27「後悔しても、前を向いて」
「貴方、もしかして朝から何も食べていないのではありません?」
「昨日の、お昼に。少し口に入れたのは覚えて、ます」
「……」
双子に対するノエルの劣等感は相当らしい。両親の方が問題として大きい印象が強かったシャノンだが、それはほんの一端だった。不満や居心地の悪さを言葉にできたのだから、コンプレックスとは言えそれほど根深いものではなかったのだ。
ノエルはシャノンが考える以上の思いを双子に対して抱いている。自分ができなかったこと、させてもらえなかったことを二人は当たり前に経験してきた。確かに、今からでは補えないものもあるだろう。しかし、ノエル自身もまだ十八歳と若い。この先にも様々な経験があるはずだ。
本人もそれは分かっているだろうに、どうして未だ双子に羨望の念を覚えるのか。その根幹に踏み込むなら今しかない。
シャノンは居住まいを正し、ノエルをまっすぐに見つめる。
「ノエルさんが一番うらやましく思うことは何なのでしょう?」
「うらやましい?」
「そうです。双子さんたちにあってノエルさんにはない――ノエルさんが〈自分にはない〉と思っているもの。貴方が経験できたかもしれない思い出の中で、最も大きな損失、喪失について考えてみてください」
「喪失……」
ノエルは瞳を暗くして過去に立ち返る。
暗い部屋の中からじっと眺め続けた双子の姿が脳裏によみがえった。燦々と輝く太陽を浴び、肌を焦がして遊ぶ二人。元気に屋敷を駆け回っていた。両親にわがままを言って怒られたり、泣いたり笑ったり。
二人が小さな頃は一緒に食事をとることもあった。アレンとシルビアはいつも美味しそうに物を頬張り、その表情を見れば料理人は冥利に尽きるだろうと感心した。自分は父の視線が痛くて、味も分からないまま口に運ぶだけだったから。
二人が学校に通いだした頃。いつも騒がしい時間帯にもかかわらず静かにしているから、どうしたのかと部屋をこっそりのぞきに行ったことがある。二人は教科書とにらめっこをしていた。シルビアはそれほど勉強に興味がないようでウトウトしていたが、アレンは一度机に着くと何時間も離れないほど熱心だった。
二人とも学校の宿題には手こずらなかった。何なら友人を屋敷に招き、あるいは相手の家へ赴き、二人で勉強を教えることもあった。もっとも、シルビアは感覚で物事を捉える質なため教師役には向かず、皆が教えを乞うたのはもっぱらアレンだったが。
そうして記憶は最初へ戻り……勉強を一休みして、庭先でアレンとシルビアが遊び始める。
彼らに混ざって聞こえた足音。
知らない誰かがはしゃぐ声。
イライアスでも、家の使用人でもない。
それはアレンとシルビアの――、
「……友達」
口を突いて出たのはそれだった。
「僕は学校に行きたかった。クラスのみんなに挨拶をして、一緒に勉強して。分からないところを教えたり、教えてもらったり。宿題なんて放り出して遊んで。そういう、ことが……っ」
「うん」
消え入るノエルの声に、シャノンが優しく返す。
彼がうらやましいと思い、どんなに願っても取り戻せない憧れの光景。自分が皆の中心でなくてもいい。輪の中の一人になれたのなら、どんなにか楽しかったろう。
「わたくしもね、ノエルさん。もう少し背が小さければ、お淑やかでか弱ければ。幼少の頃に嫌な思いをすることもなかったのではと思いますの」
「そんな……」
「そうすれば今頃きっと、気がふさぐ殿方にどんな言葉をかければ勇気づけられるか、もっとマシな言葉が浮かんでくることもあったかもしれません」
「貴方はもう十分すぎるほどに心を尽くしてくださっています……」
ノエルの言葉にシャノンは首を左右に振る。
「そうならなかったわたくしでは、月並みなことしか言えない。けれど」
彼女はもう一度、ノエルの手を握る。
「わたくしはまだノエルさんと一緒にいたい。お互いに打算から始まった関係ではあっても、今の生活は何ものにも代え難いほどに楽しくて、幸せで。それだからわたくしは、貴方との暮らしがいつまでも続いてほしいと願ってしまう」
「……」
「わたくしたちはきっと、自分の気持ちに素直になるべきなのです」
「素直に?」
「ええ。わたくしはノエルさんと離れたくない。貴方がこの手を振り払うのなら、力ずくで捕まえて離さないくらいには本気ですの」
手を握る力を強くし、シャノンは頬を赤く染めて恥ずかしそうに言う。
「そ、そういうわけ、なので。あ、の。わ、わわたくしとっ」
「シャノンさん?」
「ノエル!」
「はっ、はい!」
「わたくしとお友達になりませんこと!?」
「え……!?」
ノエルとしては考えてもみない提案で、思わず声を上げてしまった。シャノンは破れかぶれといった顔つきで、目をグルグルさせながら言い募る。
「過去に戻って貴方とお友達になれれば一番なのだけど、そうはできないし。それにノエルとはこの前デ、デートもしてしまって、今さら友達なんておかしな話なのかもしれないわ。でもね……!」
呼び方を改めて敬語もやめる。それが親しみを示す表現の一つだと信じて。
無言のノエルに、シャノンは視線を下げて泣き出しそうだった。
「本当に平凡で、ぜんぜん気が利かなくて、ごめんなさい。もっとちゃんとノ、ノエルの心に寄り添える感じの、貴方の不安を受け止められる聡明な一言が思い浮かべばよかったのに」
「……」
「今はこれが精一杯なの。どうか……」
騎士として立派に励む彼女からは想像もできないくらい、弱々しい訴えだった。目を見つめ話し始めた最初の勢いは何だったのか。自分の頬を張って気合いを入れ直したいが、今はノエルの手を離すわけにはいかない。
溺れる者の手を掴んだその実、溺れているのはシャノンだった。
背を丸めて小さくなっていく彼女を目の前に、ノエルは自然と手を握り返した。
「……貴方は本当に、僕にはもったいないほどの素敵な人だ」
心が温まり、泣きたいような笑い出したいような。
嬉しくて流す涙があることをノエルはこのとき初めて知った。
「僕も、シャノンと一緒にいたい。理由もなくデートする約束も破りたくない。だから――」
今度はノエルこそがシャノンをまっすぐに見つめる。
「ぜひ、僕と友達になってください」
「もっっっちろん、よ!!」
シャノンは感情が爆発した。もともと赤かった顔をさらに赤くし、鼻筋に汗を浮かべて宣言する。
「わたくしとお友達なのはノエルであって、貴方のご弟妹ではないわ。だから大丈夫、わたくしがきっと叶えてみせる」
「叶える?」
「自分のことを好きになりたいっていう、貴方の願い」
「……っ!」
「お分かりでしょうけど、わたくしって自己肯定が突き抜けているの。だからそばにいるだけでノエルも感化される部分があると思うわ!」
カーテンを閉めた部屋は薄暗いはずなのに、シャノンの周りだけ輝いて見える。ノエルは何度も瞬きをして、口をぱくぱくと動かした。胸にわき上がる気持ちを表す言葉がいっこうに出てこず、こうなってしまうと、もう表情で応えるしかない。
ノエルはニコリと笑った。大人びたそれではなく、少年のように。
シャノンも幼い笑みで返し、鼻の汗を恥ずかしそうに拭った。
「そうしたら、ご飯は食べられそう? お粥ならどうかしら?」
「少しずつなら食べられると思いま――、思う。たぶん」
「無理はしないで。ゆっくりでいいのよ」
「うん、ありがとう。シャノン」
不安が全て消え去ったわけではないけれど、シャノンの心尽くしは疑うべくもない。ノエルは揺るぎない楔を得て、まさしく地に足が着いた心地だった。




