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11「独り善がりな気遣い」

 残念なことに、ノエルの噂は早々にシャノンの知るところとなった。


 休日が重なった折、彼女はノエルを居間に呼んだ。ソファに座って向かい合い、それとなしに話を切り出す。


「ノエルさん。お仕事の方は順調ですか?」


「はい。期限切れの書類はほとんど処分できましたし、次は内容を精査して部門別に分類していく予定です」


 ノエルはのほほんと答える。彼がそんなだから、シャノンは余計に胸が痛かった。


「本当に申し訳ありません。まさかあんなところに配属しやがるとは、わたくしも予想できませんでした」


「あれだけ無秩序だと、逆にやりがいがわいてきますね!」


「……そうではなく」


 論点がずれているので、シャノンはより直接的な表現で心配の根元を明言する。


「あのクソババ――サリバン人事官については有志と共に締め上げる計画が進行中ですので、今しばらくご辛抱下さい」


「そんな、締め上げるだなんて。確かに最初は驚きましたが、それ以外には嫌がらせらしいものもないですし、私は大丈夫ですよ」


「いえ。嫌がらせはありますでしょう」


「? これといってないと思いますが……?」


「う・わ・さ! ひどいものが飛び交っているではありませんか」


「ああ! ナントカ令息ってやつですね。それくらい別に、どうともないです」


 あっけらかんと笑い飛ばすノエルにシャノンは頭を抱えた。


「……悪癖ですわ。貴方のそれは間違いなく悪癖です」


 当人は平気でも、傍目に彼はないがしろにされている。同僚の立場でもハラハラする部分があるのに、妻であるシャノンが見過ごせるはずはなかった。


 ノエルは自分を顧みない。見ようによっては芯の強さとも映るが、それは他者の心配りを一蹴する行為にもつながる。


 シャノンはどうすればこの胸にわだかまる思いが伝わるのかと悩み、立場を逆にして考えてもらうことにした。彼の視点を別の角度に移せば、少しはすれ違いを自覚してくれるかも知れない。


「ならば、ノエルさんはわたくしの噂についてどう思っておりますの?」


「私自身はシャノンさんの真実を知っていますので」


「気にすることではないと……?」


「そも、私たちはいわゆる仮面夫婦です」


 これは雲行きがよくないとシャノンは直感した。


「互いの利害が一致したおかげで婚姻するに至ったのですから、噂など取るに足りません」


「……」


「私は居場所のない実家を離れ、シャノンさんは周囲のやっかみを否定できる。そういう契約です」


 シャノンは眉をハの字にしてみるみる落ち込んでいく。


 ノエルは自分を語ることに精一杯で、彼女を見ていなかった。


「シャノンさんには、私になど囚われず自由に生きてほしいと思っています。もしも貴方に本気で結ばれたい相手ができたのなら、私は潔く身を引くつもりです。ですからどうか本当に、気に病まずに」


 シャノンは話の途中で席を立った。自分からノエルを呼び出しておいて中座するとは何事かと思うも、聞いていられなかった。彼女はフラフラと力なく歩き、部屋に閉じこもってしまった。


「シャノンさん……?」


 見送った彼女の背中は「話しかけてくれるな」と言っていた。鈍感を極めたノエルといえど、シャノンが気力を失ってしまったのは分かった。しかし、そうなった原因には皆目見当がつかず、まして自分がその引き金となったとは思い当たらなかった。


 シャノンはその日、ノエルを避けて過ごした。翌日は早番で、いつもなら一声かけてから出勤するのに、彼女は無言で家を出た。


 目を覚ましたノエルは一人で朝食をとりつつ、いよいよ自分が何かとんでもないヘマをやらかしたと実感した。


 しかしながら仕事には行かねばならない。


 真っ暗な資料室で書類を仕分けつつ、昨日の出来事を思い返す。こういう時はたいてい、論点に食い違いが起きている。


 ノエルは自分のせいでシャノンが元気をなくしたことを自覚した。であれば次に起こすべき行動は謝罪であるが、彼女が消沈した「きっかけ」を認識できないままでは、どんなに言葉を尽くそうともそれにはなり得ない。


「社会経験豊富なシャノンさんが話題を読み間違える可能性は低い……。きっと、僕が彼女の訴えに気づかなかったんだ」


 当時の会話を脳内に再生してみる。


 シャノンはノエルを気にかけて、仕事の様子をうかがった。ノエルが資料室に配置されたのは彼女としても想定外の事態で、それがサリバンの嫌がらせであることを知って憤慨していた。そして、タネ馬令息などと呼ばれてつらい思いをしていないかと心配した。


「シャノンさんからすれば、あの噂は嫌がらせに相当する悪質なものだった。それを前提に、彼女が自身の噂を引き合いに出して僕の気持ちを聞き出そうと――、アッ!?」


 ノエルを馬鹿にした物言いは、シャノンにとって苦痛以外の何物でもなかった。また、シャノン自身にまつわる女色の噂も本人にとっては払拭したい不名誉で、怒りが湧くものであった。そんな彼女に対してノエルは何と返した?


 仮面夫婦だの、契約だのと。ノエルはシャノンの負担にならないよう気を使ったつもりだったが、あの会話の流れでは「貴方の事情は関係ないし、その感情にも興味がない」と突き放したも同然だった。


 先日、サムエルにも指摘されたばかりだ。「その気がないのは分かってんだけどな……」。


 シャノンがノエルの浅慮を正さなかったのは優しさゆえだろうか。もしくは失望されたのかもしれないと考えると、ノエルは背筋を冷やして真っ青になった。


 どこまでいっても自己中心的な己の愚かさが恨めしい。理解ある夫の振りをして、妻の真心を無下にした自分が許せない。


 ノエルは居ても立ってもいられず、資料室を飛び出した。

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