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14「デート(前)」

 その日はついにやってきた。ノエルとシャノンのデート当日である。二人は普段通りに起きて朝食を共にし、午前中はゆっくりと過ごして昼前に家を出た。


 ノエルは白のカットソーにグレーのジャケットとチノパンを合わせたさわやかな格好だった。しかし上から遮光マントを羽織っているため、その姿を道行く者が見ることはない。シャノンはそれでいいと思っている。自分だけがノエルの魅力を知っていると考えれば、彼女の心は大いに満たされた。


 そのシャノンはといえば、事前にエレノアからデートスポットの候補を聞いており、それなりに歩くことを想定して服装を決めた。シンプルなカットソーに裾の長いカーディガンを羽織り、下は膝からくるぶしにかけて広がる裾フレアのズボン、ヒールが低めのショートブーツを選んだ。


 ノエルがカナルにやってきて数ヶ月がたった現在、彼の分厚いマント姿は住民に広く認知されていた。当初は珍しい外見でよく注目を集め、まるで珍獣扱いだった。だが、ノエルは好奇の目も気にせず、どんな態度で声をかけられようとも柔和で穏やかに応え、日に日にカナルの街に馴染んでいった。時折とんちんかんなことを口走ってしまうのも愛嬌の一つとして受け入れられ、今や彼はすっかりカナルの一員である。


「あら、ノエルちゃんじゃない」


「奥さん連れてデートかね?」


「はい!」


「あんまり山の深くに行くとおっかない魔獣が出るからね。気をつけて行っておいでよ」


「ま、奥さんがだいぶ強いから大丈夫だと思うけどな」


「気にかけてくださってありがとうございます。行ってきます!」


「はいはい」


「行ってらっしゃい」


 特に年輩の方々にはウケがいい。髪が白いのを糸口に交流が始まり、カナルのことをいろいろと教えてもらったそうだ。老人の中でもご婦人に気に入られると、その評判は風が吹くよりも早くカナル全体に広がった。下手をするとシャノンよりも認知度が高いかもしれない状況だ。


 ノエルは道すがら何度も呼び止められ、心配されたり冷やかされたりで大変そうである。シャノンはその様子を見つめ、彼のコミュニケーション能力が確実に上がっているのを実感した。


 ノエルが持っているバスケットには二人で作った昼食が入っている。まずはカナルの全景が見渡せる丘までのんびりと歩いて行って、てっぺんまで来ると並び立った。シャノンがあちこちを指さしてどこにどの建物があるかを説明してくれる。


「わたくしたちの家はここからですと見えませんわね」


「あの林の陰になっているあたりでしょうか? 遠くからでもずいぶん鬱蒼として見えます」


「裏の藪にはまだほとんど手を入れていませんもの」


 カナルの街は東から西へ流れる河川に沿って形成されている。北岸を横断する大通りには食材や雑貨を取り扱う店舗が並び、大通りから分岐する小路には飲食店が連なる。ノエルがカナルへやって来た初日にエレノアたちと食事をした夜市はここである。小路は葉脈のように枝分かれして街を走り、あるところでは突き当たり、またあるところでは街道として山林の中に消えていく。


「騎兵署はあの赤い屋根ですわ」


「では、赤い屋根の隣に見えるのが厩舎ですか」


「ええ」


 騎兵署は北岸の最西端に位置し、主馬署も合わせるとなかなか広大な敷地を有していた。木々が茂る緑の中に運動場の土肌が目立つ。厩舎裏の青々とした牧草地にはゴマ粒のような点がうごめいていて、世話をされている馬たちは今日もご機嫌らしかった。


 太陽が頭の上に来る頃、ノエルとシャノンは大きな木の陰に敷物を広げ、腰を下ろしてバスケットのふたを開けた。耳をつけたまま三角に切ったサンドイッチの具は卵のほか、カボチャのサラダやチーズ、さらにデザートとして季節の果物をクリームで挟んだものもあった。


 ノエルは小食なので、具が薄く挟まっているものを一切れずつもらった。たくさん食べるシャノンの分は具が厚く敷き詰められ、彼女は満面の笑みを浮かべて頬張った。


 ノエルが木製のカップに水筒のお茶を注ぎ、シャノンに寄越した。彼の表情はいつになく明るく、楽しそうであった。その姿に胸をホクホクとさせるシャノンだったが、つい仕事中の食事と同じく大口を開けてしまったことに気づいて赤面した。


「わたくしったら、お行儀の悪いところをお見せしてしまいました」


「公の場でもありませんし、美味しそうにお食べになるシャノンさんは可愛らしいですよ。一緒に食事をしていて、私も嬉しいし楽しくなります」


「モッ!?」


 ノエルの「可愛い」発言にシャノンは謎の音を発してさらに顔を赤く染める。彼女はちびちびと小さな口でパンを噛み、味がするのかしないのかよく分からないまま喉に下した。


 そうして食事を終えると二人ともウトウトし始め、木の幹に背を預けて肩を寄せ合い浅く眠った。ノエルは三十分ほどで目を覚ましたものの、シャノンは日頃の疲れがたまっているようで未だ寝息を立てていた。カナルでは時報で三時間ごとに鐘が鳴る。空を見上げると、夕方へさしかかるにはまだ早い。三時の鐘を待ってシャノンを起こすと決め、ノエルは望遠魔法を駆使して視界だけで周辺を巡った。


 シャノンは三時の鐘を聞いて覚醒した。


「お目覚めですか」


「……だいぶ眠ってしまったようですわね。すみません」


 顔を覗き込んだノエルにシャノンは例のごとく飛び跳ねるかに思われた。が、寝起きでぼんやりしているのか距離感にも慣れたのか、彼女は動揺も示さずに腕を上げて上半身を伸ばした。


 シャノンが立ち上がり、ノエルの肩から温もりが去っていく。せっかく気持ちが良かったのに。ノエルはそれを追いかけそうになって、


「あ、……っ」


 それがシャノンの体温だったと気づき、今回は彼が頬を赤らめる番だった。


 ノエルは他人の体温を忘れて久しい。母の腕に抱えられていたのはとうの昔で、もう覚えていない。父には抱き上げられたこともなかった。下の双子にしても、じゃれるように遊んでいたのはごく短い期間であった。


 そのせいか、長らく失っていた感覚を取り戻した実感は強烈だった。彼はフードの端を掴んで顔全体を覆い隠し、声もなくもだえた。


 頭を抱えて縮こまってしまったノエルをシャノンが不思議そうに見やる。


「ノエルさん? どこか具合でも悪くされましたか?」


「い、いい、いいえ! 何でもないんです。けど、その」


「その?」


「……」


 ノエルは言葉を返せず、シートをささっと片づけて軽くなったバスケットを手に立ち上がった。


 離れていった体温が惜しいだなんて、子供じみた感情が恥ずかしい。そして、彼女の温もりを心地よく感じた自分が何だか照れくさい。


 そんな感情をごまかしたいノエルは思いつくまま、堰を切ったように言葉を溢れさせた。


「ほ、本当はこのあとボートでも漕いで泉の景色を楽しもうと考えていたのですが、街に戻るにもそれなりに時間がかかりますし、それは今度にして」


「ノエルさん?」


「ああいえ、途中で寝てしまったのは私も同じで、シャノンさんを起こさなかったのも私の判断ですし、どうしてそうしたかと言われれば自分でも分からないのですが、たぶん貴方のあたたか、っ」


 そこではたと話を切り、ノエルはしゃがみ込んで目をつぶった。考えなしにしゃべるものではないと後悔が押し寄せる。


「わたくしのあたたか……?」


 とぼけたように言うシャノンだが、ノエルの言動と行動を自分でも驚くほど冷静にとらえ分析していた。カッと目を見開いて夫の一挙一動も逃すまいと見つめる。


 ――これはもしや、意識されているのでは?


 シャノンは上がり続ける口角を指先で引き下げ、表情を真面目に戻して言った。


「ぽかぽか陽気でしたものね」


 ノエルの専売特許である鈍感を、この時はシャノンが装った。彼女はあくまで何でもないふうに、ノエルの動揺に気づいていないふりである。


「え、あ。そっ、そうなんです。暖かかった、ので。えっと……」


 普段とまるで立場が逆だ。


 いつもならノエルの意図せぬとんでも発言にシャノンの心はかき乱され、領家息女としても騎士としても情けない姿をさらしていた。シャノンは何となく一矢を報いた気になって、彼が平常心を取り戻すまですっとぼけることに決めた。我ながらいい性格をしていると思った。


 他方、ノエルは依然として思考をグルグルとかき回していた。そしてどうにか自身の感情を解きほぐし、子供ながらに心の奥底へ押し隠した「人を恋しく思う気持ち」に気づいてしまった。


 己を抱きしめれくれた腕を覚えていないことがこんなにも寂しくて、自分ではない誰かの体温を肌に感じることがこんなにも幸福だなんて、想像もしていなかった。


 ゆっくりと顔を動かし、ノエルはフードの端からシャノンをかいま見た。彼女は穏やかに微笑んで、ノエルの行動を待っている。


 今はデート中だ。突如として襲いかかった混乱はひとまず横に置いて、シャノンの気持ちを第一に考えなければいけない。エレノアに燃やされる以前に、ノエルはまたヘマをして彼女に失望されたくなかった。


 顔の熱は冷めていないが、ノエルは意を決して立ち上がる。


「街に戻りましょう。貴方と一緒に行きたいお店があるんです」


 ノエルが伸ばした手に、シャノンがやんわりと触れた。その柔らかな感覚が雷のようになって全身を駆けめぐる。見ない振りをしても、忘れてみようとも、押さえつけた思いは消えない。


 一度でも寂しさを思い出したなら、求めないでいられなかった。相手がシャノンであれば余計に。


 そう理解したノエルは開き直り、シャノンの手を確かに掴んだ。


「手を、繋いで行ってもいいですか?」


「テッ――!?」


 シャノンはいつもの調子に戻りそうになった自分を律し、余裕ぶった態度で返す。


「もっ、ちろんですわ」


 声が突っかかっただけで済んだのだからかすり傷だ。


 二人はそろって視線を明後日の方向に飛ばしながらも、意識だけは互いに向け合い、丘を下りていった。

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