02「魔法は女の学問?」
出立から五日がたち、婿入りの道はカーター領を抜けてロセス領へと入った。目指す目的地はシャノンの実家があるロセス領都だ。そこで義両親に挨拶をし、シャノン本人と合流して夫婦生活を送る地方へと移動する段取りである。
夫婦で住まうのは辺境「カナル」。魔法騎士シャノンの勤務地で、ノエルも同騎兵署に事務官として勤務することになっている。ロセス南北の真ん中、東西軸でいえば最西端に位置し、隣国クィンと唯一平地で接する国境都市だ。そのため領都までの街道は一度、カナルの管轄地域を通ることになる。
馬を歩かせ十一日目になると、ちょうど当該区間にさしかかった。
「もしかしてシャノンと会っちゃったりしてね?」
そんなことはないだろうけど、と言外に含ませイライアスが軽口を叩いていると、数歩先に突然パリッと小さな稲妻が落ちた。馬は暴れこそしなかったものの、驚いて立ち止まってしまう。二人がもたついている間に、茂みの中から灰色の毛並みを持つ狼が姿を現した。
「ヒェ!? 魔獣だ!」
魔獣とは野生動物のうち魔法を行使する個体の総称である。人間や動物、虫、植物、大地に至るまで、この世にあるものは多かれ少なかれ魔力を持つ。その魔力を利用して顕現した現象を「魔法」といい、技術・学問として理性的に扱うのが人間だ。魔獣は魔力を魔法へ変換する術を本能で理解しており、様々な種で突発的にその能力が開花する。
ノエルは馬から下り、震え上がるイライアスの前にやってきて狼と向かい合った。
「この時期の狼は子育て真っ盛りで気が立っていますが、子に危険が及ばないよう警戒しているだけです」
「本当に? 最近ロセスでは人を襲う種が増えてるって聞いたけど」
「それならきっと、最初の一撃で私たちは丸焦げですよ。こちらが妙な動きをしなければ危害を加えてくることはありません」
「そ、そっか。じゃあ迂回する? それとも追い払えるかな?」
「道はこれ一本ですから、退いてもらいましょう」
ノエルは腰に下げた手帳の表紙を指先でなぞり――基礎紋様の五番に魔力を充填した。有効領域を視界に限定し、指向角は前方五度。
ノエルがよどみなく腕を上げれば、狼の眼前を閃光が焼くと同時に炸裂音が轟いた。目と耳の機能が一時的に遮断された魔獣は頭をくらくらとさせ、しっぽを巻いて逃げて行く。
他方、ノエルの後方にいたイライアスと馬に何ら被害はなかった。彼らからすれば、街道の行く先がパッと明るくなったあと、樹木などに反射したわずかな音が耳に届いたくらいだ。
イライアスは馬からズルリと下りてノエルの隣に並ぶ。
「光の照射方向と音の指向性を限定したんだね。やっぱりノエルの魔法はすごいや。僕は理論だけで実技はからきしだから憧れちゃうよ」
「いえ、私の魔法なんて人並で……」
「ンン~? 何だって?」
「じゃないです。間違えました」
イライアスのジメッとした口調にノエルはあわてて改める。
「ありがとうございます。これからも先生に憧れてもらえるよう、精進して参ります」
生家ではこれまでずっと、何もできない弱者として扱われてきた。父は目が合えば顔をしかめ、母も過剰なまでの世話を焼いてノエルの自主性を奪ってきた。双子の弟と妹も、両親の影響を受けてノエルを兄とは認めていないようだった。そんな環境ではノエルの自己肯定が育つわけもなく、先回りして干渉してくる過保護な母には特に自尊心を傷つけられた。そのためノエルは長らく、他者から賞賛を受けることに抵抗があった。
しかし、その態度は励ましてくれた相手に失礼だとイライアスは教えてくれた。
「まったく、エリクの偏見も困ったものだね。確かに魔法の適性は女性の方が高い傾向にあるけど、男だって使えないわけじゃないのに」
エリクとはノエルの父親で、イライアスにとっては学生時代の後輩に当たる。臆病なイライアスを年下ながら様々に守り、助け、救ってくれた恩人だ。とはいえ、イライアスが魔法学者の道を選んだことがきっかけで、代々の昔気質が染み着いていた彼は態度を変えてしまった。
「長年ああいう考え方でやってきた人ですから。もう変わらないものと私は割り切りました」
「エリクについぞ口で勝てなかった自分が憎い……!」
「先生はいつも一緒に怒って下さいました。私はそれだけで心強く感じたものです」
「でもさぁ! エリクだって強度の弱視が何の治療もせずに回復するわけないのは分かってるはずなのに、どうして信じてくれないのかな」
「単純に、あの人は興味がないんですよ。私に」
ノエルは耳たぶのピアスに触れ、力なく笑う。
彼は生まれつき眼鏡でも矯正が利かないほど視力が弱く、加えて右目には重瞳という特徴を抱えている。ノエルはイライアスから学ぶうちに、その問題を望遠魔法の応用で解決してみせた。その成果こそイライアスがノエルに目をかける理由なのだが、父エリクは息子の才能を鼻で笑い飛ばし、信じてくれなかった。
魔法は女の学問であって男がなすべきことではない、とはエリクの固定観念である。男に生まれたからには、愛する者を守り支えるため心身で強くあらねばならない――その思想を頭ごなしに悪質とは言わない。
だが、時を経て特定の方向に突き抜けた慣習は、概して因習になり果てるものだ。女の学問に傾倒するノエルはエリクにとって男らしさのかけらもない落ちこぼれで、そんな息子の言など信じるに足らなかった。
「そのくせ僕にノエルの家庭教師を頼んできたりするんだから、アイツの精神構造はホント分からないなぁ……」
とはいえ、リリアンに頼まれたエリクが仕方なく「どうせ暇してるだろ」と声をかけなければ、イライアスはノエルに出会えなかった。彼はぶんぶんと頭を振り、過去を記憶の片隅に追いやって目の前の愛弟子をまっすぐに見つめた。
「僕は昔も今もノエルに興味津々だよ。ゆくゆくはリアンデールの魔総研に呼ぶつもりだし」
「それはさすがに気が早いのでは……? まずはカナルで事務官としての経験をしっかり積まないと」
「今から張り切っちゃうくらいには本気ってこと! 覚えておいてよね」
イライアスにそう言わせるほどの能力が自分にあるのか、ノエルは未だに内心で疑わしく思ってしまう。けれど、むやみな謙遜は敬愛する師を傷つける行為だし、言った本人の心もチクチクと痛む。
この悪癖を直すには、まず己を蔑まないことが肝心だった。
「はい。カナルでいろいろな経験をして、成長した姿をリアンデールでお見せしたいです」
ノエルは卑下の言葉をどうにか飲み込み、精一杯の希望を口にした。




