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20「紙一重、にしては……」

 先日、ノエルは敵性魔獣の真実を知って大いにおののいたものだ。


 シャノンは数日前から国境近くの平原北部で哨戒任務に当たっている。ノエルは資料室でいつも通りの一日を過ごし、一人きりの自宅に帰って、静まり返った食卓で食事をとり、「お休み」と言う相手もなく寝室のドアを閉める。ベッドに寝ころんで腹の上で両手の指を組み、天井を見つめる。


 彼には、ただシャノンの無事を祈ることしかできない。


 ――同時刻。


 第一分隊の五名はようやく野営地へとたどり着いた。場所は長城の途中


、地面の勾配がきつくなってくる辺りで、木々が茂る林の中だ。樹木に囲まれてはいるものの手入れが行き届いており、見通しは意外によい。


 こうした野外勤務は一月(ひとつき)に一度、各分隊で持ち回りとなっている。今回は徒歩による行進で、設定した日数で目的地へ到着し、無事に帰還する訓練でもある。道中で地勢を確認し、問題があれば適宜対処もしくは帰還後に報告を行う。野生動物や魔獣の縄張り、生態に変化はないか、異常な設置物はないか。これまでの記録との相違点を探して異変の兆候を察知するのが主たる目的だ。


 城壁はまだ先へと続いているが、今回はここが折り返し地点だった。明日からの復路は往路と別ルートで進み、各地を点検しながら拠点へ帰還する。一同は日中の作業に思ったよりも時間を取られてしまい、今になって夕食というタイミングだった。


 五名はそれぞれ荷を下ろし、まずエレノアとサムエルが安全の確保に取りかかった。それはいかにも古典的で、魔法技術の発達した現代であっても鳴子が現役だった。紋様を用いた魔法道具も併用するが、効果を十分に発揮するには多くの魔力が必要であり、その割に稼働域が狭いという欠点がある。日進月歩で改良を重ねていても費用対効果は今一つで、第一次の警戒線は未だ昔ながらの手法に頼っているのであった。


 板を打つ軽快な音を聞きながらナタリヤが寝床を整え、残るシャノンとニーナが夕食の調理を進める。といっても、訓練中の糧食に華やかさなどあるわけもなく、具は現地調達の肉と野草のほか、持ち合わせの乾物が数種類ほどだ。


 底が凸凹した使い古しの鍋に沢で汲んだ水を注ぎ、鳥の肉を放り込んで軽く煮立たせる。次に干からびたキノコを投入し、茶色い笠がグラグラと踊り始めた頃合いでしわしわの豆と芋類を追加。最後に葉物を突っ込んでシャノンがお玉で全体をかき混ぜるさなか、ニーナが適量の塩を振って完了となる。


 火が赤々と揺らめき、鍋が煮詰まる音が闇夜に溶けていく。


 戻ってきたエレノアとサムエルは心地よい静寂にうっとりしていた。


「最近はクィンの宣教活動も減ってきたわよね。耳がタコにならなくて助かるわ」


「それはそれで気味の悪い部分がありますけどね」


 二人の会話を聞きつけたナタリヤが眉をひそめる。


「やかましくても静かでも迷惑な国。控えめに言ってクソ……」


「初対面ならともかく、昔っから嫌われてんだからワーワー言ったってウザいだけなんになぁ。本気でいつかノアリズを改宗できるって思ってんなら恐怖なんだけど」


「国内向けのお芝居なのでしょう。異端の者にも根気強く平和的に呼びかけてますよ的な」


「ますますウッゼェ~~~」


 シャノンの分析にニーナが大口を開けて舌を出す。真っ赤なそれを見ながら、ナタリヤは深々と頭を下げた。


「国王からして頭がパーなばかりに。ノアリズの皆様には申し訳なく……」


「やめやめ! そんなんナタリヤが謝ることじゃねえよ」


 すかさずサムエルがフォローするも、ナタリヤは渋い顔だ。


「しかし、不名誉なことに私はクィンの生まれなので……」


「言っておかないと気が済まないってか?」


「そう……」


 言いつつも腹立たしさが勝っているのか、彼女は西を睨みつけて口をヘの字に曲げた。そこにニーナが飛びつき、頭を抱え込んでガシガシと撫でる。


「嗚呼! ナタリヤったら何て健気なのかしら!! いい子いい子!」


「いえーい。健気なナタリヤちゃんだよ~……」


 ニーナは好き勝手しているが、そのおかげでナタリヤは邪念を浄化され、両手のピースサインをあちこちに向けてニヤニヤした。


 ナタリヤがただのナタリヤで、家名がないのはその出自ゆえであった。クィン聖国の平民には生まれた家を示す名前がなく、家柄を名乗るのが許されているのは王族と貴族諸公だけなのだ。


 ここで少し、西の隣国「クィン聖国」について語ろう。


 彼の国において、魔法とは神より与えられし聖なる力とされる。王族のほかは爵位を持つ高貴な人間のみが行使を許され、魔法に関する知識は特権階級に独占されている。


 権力者は庶民から知識を奪い、圧倒的な武力(まほう)を示すことで抵抗の意を削ぎ落とした。それでも、魔力を持つ者がいれば独学で魔法を会得する可能性はあった。だから貴族たちは魔力を持つ平民の子供をこぞって買い漁った。そして奴隷のような扱いで使い潰し、子を成すことも許さず淘汰した。


 貴族は非常に狡猾だった。民が貧しさに苦しんでいる状況につけ込み、力ずくで奪い取ることもできた子供をわざわざ金品と引き替えにした。今日食べるものにも苦労する家では、金策のために進んで子供を売った。


 長年の淘汰政策により、現在では平民の夫婦に魔力を持つ子供はそうそう生まれない。だが、魔力がなくても買い取ろうとする業者はあちこちにいる。二束三文で買いつけ、幼少期から思想・思考を統一して従順な下僕に仕立て上げるのだ。


 今も昔も、出産は命がけだ。懐も精神も貧しい者は大金と天秤に掛けて危険を冒す。


 子供を生んだが、死んでしまった母親。


 その子供を売ってまんまと金をせしめる父親。


 自分で自分を売る者。


 そんな異常がはびこる国に生まれ落ちたナタリヤは、決して珍しくない陳腐な経緯で貴族に売られたのである。


「ノアリズに限らず周辺諸国に残された外交記録によれば、もとは堅実な王が治める正常な国家だったのに。どうしてああなっちゃったんでしょう?」


「そんなもんアレよ。どっかの段階で間違って、富と権力に溺れて私欲にまみれちまったんだろうさ」


 人間なんぞ長く生きてもせいぜい百年というもの。クィンがまともだったのは二百年も前の話だ。賢明であったその時代を知る者はとっくの昔に死に絶えてしまった。


「クィンはノアリズと違って人が人を治めない。神の系譜を自称する愚か者が人の形をした家畜を飼っている。多くの魔力を持ち、魔法が使える貴族は神に仕えた戦士という話。眉唾どころか信じるのもアホらしい……」


 当事者が言うのだから、その表現は紛れもない事実なのだろう。


 ナタリヤが売却先の貴族から逃げ出せたのは、単に運がよかっただけだ。


 たまたま、魔力を持って生まれたから。


 飼い主の気まぐれで、下僕ではなく僧兵として育成されたから。


 どうしてか、不条理に抗う気概を持っていたから。


 自身の置かれた状況が異常で、全てが嘘と知って。それでもクィンより居心地のいい場所があるはずだと希望を捨てなかったから。


 ナタリヤは命を省みず山の峠を越えてノアリズの騎士に捕まり、保護された。彼女は袖から見える腕の「墨」を服の上から押さえつけ、瞳に恩讐の炎を燃やす。


「ノアリズに迷惑はかけたくないから、自分勝手に喧嘩をふっかけたりはしない。復讐できないままこの命を終えてしまっても、それは仕方がない。けれどもし、ノアリズがクィンと戦うことになったら。私は最前に立つと決めている。馬鹿どもを叩きのめして、飼われていた家畜が人になりたいと望んだなら、それを手伝う……」


 クィン聖国が滅びるまで、ナタリヤに家名を名乗るつもりはなかった。結婚する気もさらさらない。胸に秘める思い(にくしみ)は彼女だけのもので、友人にも知人にも、誰であれ託すことのできない大切な誓いだった。


 その覚悟を知っているニーナは自らの胸を拳で叩く。


「ナタリヤの復讐、叶うといいよね! そん時はアタシも一緒に戦うぞぃ」


「ありがとうニーナ。貴方の邪悪で破滅的な性根に感謝する……」


「否定も肯定もしにくい話だけれど、自分から仕掛けるつもりがないのならいいわ。貴方は自分の道を進みなさい、ナタリヤ」


「もちろんだとも、隊長……」


「というか、私が特に注意したいのはニーナなのだけれど」


「失敬な! アタシゃそこまで倒錯してませんよ。同じクソでもクィンよりノアリズの方が遙かにマシですもん。清潔なら便所でも飯は食えます」


「そう。ノアリズを肥溜めにはさせない……」


 平気で故郷を腐す二人がヘッヘッヘと不気味に笑う。その危ない空気に誘われたのか、遠くで鳴子がカラカラと音を立てた。


 エレノアがいち早く警戒態勢に入る。


「ご飯の前に運動しなきゃいけないみたいね」

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