30「変化の時」
ノエルは早退した日の午後をシャノンと穏やかに過ごし、翌日には気を持ち直して出勤した。サリバンの小言を聞き流して資料室の鍵を受け取ったあと、世話をかけたの職員に礼を言いに行く。
「昨日はご迷惑をおかけしました」
「いいって。あのくらい何てことないさ」
「顔色もよくなってますし、安心しました」
「ロセスの奴、お前さんが早退したって聞いて慌てて帰ってったんだぜ?」
「妻失格ですー! って。真っ青になってましたね」
「そんなことを?」
「ホントだよ。だからちゃんと礼を言ってやれな」
「それはもちろん! シャノンにはきちんとお詫びと感謝を伝えました」
「偉い。まぁお前さんのことだ。その辺は心配してなかったが」
「うんうん。ロセスくんはいい旦那さんです!」
「ありがとうございます。今日からまたよろしくお願いします」
「おう!」
「熱中しすぎてお昼を忘れたらダメですよ」
「はーい」
ノエルはフードの下で朗らかに笑い、足音も軽く資料室へと駆けていった。素直な若者の可愛いこと、彼を見送った事務官らはほのぼのとした余韻に浸りつつ、首を傾げた。
「あれ? アイツさっき、ロセスのこと呼び捨てにしてなかった?」
「してましたね。あまりにも自然で聞き流しちゃいました」
「ほーう、ふーん、へぇ~」
「何ですかそのニヤケ顔は。変なこと言いふらしたら先輩といえど容赦なくしばきますからね。私ロセス夫婦強火担なんで」
「俺の後輩が怖すぎる件……」
男がこわごわと肩を抱いて振り返ると、そこには後輩事務官の発言に頷く者が複数いた。
ところで、騎兵署では午前のうちに国都学院の生徒たちを迎える打ち合わせが行われた。出席者は騎兵部の魔法科からシャノンとサム、装甲科からも二名、兵站部からは各課代表が一名ずつと、副署長である。
騎兵署の見学行程は以下の通りだ。
日程は午前と午後の二部に分けられ、第一部では騎兵部の主な職務を説明し、さらに魔法科と装甲科の訓練を見学する。魔法騎士が花形となってここ数年、鎧をまとい身体と武器を駆使する装甲騎士たちの紹介に力が入っている。魔法があれば何でも簡単に解決できるわけではない。人と魔法が連携してこそ、国家の防衛が効率的に成立することを伝えたい。
むろん、前線に出る者だけが主役ではない。第二部ではいわゆる事務方となる兵站部の働きを見てもらう。騎兵部が任務に専念できるのは、後方の彼らが難解で煩わしい書面とにらめっこをし、面倒で骨の折れる折衝や交渉を担っているからだ。そうそう目立たぬ裏方だが、皆が誇りを持って日々の職務に励んでいることを広く知ってもらう思わくである。
一通りの確認が終わり、最後にシャノンが挙手して質問する。
「資料室はどうするのでしょうか?」
「うむ。担当官がついたおかげで、混沌としていた書類の山は秩序を取り戻しつつある。実際、騎兵部門と兵站部門の分類はほぼ終了したそうだ」
副署長は機嫌よくそう答えた。
「しかし公開はまだ難しいだろうな。過去の記録も重要と伝えるべきとは思うが、それは次回以降になろう」
「どうせなら公開可能な資料を見せて解説した方が響きやすいでしょうね」
「キリエの言うとおりだ。来年の見学にはどうにか間に合わせるつもりで、人手が必要なら人員を割くことも考えている」
「分かりました」
シャノンのあとに手を挙げる者はなかった。そこで打ち合わせは終了となり、各々が会議室から退散していく。鍵を任されたシャノンが部屋を閉め、書類を胸にほっと息をついた。
「資料室の公開、今年は見送りでよかったな」
「え?」
シャノンが声の方を振り向くと、サムエルが少し驚いたふうの顔をしていた。
「いやさ、ノエルって弟妹とあんま相性よくないんだろ」
「キリエ先輩はよく気がつきますね。いつの間に?」
「アイツが来て割とすぐ。無意識の言動が煽る煽らないの話で、下の双子にも云々~とかって言ってたときの顔がな。軽いノリじゃなくて、もっとこう……自分を見放すような感じだったから」
「恐れ入ります」
サムエルの観察眼にシャノンは脱帽する仕草を返した。数ヶ月前の些細な態度を覚えているのも驚きだが、会話の内容と顔色一つから相手の深層心理を読み取るとは。魔法騎士という女の園に属する男として、今日まで小さな軋轢も生むことなく馴染んでいるだけはある。
シャノンは改めて彼を尊敬し、姿勢を正した。
「昨日の今日でノエルをご弟妹と対峙させるのは酷かと思ったもので」
「それでわざわざお伺いを立てたと」
「このタイミングで資料室が見学経路に追加されるとは考えにくかったのですが、一応」
「ふーん」
サムエルはしみじみとシャノンの言葉を思い返し、
「そういや、ノエルは元気か? 昨日は早退したって聞いたが」
「心配ありません。ちゃんとご飯も食べていましたし」
「ふむふむ。昨日の今日で何があったか俺は知らねえけど? 丸く収まったようでよかったぜ」
「何です? その含みのある言い方は」
「ノエル」
「はあ、ノエルが何か?」
「だぁー、もう! 肝心なところでまだるっこいなお前さんは」
「へ?」
「へ、じゃないの!」
サムエルがじれったそうに両腕をかき回す。
「いつの間にかノエルのこと呼び捨てにしてんじゃん? 少しは仲が進んだみたいで喜ばしいなと、先輩は感慨深く思ったわけよ」
「――、ヒッ!?」
シャノンは間の抜けた声を断末魔のごとく発した。顔を赤くして体を細くする彼女に、サムエルがニヤリとした。
「こりゃ隊のみんなに報告しないとだ! いっそげー!」
「ギャッ!! 待ってくださ、ちょっ……、足が速い!! ヤダァーーー! ルイス先輩に絶対チクチク言われるぅぅぅ!!」
結局シャノンはサムエルに追いつけず、エレノアとナタリヤからお祝いの言葉をもらった。そして予想通り、ニーナからは「腑抜けんなよシャノンちゃんアーン??」などといびられた。




