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17「決闘」

 二日後、ノエルとシャノンは共に出勤した。彼らはこれまでにもしばしば一緒に署へやってきたが、更衣室の前で「それでは」と挨拶をして別れるのが普段の光景だった。それが今日に限っては身支度を整えて出てくるまで片方が待っており、時間が早かったのもあって、連れ立ち休憩室で時間をつぶすことにした。


 二人は誰の目にも親密度が上がって見えた。互いに対する後ろめたさもすっかり消えたようで、シャノンを見守ってきた騎兵部の皆は多いに喜んだ。ほか、兵站部でもノエルの一皮むけた様子に感心する声が多く聞かれた。


 エレノアは二人を見かけるなり駆け寄り、見違えた雰囲気に満足の笑みを浮かべた。この人はデートを提案した手前、どうなったか気になりいつもよりだいぶ早めに出勤してきたのだった。


「偉いわロセスくん。きちんと約束を守ってくれたのね」


「はい。きっかけを作って下さりありがとうございました、シモン隊長」


「お節介の甲斐があったようで嬉しいわ。シャノンは?」


「今回ばかりは隊長に感謝です。ありがとうございました」


「素直でよろしい。あとでいろいろ聞くから覚悟なさい」


「それがなければアシストとして完璧なんですけど」


「これまで気にかけてやってた対価よ。支払いなさい」


「はぁーい」


 それから他の職員にも代わる代わる声をかけられ、休憩室は盛り上がった。コーヒーやお茶を片手に和やかな朝のひとときだったが、それをブチ壊す人物が通りかかった。


「朝から悠長に……いつまでお客様気分なのかしら」


 サリバンである。


 彼女の大きな独り言は皆に聞こえた。空気がピリつく中でシャノンが大げさな身振りで体を翻し、サリバンにとびっきりの愛想笑いを向けた。


「おはようございます、サリバン人事官。そちらは今から既にお忙しそうですが、昨日は残業なさらなかったのですか?」


 にこやかに、仕事が遅いと言う。


「何を言っているのかしら。残業しないためにこうして励んでいるのだけど」


「なるほど。朝っぱらから急がないと定時に終わらないんですね」


「オホホホ! そうなのよ、貴方と違って頭を使うお仕事なものだから。そちらもさっさと職務に就いたらいかが? デカい図体が邪魔なのよ」


 彼女たちの攻防はシャノンがカナルにやってきた二年前から毎度のことだが、ノエルが直面するのはこれが初めてだった。とはいえ、好戦的で嫌みなシャノンの一面に眉をひそめるでもなく、彼は妻を気遣うようにオロオロしていた。


 サリバンはノエルにも目を向け、鼻で笑う。


「あら、貴方もいらっしゃったの? 小さくて気がつかなかったわ」


「ハハハ……身長だけはどうしようもなくて。ですが、私の他に新人の方がいらっしゃったとは気づきませんでした」


「は? 新人?」


「え? ――っと、先ほどいつまでお客様気分なのかとおっしゃっていましたでしょう? それにもかかわらず私にお気づきでなかったとなると、他に新しく採用された方がいたのかと」


 ノエルの勘違いと天然が見事に炸裂し、数人がグフッと吹き出す。シャノンはサリバンを指さし、声もなく口を大きく開けて表情だけで笑っていた。


「夫婦そろって嫌みだこと」


 舌打ちを添えてサリバンが唇をゆがめた。


「そ、そんなつもりはなかったのですが」


「まったく! 小さくても手綱くらいは握っててくれないと困るわ」


「はぁ、手綱を?」


「そこのじゃじゃ馬を調教するのが夫である貴方の役目よ。ああ、それとも貴方がされる側なのかしら?」


「はい?」


 その言いざまにノエルはショックを受けて固まったが、慣れっこのシャノンはすかさず暴言を打って返した。


「なるほどー! 貴方は手綱を握ってくれる相手がいないからその年になっても暴れ放題のクソタレ馬なんですね! あちこち見境なく噛みつく癖もひどいですし主馬署で専門家にご指導を賜ってはいかがですかこのボケ」


「なっ……!? 領家息女が呆れたものね! はしたなくてよ」


「あらぁ、ごめんあそばせ。あのくらいはっきり申し上げませんと、貴方のような時代遅れのボンクラにはとてもご理解いただけないと思いましたの」


 情緒激しくキレ散らかすシャノンをエレノアたちが押さえていた。勢いに圧されたサリバンは精一杯シャノンを睨みつけ、そそくさとその場を立ち去ろうとする。


 その前にノエルが静かに立ちはだかった。


「サリバン人事官、貴方の放言は度を超している」


「ああ、そう。邪魔よ、ポニー坊や」


 彼は縹の目でしかとサリバンを見据え、


「貴方に決闘を申し込みます」


「……何を言い出すかと思えば、決闘ですって?」


 小馬鹿にするサリバンに対してノエルは怯むことなく立ち向かう。最初はあんまりな物言いに戸惑ってしまったが、彼女の言動は不快以外の何ものでもない。品性が欠如した発言を思い出し、背筋がぞっとする。まるで不作法に尻を撫でられたかのような気色の悪さだ。


「人事官は魔法騎士を目指していたそうですね。ならば腕に覚えもあると思いますので、私と魔法で雌雄を決しようじゃありませんか」


「どうして貴方なんかと」


「シャノンさんとは過去に一度対決して、敗れたと聞いております」


 ノエルは顎でサリバンの背後を示す。そこには臨戦態勢のシャノンが鼻息荒く待ちかまえており、ノエルが断られたのなら今度は自分が決闘を仕掛けるつもり満々であった。


「貴方とて、恥の上塗りは御免でしょう」


 ここまで言われてなお逃げたとなれば、腰抜けとのそしりは免れまい。サリバンは書類を床にたたきつけて叫んだ。


「温室育ちのお坊ちゃんに目にもの見せてやろうじゃない!」


 睨み合い火花を散らすノエルとサリバンは足早に運動場へと繰り出す。まだ始業までには時間がある。双方ともに開始の鐘までに終わらせてやろうと忙しない足取りだった。


 当然ながら決闘を観戦する者も発生した。彼らは移動のさなか、誰が持ち出したか適当な箱に硬貨を放り込みつつ、勝敗を予想する。


「魔法じゃ女に敵わないって。人事官に一枚」


「俺はサリバン嫌いだから婿殿に二枚な」


「私もロセスくんに二枚!」


「何かギスッた方が面白そうだからアタシはサリババに五枚です」


 と言ったのは途中で合流したニーナである。サムエルとナタリヤも騒ぎを聞いて駆けつけていた。


「どうしてニーナが敵側につくのよ」


「隊長、コイツの性分はよく分かってんだろ」


「ニーナは普通に性格悪い。逆張りは必然……」


「ノエルさん頑張れー!!」


 シャノンは最前で声援を送った。


 ノエルはサリバンと対峙するまでの間に準備を整える。腰に下げている手帳を撫でて、基礎法紋の第一から第五に魔力を充填していく。


 条件項第三頁、防衛紋様に反射を同期。次いで空間座標を視覚と共有、有効領域を運動場内に固定し照準から標的(サリバン)以外を排除。動作項第二十一頁、遠隔での操作を主として威力は最大三割に限定……。


 サリバンは鉄製の扇子を構えていた。法紋らしき刻印は見えないが、わざわざ出してきたからには魔法を使うために必要なのだろう。たとえ見せかけのおとりであったとしても問題はない。


 格好付けか威嚇のつもりか、彼女は髪を背中に払いのけた。その仕草にあわせて耳元のイヤリングが揺れる。キラリと光った宝石の石座には属性を定義する基礎紋様が刻まれていた。常人の目であれば見落とすところだが、ノエルの視界はそれをはっきりと捉えた。


 目に見える範囲で、他にアクセサリーの類はなさそうだ。


「……」


 ノエルは狙いを定め、相手の出方を待つ。


 時間を気にしてしびれを切らせたサリバンが突如、ノエルに突風を打ち込んだ。吹き飛ばして倒れたところを痛めつける考えだったが、立ちこめる土煙の中から転がり出てくる人影はない。代わりに煙を裂いて雷光が走った。


 目標の定まらない攻撃にサリバンは、「お粗末だこと」。唇に侮蔑の笑みを描いた。その頭上に水塊が生成されたことにも気づかずに。


 彼女は突如として水を被り、全身がずぶ濡れとなった。間髪を容れずに地面が凍り付き、予想外の出来事にサリバンは慌てて飛び退く。だが靴底はすっかり凍結して地面から離れず、足がすっぽ抜けてしりもちをついた。


 ノエルはその好機を見逃さず、濡れた衣服を凍らせて動きを固定する。彼が煙の中から悠々と歩いてくる間、サリバンは氷を溶かして立ち上がり、風と火を混合して高温度の炎を放った。


 しかしそれも無駄打ちとなった。


 ノエルは視覚により危険を察知した瞬間、水膜の防御壁を形成していた。攻撃を阻まれたサリバンは次の手を打つべく扇子をノエルに向ける。


 その「仕草」がなければ、彼女もまだ戦えていただろう。


 腕を上げて扇子を振る間に、「構え」のないノエルの魔法はサリバンを取り囲んだ。膨大な風量が四方八方から押し寄せ、体を煽られた女がきりきりと地を舞う。ノエルはその隙に水滴を射出し、サリバンの耳元と手を打った。揺れるイヤリングの金具を弾いて石座部分を切り離し、手から離れた扇子と共に上空へと巻き上げる。


 落下してきたそれらをノエルの手が受け止めたところで勝敗は決した。


 魔法を操る手段を失い、濡れ鼠のサリバンは殴り合う気力もなく愕然としていた。見守っていたギャラリーは大いに沸くが、ノエルは口元に人差し指を立てて静寂を促した。


 膝をついてうなだれるサリバンを見下ろして、告げる。


「では、謝罪を」


 サリバンは耳まで羞恥の赤に染まりながらも、苦し紛れに吐き捨てた。


「バッカじゃないの。何に対して謝れと? 私は事実を言ったまでよ」


「ええ、私が馬だのお飾りだのと言われるのは構いません。しかし我が妻への侮辱は看過できない」


「呆れた被害妄想ね」


「謝罪を」


「するわけないでしょ」


「そうですか。前回同様、逃げるのですね。ああ、捨て台詞は結構です。この勝負は私もシャノンさんも、立ち会った皆さんも決して忘れないでしょうから」


 ノエルの声に嘲笑はない。彼はサリバンを馬鹿にしたくて決闘を申し込んだのではない。本心から怒り、妻を蔑んだ言葉を撤回するよう望んでいるのだ。


「忘れてほしいのであれば謝罪を。いつでも、いつまでもお待ちしております」


 サリバンは顔を上げることができず、ノエルから魔法道具をひったくって立ち去った。彼女が建物の中に消えると、一気に観客が歓声を上げた。


 ノエルはそれを無視して、一目散にシャノンへ駆け寄る。


「勝手なことをしてすみませんでした。貴方を軽視されたのが我慢ならなくて」


「いい、い、いいえ、そんな。フヘッ」


「シャノンさんが私の噂に腹を立てていたのは、こういうことなんだと実感しました」


 きりっと眉をつり上げて告白するノエルに、シャノンは両手で口元を隠して息をのむ。


 ――嘘でしょ? わたくしの夫がこんなにカッコいい……!!


 そんな心の声がダダ漏れである。


 見つめ合う二人はこの瞬間、世界の中心であった。


 隣にいるのに外野へ追いやられたエレノアたちは辟易していた。


「案外、少女趣味なのよね。この子」


「キラキラしててオッサンには眩しいぜ」


「無事、解決。これで安心……」


「チッ!! サリババめ根性がなさすぎだろザマァみろカス」


 舌を出して罵詈雑言を吐くニーナにエレノアが肩を落とす。


「貴方はいったいどっちの味方なの」


「面白い方でっす! そしたらあの詰まんねーオバサンには今日いっぱい足が上がりにくくなる魔法かけとこ。段差につまずいて書類をばらまくがいい。ケケッ!」


「……それ、学生時代に同じような魔法をいじめっ子にかけて歯とか鼻とか折ったんじゃなかった?」


「弱体魔法が得意だからって私のこと根暗だの陰湿だのと陰口たたいて、卑怯で性格がひねくれてるからそんな魔法しか使えないんだってゴミみたいな言いがかりを散々ふっかけてきた連中ですからね。当然の報いです。あと怪我は転び方が下手クソな本人のせいでアタシは関係ありませ~ん」


「でも、やりすぎじゃない?」


「歯なんて差し歯にすればいいし鼻だって……体の傷ならそのうち治るでしょう。対して、心の傷ってのは治らんものなのです。未だに思い出しては腹が立ちますしアタシの名誉を毀損したウンコどもには死んでほしいと思ってます」


「分かるぞ。クソは滅びるべき」


「それなのに実際は滅ぼさなかったんですから、アタシもキリエも偉いもんですよ」


 ニーナの弁にはサムエルが深く頷いた。ナタリヤも納得したような顔である。


「はぁ……。労災が下りるのも癪だから、ペン先にインクが染みない程度にしておきなさい」


「隊長は生ぬるいんですよぉぉぉ!!」


 ぶつぶつ言ってみるものの、エレノアの言うことには従うニーナであった。「それじゃあ皆さん、解散ってことで!」


 サムエルが大きく両手を打ち鳴らして呼びかける。ちょうど始業の鐘が鳴ったのもあり、一同は足早に業務へと戻っていった。


 なお、集まった金は主馬署に寄付された。

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