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26「消せない不安」

 シャノンは持ち前の体力を発揮して爆速で自宅に到着し、息を整えてからノエルの寝室を訪れた。ドアを小さくノックして、しばらくたっても返事がないのでそっとノブをひねる。


「失礼いたします。具合が悪いと聞いたのですけれどぉ……」


 小声で話しかけるも、やはり返ってくる声はない。ドアの隙間から顔だけをのぞかせ、薄暗い部屋の奥へ目をやった。ベッドの布団が膨らんでいる。彼はどうやら寝入っているようだった。


 シャノンはきょろきょろして、とりあえず顔色だけでも確かめようと寝室に侵入した。室内はどこもかしこも整然と片づけられており、ノエルの几帳面な性格をよく現している。だからだろう、机の上に放り出された封筒がいやに目立った。


 表に書かれた宛名はノエル・カーター。


 紙の質感は傍目にもきめ細やかである。差出人はそれなりの立場があるか、そうでないならよほどかしこまった内容を寄越したと思われる。旧姓で宛てられていることから、最近の知り合いではない。


 その白い紙がなぜか気にかかり、シャノンは引き寄せられたように机の前に立った。上辺をペーパーナイフで開けてあるそれを持ち上げ、ひっくり返す。


 三角のふたを閉じる封蝋にカーター領家の紋章が押されていた。


「……あっ!」


 とたんにシャノンは素っ頓狂な声を上げた。


 すっかり忘れていた。ノエルの弟妹――双子のアレンとシルビアのことだ。二人は十三歳ながら飛び級するほどの英才で、国都の高等学院に通う一年生なのだ。つまりエドワードと同級生であり、利発が衰えていなければ今回の課外見学でカナルにやってくる可能性がある。


 もしもこの手紙がその知らせだったら……いいや、それよりも。シャノンは宛名に不快感を覚えた。


 ノエルはもうロセスの一員だ。散々お荷物扱いをしてきたくせに、どんな未練があって家名を書き間違えるのか。うっかりにしても屈辱的な仕打ちだ。送り手は父母のどちらか? エリクは領家当主とあって細かい部分にも気を配る人間だ。おそらくリリアンの仕業だろう。


「あの方のことだから、きっと素で間違えたのでしょうね。まったく、腹の立つこと……」


「ん、……ん? シャノン、さん?」


「わ、わ! あわわ!!」


 ノエルのかすれた声が耳に届き、シャノンは封筒から手を放した。


「も、ももも申し訳ありませんノエルさん! 具合が悪くて早退したとおお聞きしまして様子を見に来たのですが、勝手にお部屋に入ってしまって、わたくしったらお行儀が悪い……」


「こちらこそ、ご心配をおかけしてすみません。寝ていれば回復すると思うので」


 上体を起こしたノエルは魔法で視界を確保し、シャノンを振り向く。


 彼女の足下には手放した封筒がぽとりと落ちていた。


「だいたいのことはそれでお察しに……なっちゃいましたよね」


「ノエルさんの弟さんたちがエドワードの同級生だったことを思い出しました……」


「それは母からの手紙で、一週間ほど前に届きました」


 ノエルは思わせぶりな言動をしない。きっと話を聞いてほしいのだろう。シャノンは手紙を机に戻し、椅子を拝借してベッドの隣に座った。


「お義母上は何と?」


「双子が長期休暇の課外プログラムでカナルにも行くようだから、よろしく頼むとありました」


「わたくしも弟から似たような手紙を受け取りましたわ。姉貴の仕事ぶりをチェックしに行く、とかって」


「ふふっ。一度お会いしたきりですが、エドワードくんなら言いそうですね。彼は人を笑顔にできる、気のいい子ですから」


「少しはしゃぎすぎるところがありますけれど」


「それも年相応でしょう」


 ノエルが膝を抱えてつぶやく。


「アレンとシルビアは二年も飛び級して……。本当に優秀な子たちなんです」


 今の彼であれば、母から近況の知らせを受け取ったくらいでこれほど憔悴はしない。


 ノエルの表情に影を落としているのは双子の存在だ。


「わたくしも双子さんたちのことを聞いたときは驚きました。飛び級の話題ではなく、そんな幼い頃から親元を離れて寂しくないものかと」


「シルビアは大らかな性格なのですが、アレンはだいぶ物事に敏感な子で。家督に関して部外者だった私でも、次期当主として父から期待されているのが見て取れました。国都への進学を選んだのは、その重圧から離れる目的もあったのではと思います」


「南方は伝統的な価値観を重んじる気風ですものね。お義父上もそれで順調にカーター領を切り盛りしておられるからこそ、ご自身と同様の教育を施すのが一番と考える……。それは理解できますわ」


 エリクには最適だったとしても、アレンにもそうだとは限らない。事実、彼は地元に残って父から教わることもできたのに、家から離れる道を選んだ。


 親を煩わしく感じていたのはノエルだけではないのだ。


「今の私がそうであるように、あの子たちも国都では自由に伸び伸びと勉学に励んでいると思いたい……」


 ノエルは小さく自嘲して膝に顔を埋める。


「けれど、ノエルさんは不安に思うことがあるのですね?」


「はい……、思い出したんです。あの子たちに比べたら、私なんて特筆すべくもない凡庸なのだと」


「ノエルさん。それ、隊長に聞かれたらどやされるどころではありませんわよ」


「アレンとシルビアに比べたら、という話です。私もカナルの皆さんと接する間に自信を取り戻しました。それはとても幸福なことで、だからこそ私はもう失いたくない……」


「今さら誰も貴方の才覚を疑ったりなどしませんわ」


「分かってます。分かってるんです……それは」


 彼は肺から息を絞り出して続ける。


「これは私自身の問題なんです。シャノンさんたちの信頼を疑う理由はありません。けれど……幼い頃から普通に学校へ通い、友人と共に遊び、学んで。まっとうな幼少期を経て成長した二人と、私とでは立つ舞台が違う」


「……」


「あの子たちは私にはないものを持っている。私にはもう取り戻すことのできない〈経験〉が二人にはある。それを思うと、私は急に縮こまってしまうんです」


 これまでの努力を認めてもらえて嬉しかった。胸が高鳴った。


 サリバンとの決闘で得た勝利もまた、ノエルを立ち直らせる出来事だった。自分も誰かのために怒り、大切な人を守ることができるのだと胸を張れた。


 だが、


「アレンとシルビアがやって来て、皆の視線がそちらへ向いてしまったら……もう……」


 ほめてもらえなくなる。


 弟と妹があんなに優秀なら、兄の性能も妥当じゃないか。今まですごいすごいともてはやしてきたが、できて当然のことだったのだ。


 そうやって見向きもされなくなるのが怖かった。


「私は私自身で自分を認めたかった。好きになりたかった。シャノンさんやカナルの皆さんと一緒ならそれができそうな気がしていました。私はまだ、貴方と一緒にいたい」


 それを望むのに、そんな希望にこそノエルは嫌悪を覚える。


「私は……、こんなのはただ、承認欲求に皆さんを利用しているだけなんですよ。何もかもが利己的で、下らない。わがままで、子供じみてて。馬鹿げた不安に駆られる自分が心底、嫌に……、……っ」


「ノエルさん!?」


「ご、ごめ……なさ、……吐きそう」


「え!? ちょ、わっ、わ」


 間に合わないと思ってシャノンが手を差し出すが、結局ノエルは吐けなかった。

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