23「東の隣国」
ニーナは一眠りしてようやく怒りがやってきたのか、朝からブチブチと文句を垂れ流していた。昨晩の夕食台無し事件のことである。
「あの魔獣め――いや、違うな。あんなふうにした熊さんを野放しにしたクィンめ、貴重な食料をぶちまけやがってからに。おかげで朝飯が予備のクソ硬干し肉だけとかマジ萎えんだけど」
寝不足を心配して予定より睡眠時間を延長したため、朝食は移動しながら食べることになった。ニーナは塊にかぶりついて乾いた肉を薄くむしり取り、思いのほか長く千切れた先端を口の端で上下させつつ奥歯で噛む。全身から機嫌の悪さがダダ漏れだ。
「だいたい何だオイ。クィンじゃ魔獣は神の許しを得ずに魔法を使った者の末路ってされてんだろーが」
「濫用した人間がケダモノに堕ちたとか、神の怒りによってただの動物が魔獣に変えられたとか。ショセツあるらしいヨ……」
「それを悪用して人んちに迷惑かけるとか何考えてんだよゴミカスうんこバァーーーカ!!」
「滅びろ、世界の恥部……!」
ナタリヤも同調し、罵詈雑言が辺りに響きわたる。
「ニーナの奴、荒れてんなぁ」
「食べ物の恨みは怖いです」
クィン聖国における魔獣の扱いはニーナが言った通りだ。神の僕である聖国の人間のみを正当な神秘の使い手とし、人に害をなす魔獣が増えるのは他国が濫りがわしく魔法を行使するせい……彼の国はそう語る。周辺国に嫌われようとも懲りずに改宗を試みるのは、世界の安寧を考えてのことだそうだ。
「魔獣を発狂させてけしかけてるのがバレても、自業自得お前らが悪い! とかってほざきそう」
サムエルは担架に積まれた熊の遺体を見やり、何度目かの哀れみを覚える。
「コイツは今までになく強敵だったわけですが、もしかしてこっちの練度でも試してるんですかね?」
「それもあるかもね。けれど、私としてはここにきてノアリズで見る種を敵性化させたのが気になるわ」
「勘ぐりすぎるのもいくないですよ。何も考えてない馬鹿なんかもしれんですし」
「クィンとは。厚顔、傲慢、破廉恥、不埒。いずれにせよ滅するべき恥辱国家……」
「それー」
ニーナとナタリヤは互いを指さして悪態をつく。
「そう考えると、イスルギがうらやましいわ。ノアリズも島国だったらよかったのに」
エレノアがため息混じりに不満を語る。
東の海を隔ててノアリズの隣に位置するイスルギ皇国は、古くから孤島として独立を保ってきた。海外とのやりとりはノアリズが連邦として結成する前からあるが、はるか昔はイスルギも他の島や大陸を知らず、自国だけが世界の全てだった。
海の向こうに別の陸があると分かり、長年の常識が打ち砕かれたとき。イスルギ皇国の首長が残した手記によれば、動揺や混乱よりも「安堵のあまり気が抜けた」という。国が栄え人の営みが発展すればするほど、イスルギは己の国土がいかに狭小か自覚し、資源も無限ではない現実に直面してきた。世代とともに重ねてきたそんな憂慮が晴れたとあって、時の長は目の前が明るくなったそうだ。
君主からして斯様な心理であれば、国民もまたぽっと出の隣人に不安を覚えることはなく、「ただのお隣さん」として受け入れた。要するに、「うちはうち、よそはよそ」の意識が根付いているのだ。
ゆえにイスルギは独自の宗教観を持つものの、それを他国に押しつけることはない。その自立精神のおかげもあって、諸外国との軋轢は少なかった。
ただ、自他の境界がはっきりしているだけに、礼儀をわきまえず懐へ踏み込んでくる輩には容赦がない。具体的に言うと、イスルギ皇国はクィン聖国と非常に険悪な関係にある。自国の根幹に関わる信仰をクィン側から邪教と公言されて以来、国交を断絶するのみならず、同国の人間が領海をまたぐことも禁じた。陸海空ともに我が国の領域をその汚い足で侵せば命の保証はしない、また、イスルギの国民を一人でも害したなら最大戦力で首都を滅すると宣言している。
「地続きじゃないところは確かにうらやましいです。が」
サムエルのあとを歩くシャノンが視線を遠くに泳がせて力なく笑った。
「クィンが相手だと海も山も関係ない気がします。たとえ空中に浮いてようが難癖つけてきそうですもん」
「西は分別なしの狂乱国家。東は東で宿敵絶対殺す過激国家。挟まれたノアリズも災難よなー」
ニーナが干し肉を噛み噛みしながら嘆息する。
「イスルギは越えてはならない一線がはっきりしていますし、それほど面倒くさがる相手ではありませんよ」
「やらかしても誠意を尽くして落とし前をつければ、何やかんや溜飲を下げてくれる……」
「ま。味方でいてくれる分には心強い戦闘民族さ」
サムエルのまとめに異論はない。
イスルギ皇国にとって、クィン聖国との間に位置するノアリズ連邦は実質、緩衝地帯であった。勝手にクッション扱いされるのは不本意だったが、ノアリズはその地理を利用してイスルギと軍事同盟を結んだ。
連邦は聖国を安易に東の海へ進出させず、防波堤の役割を担う。
皇国は聖国が関係する有事において、連邦への軍事援助を惜しまない。
下心はあれど敵を同じくする友好国として、ノアリズとイスルギは対等なつきあいができている。
「持ちつ持たれつ。国も人も、適切に意志の疎通ができる友人は大切にしないといけません」
「おんやぁ~? シャノンちゃんってば、やたらイスルギの肩を持つじゃん」
「普通にいい人たちなので。他者と付き合う上で、人柄の合う合わないは重要です」
「おまけにシャノンちゃんの場合、ご厚志によりカタナを賜ってるわけだし?」
ニーナはシャノンの腰をちらちらと見やり、からかう。
「いや本当にそれですよ。この太刀を頂くまで剣を何本折ったことか」
騎士学校時代を思い出し、シャノンは太刀の柄を撫でる。彼女には女色云々のあだ名以外にも、「剣殺し」という不名誉な呼び名があった。




