……っ!」
凍てついた穂先が左の肩に深々と刺さっている。霞む視界で凶器が飛んできた方向を見ると、馬から下りた女が三八を蹴飛ばしているところだった。
ノエルを射た氷の棘は水蒸気となって消え去った。
この場で唯一地に立つ女主人が大げさにため息をつく。
『まったくモッて無様ダな、お前たち。このてイタラくでは、国に連レて帰る価値もなイ』
ノエルはうめき声を上げて痛みを逃しながら、最後の一人を討つべく魔力を練る。倒れたままでみっともないが、体勢を持ち直す時間さえ惜しかった。だが、彼の体にはここに来て一気に疲労が押し寄せていた。
魔法の発動よりも先に、マスターがノエルの肩を踏みつけた。硬いヒールをねじ込み、彼女は地面に地が染み出すのを見て愉快に笑う。そして足を退けたかと思えば、弱々しく肩をかばうノエルの腹を蹴りつけた。尖ったつま先で鳩尾を抉られたノエルは体をくの字に曲げ、呼吸さえも苦しそうにえづく。女はもう一度ノエルの腹部を蹴りつけたあと、杖の先で肩を強くつついて仰向けに転がした。
長く空を覆っていた雲が流れ、青白い光が夜を照らす。
月光を受けて白銀に輝くノエルの姿が露わになると、マスターの目に喜色が浮かんだ。




