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13「カーター領のおしどり夫婦」

 一ヶ月ぶりとなる磯の香りをかぎ、エリクはようやく肩の力を抜いた。彼は厚みと重量のある筋肉質な体格で、それは本人が思い描く男らしさそのものだった。たっぷりとした量の黒髪を短く刈り込んで、日に焼けた小麦色の肌に灰青色の瞳が輝く。鼻筋は無骨なものの真っ直ぐで、大きな口と太い眉が豪快な性格をよく表している。


 北方の視察を終えてカーター領家へと戻ってきた彼は、いの一番に出迎えた妻リリアンを抱きしめた。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 リリアンは野花のように素朴な淑女だが、エリクは彼女以上にいい女はいないと思っていた。決して男の前に立たず、素直に守られ愛されることを是とし、常に愛らしくある可憐な人格。それはカーターをはじめ南部における女の理想像であり、この地で最も生きやすい性質であった。


 年の割に若く見える彼女は細い首を傾けてエリクを見上げる。


「今回の外遊はいかがでした?」


「まったく、北の奴らは貴族気質が抜けなくていかん。連邦としてまとまる際に制度は廃止されたというのに、未だ殿様気分だ」


「昔からの伝統ですもの。そう簡単に手放せるものではありませんわ」


「ハハハ、お前の言うとおりだ。南部の人間がどうこう言えたものではないか」


 連邦国となる以前のノアリズはそれぞれの領土が小さな国家として主権を保持し、歴史も文化も、類似点こそあれど独自性を有していた。一つの国家に統一されたとはいえ、長く続いてきた気風が百年程度で廃れるはずもない。それはカーターとて同様だ。


 再三のことだが、南部には未だ昔ながらの男女観が漂う。そしてエリクはその価値観に特段の違和を感じない。魔法技術が発展した昨今では、女にも適正のある仕事が増えた。新風が吹き荒れる国都では女も男と同等に自立してこそ幸福が掴める、などと言われている。南部とは正反対の風潮であるが、エリクはその流行自体に反発するつもりはなかった。 


 うちはうち、よそはよそ。


 南部の伝統を否定せず、観念を強要されないうちは時代の変化を外から眺めていよう、というのがエリクのスタンスだった。新たな考えが必要と判断できた時に取り入れればよいのだ。今のところ、「女の台頭」はカーター領に不要だとエリクは考える。


 エリクはリリアンをひとしきり抱きしめ、解放した。荷物と上着を使用人に預け、居間に向かう途中でふと思い出した。


「そういえばアレはどうした。予定通り出て行ったか」


「ノエルのことですか? はい。ロセスの方に迷惑をかけないよう言って送り出しました」


「お前一人に任せて悪かったな」


「かまいませんわ。ですが……」


 リリアンがあたりを見回してか弱く吐息をついた。


「貴方は領家のお仕事で留守がちだし、双子ちゃんも国都の学校で寮生活でしょう? ノエルまでいなくなったら何だか屋敷の中が静まりかえったようで、私ときたら急に寂しくなってしまいましたの」


「アレでもお前の賑やかしにはなっていたか」


「こんなことなら、エスター先生に家庭教師なんてお願いしない方が良かったかしら」


「こらこら、滅多なことを言うんじゃない。おかげでロセスに婿入りが決まったんじゃないか」


「私は将来アレンの助けになるかと思って先生をつけましたのよ? それがまさか、家から出て行ってしまうなんて」


 エリクとしては願ったり叶ったりなので、リリアンの不満は一笑に付する小さなものだった。


 十八年前、念願の長男が妻の腹から出てきたとき。


 取り上げた産婆も手伝いの女連中も、誰もが唖然とした。赤ん坊の泣き声が響くだけで、隣の部屋で待機していた夫を呼びにくる気配はない。


 どうしたのかとエリクが扉をそっと開けて様子をうかがえば、言葉を失う女連中の真ん中で、リリアンが赤ん坊を抱えて嬉しそうに涙を流していた。愛する妻の腕の中で、異様に白い生き物が真っ赤な口を開いてわめいている。


 エリクは心臓を鷲掴みにされた気分だった。


 南部に特有な褐色の肌でも、黒髪でもなく。白い絵の具で塗りたくったような肌に赤々とした血色が浮かび、気味が悪い。


 なぜ、こんな子供が産まれたのか? 両親の血を引いているとは思えない外見だ。リリアンは喜んでいるが、あれは本当にカーターの血筋なのか?


 動揺のあまりエリクはリリアンの浮気を疑ったが、赤子の目が開いた際にその疑念は消え去った。瞼の下から見えた右目に、重瞳という特徴があったのだ。それはエリクの祖父にも見られたもので、調べると滅多にない症例だという。エリクはどんなに気味が悪くとも、赤ん坊を息子と認めるしかなかった。


 ちなみに、エリクの疑心がリリアンにバレることはなかった。目の前のことに一生懸命というか、鈍感なところがある妻のおかげで夫婦関係にヒビが入ることは避けられたのだった。それからいっそう、エリクはリリアンの悠長な人格を愛するようになった。


 居間のソファに並んで座り、リリアンは小さな口をすぼませてプンプンと怒る。


「エスター先生にしても、魔法のご指導など頼んでいませんのに……」


 のんびりした性格とは言え、リリアンも領家の夫人である。人前では決してしない子供っぽい表情を目にして、エリクは彼女の頭をそっとなでた。


「あの人が胸を張れるのはそのくらいしかないからな。魔法なぞ女の学問にのめり込んで暇をしていそうだからと声をかけたが、私としては十二分に働いてくれたと思うよ」


「あら。魔法も案外、便利でしてよ?」


 人差し指をくるっと回して見せるリリアンにエリクは苦笑する。


「何にせよ、アレンがいればカーター領は安泰だ」


「あの子は二年も飛び級するほど優秀ですものね! もちろんシルビアも」


「そのシルビアだがね、双子とはいえアレンにべったりなのはどうにかならんか? 下の学年に置いていかれるのが嫌でアレンについて行ったようだが」


「女にも学が必要な時代ですもの。きっかけはアレンと離れる寂しさだとしても、あの子の努力は無駄になりませんわ」


「まあ、シルビアについては頃合いを見て呼び戻せばいいか……」


 エリクは顎をさすりながら天上を見上げ、愛しの妻に視線をやった。華奢な手を優しく握る。


「それはそうと、リリアン。お前は家に一人で寂しいのだったな?」


「ええ。それはもう」


「ならばもう一人、考えてみるか」


 この夫婦は年の差がありエリクの方が(とお)も上なのだが、彼はなかなかどうして元気が有り余っていた。対するリリアンは眉尻を下げて自信がなさそうだった。


「私、もう三十六を過ぎましてよ」


「国都じゃ四十路の年増でも健康な子を成したと聞くぞ」


「貴方……? 私が年増だとおっしゃりたいの?」


「あっ、いや。その」


 打って変わって目尻をきゅっとつり上げ、リリアンはエリクの手を力任せに握り返した。エリクは痛がるような仕草をして片目をつぶる。


「これは失敬。お前もまだ子を宿せるほどに若いということだ」


「調子のいい人ですこと!」


「それで? どうだ。考えてみないか」


「屋敷が賑やかになるのは私も嬉しいですわ。ええ」


 リリアンは手を緩め、エリクの肩にしなだれかかった。


「よしよし。お前はいくつになっても可愛いな」


「そうでないと困ります! 私、貴方にそっぽを向かれたくありませんの」


「あっはっは。こいつめ! しわくちゃになったって離してやるもんか」


 一見すれば年甲斐もなくイチャつくおしどり夫婦だ。しかしノエルの境遇を知る人間から見れば、何ともグロテスクな光景である。


 現実とは残酷なもので、あらゆるものは視点を変えれば見え方も変わってくる。エリクの監督下においてカーター領は衰退を知らない。彼は手際よく自らの土地を治めており、財政も健全で、領家という立場を鼻にかけることもなく領民とは良好な関係を築いている。頭領としては実に優れた人物で、この土地にその気性は一切の齟齬なく合致していた。


 リリアンにしても、傍目には誰かに頼らねば生きていけないか弱い女の権化だが、男に愛され守られることに幸せを感じる気質を「悪」と断じることは誰にもできまい。ついでに言えば、軟弱に見えて家のことはきちんと仕切っているのだから、彼女は馬鹿というわけでもなかった。夫に愛され、家族のために家を守る――南部で求められる理想の女としてリリアンは自らの意志で完成しており、エリクも彼女のような妻を愛したいと望んで結婚した。


 ここカーターという土地において、二人の全ては噛み合っている。彼らは決して悪人ではなく、むしろ押し並べて「善良」とされる人間なのだ。思慮に欠ける(・・・・・・)部分は確かにあっても、周囲の人間は承知の上で目をつぶっている。許容できるだけの手腕と実績があるからだ。


 欠点のない人間などいない。そう割り切ってしまえばエリクは良きまとめ役であり、リリアンも聡明な夫人であった。血縁もしがらみもない赤の他人の視点であれば。


 夫婦の行動と言動は、二人との関係が近いほど浅薄を増して悪く作用する。親と子であればなお、分かつことのできない血統でつながっているだけに思いやりを欠くのかもしれない。その最たる被害者が息子のノエルだ。


 エリクは魔法に秀でるノエルを男らしくないと言って拒絶した。エリクからすれば、遠ざけてきた相手の話を聞いてやり、それに対してわざわざ自分の所感を返したのだから、十分に歩み寄ったつもりでいた。息子が間違った方向へ舵を取ろうとしたから、魔法は領家の長男に必要な才ではないと教えた……とエリクは認識している。


 リリアンもリリアンで、息子の体質をろくに知ろうともせず、的外れな助言を与えてばかりだった。愛情はあっても一方的なもので、思い通りの結果が得られなかった原因を自分ではなくノエルの中に探した。


 慈悲も与え方や言い方を誤れば棘となり、人を傷つける。それだからノエルの視点に立てば父は言わずもがな、母にしてもやはり、心ない毒親に違いなかった。

気持ち悪い夫婦だな! と思いながら終始ニッコニコで書きました。気持ち悪いなぁ(^-^)。

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