10「窓際の新人」
資料室の管理官に任命されてからというもの、ノエルは書類の整頓に邁進している。部屋の鍵はサリバンが管理しているのでノエルは毎朝夕と、彼女に必ず声をかけなければならなかった。そのたびにサリバンはフッと鼻から息を抜いて毒気を垂れ流す。なぜ彼女がこんなにもノエルに固執するのか。原因は未だ不明である。
初出勤からちょうど一週間がたった日の朝。
「今はそうでもないけれど、昔の紙やインクは光に弱いの。雨戸を開けるのも気をつけてちょうだいね。あ、だからといって照明を煌々とつけて霊力を無駄使いしないように」
サリバンは嫌みったらしく節約を言い渡した。もっとも、どんな無理難題もノエルを追いつめる役には立たなかった。望遠魔法を応用して暗所でも視界を確保できる彼であれば、明かりの有無など障害にならない。また人の機微に疎いため、投げかけられる言葉も額面通りに受け取るばかりで、本人にはちっとも響かなかった。
そうして、資料室に通って一ヶ月。
とにもかくにも紙束の量を減らすため、ノエルは現在、保管期限を過ぎた書類の廃棄を進めている。暗闇の中でひたすら作成年月日を調べ、総務に確認を取っては燃やすなどして処分する日々が続いている。
まったくもって、騎士の業務は多岐に渡る。これまで資料室が放置されてきた原因は、その繁雑多忙で茫洋たる実務と人手の不足によるところが大きい。
彼らは魔獣への対応と警備、敵国の動向監視のほか、住民同士の些細なもめ事の仲裁だけではなく、インフラの管理・修繕手配まで手広く担う。一口に治安維持活動といっても規模は大小で、そこには実に多様な働きが含まれていた。前線の騎士兵士も後衛の事務官も、要領よく立ち回ったとて記録を残すまでが精一杯で、管理まではとても追いつかないのも納得であった。
「だからこそ、僕も腐ってる場合じゃないよね」
誰かの企みにしろ、管理を任されたのなら完遂せねばなるまい。ノエルは悪意もはねのけて熱心に働いた。
資料室には時折、ノエルに同情的な職員が様子を見に来た。人事課長もその一人で、一日に一度は顔を見せてノエルをよく気遣った。
そんなある日、本館の方から複数の声が近づいてきた。
「ロセスくん、どこにもいないわねぇ」
「やっぱり資料室にいるんですかね? 外から見たときは真っ暗でしたけど」
エレノアとサムエルだ。ノエルは視点を廊下に移動させて、第一分隊の皆がぞろぞろと歩いてくる様子を目にした。作業を休止して出迎えようと立ち上がる。
「もしや、具合が悪くて動けない……?」
「すわー!?」
ナタリヤの懸念にシャノンが悲鳴を上げて資料室のドアを乱暴に開けた。
「ノエルさん!! 大丈夫ですか!?」
「はい。元気ですよ」
「ピャッ!?」
暗がりからニュッと姿を現した夫にシャノンが飛び上がる。
「お? 倒れてはなかったみたいだな。よかったぜ」
「資料室は明かりがついてないし、どこを探しても見当たらない。中で死んでるのかと思った……」
「ご心配をおかけしました。日差しがないおかげで絶好調です」
ノエルは身軽な動作で二の腕に力こぶを作る仕草をした。日が射さない中で作業をしているため、遮光マントも羽織っていない。
エレノアが壁のスイッチを操作して明かりをつける。
「あらまあ! 整理が進んでるわね。この部屋の床をまともに見たのは初めてよ」
彼女はずんずんと歩み入って、椅子を置いて休憩できるスペースまでできていることに感心した。続いて皆がぞろぞろと室内に入り、辺りを見回す。
ニーナが天井のランプを見上げてノエルに問う。
「あんな暗がりで作業できるん?」
「ええ。魔法で視界を補助してますので」
「なる~。そゆこと」
「望遠魔法の紋様に手を加えて、鮮明度や照度、倍率、視点などを調整できるようにしてるんです」
「へぁ?」
言いながらピアスに触れたノエルに、ニーナは変な声を上げた。
望遠魔法とは遠方の偵察などに利用するもので、通常は見通しのいい場所で紋様を刻んだ筒をのぞき込み使用される。むろん、魔法科部隊であれば筒を使わずとも、紋様だけで視点の操作が可能だ。ただ、視点以外にも鮮明度や照度、倍率を調節するとなると、複雑な魔法紋様を印した大型の魔法道具が必要になる。
ところがノエルはどうか?
魔法を使うための道具と思わしき物はピアスと腰の手帳くらいだ。手帳とは携帯が安易な小型の帳面を指す。ノエルが持っているのも手のひらに収まる程度の小さなものだ。そこに先述の機能を盛り込んだ魔法紋様を描けるとは思えない。それでいて彼は複雑な視覚操作を可能としているのだから、ニーナが声を上擦らせるのも無理はなかった。
「あらあら、あら。それは非常に興味深いわね」
手ぶらでそれを成し遂げるノエルの技量に、エレノアでさえ前のめりだ。シャノンを除く四名がノエルを囲み、ずいと身を乗り出す。
「是非とも詳細をうかがいたいものだわ。いつか時間を取ってご教授いただけるかしら?」
「い、いえ! そこまで大層なものではないんです。本当に、基礎的な紋様を重ねただけで」
「ノエルさん」
シャノンがノエルの肩にぽんと手を置く。
「え? あ、はい。何でしょうかシャノンさん」
「鮮明度と照度、倍率、視点などの調整を基礎的な紋様の組み合わせでやってのけるのはだいぶ大層なことですヨ」
「ですが……なるべく簡易に簡素にと突き詰めていったら、それで成立しちゃって」
「ノエルさん」
「はっ、はい?」
「そうして研鑽と試行錯誤を厭わぬ姿勢こそが貴方の誇るべき資質で、秀でた才なのです」
「そうよぉ、ロセスくん。国防最前線のカナルでいざとなれば魔法科部隊の小隊長を務める私が話を聞きたいと言ったのだから、貴方は恐縮しつつ頷けばいいの」
エレノアもノエルの肩に手をかけ、逃がすまいとがっしり掴む。笑顔の裏に悔しさを隠したものの、闘争心が漏れ出る彼女にニーナが苦い顔をした。
「うーわ。隊長の負けん気に火がついちゃった」
「ロセス殿。この人のこと、あまり煽らないで……」
「ノエルにその気がないのは分かってんだけどな。ア゛ン? ってなっちゃうから」
「も、申し訳ありません……!」
ノエルを威嚇するエレノアの手はシャノンが引き剥がしていた。睨み合う二人の間でノエルがすっかり消沈して首を縮める。
「思えば、下の双子にもよく言われてました。重々気をつけます」
「いや、そこまで自重しろって言ってるわけじゃあ……」
謝罪と言うには恐怖を含んだ声色で焦燥を表す彼に、サムエルは引っかかるものを感じた。
一方、シャノンは落ち込む夫をすかさずフォローする。
「隊長はこの通り導火線が短い人なので、素直にハイハイ言っておいてください。その方が粘着されなくて済みます」
「シャノン~? 粘着ってどういうことよ貴方。そんなふうに思ってたのぉ?」
「隊長は実際ネバネバしつこいんすよ」
ニーナが実感を込めて指摘する。それにはサムエルとナタリヤも同調した。
「探求熱心なのはいいけど、なーんかネチネチしてるのはある」
「そして枝葉抹消をつついてほじくり返す……」
――これを粘着と言わずして、何と?
一言一句違わず言葉をそろえた部下たちに、エレノアが歯茎を見せて怒りを表した。
「ンマーーーッッ!? 貴方たち表に出なさい! 丸焦げにしてやる!!」
「ヤッベ! 燃やされる前に逃げろ~!」
「んじゃねー、婿殿!」
「退散する……!」
「それでは、またのちほど!」
五人は嵐のようにやってきて、同様に去っていった。ノエルはとっさに返事もできず、ドアから顔をのぞかせる。皆はもう廊下の先にもおらず、間を置いて角からシャノンが頭を出した。
「望遠魔法の件、考えておいて下さいね! 私もお聞きしたいので!」
「わ、分かりました!」
彼女はニカッと笑って任務に戻った。
資料室は先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まりかえってしまった。ノエルは胸を押さえ、ため息をつく。エレノアの態度には驚いたが、言い方が悪かったのはその通りで、謙遜するにしてもやり方があると思い知った。
本当に、この卑屈癖だけは直さなければいけない。相手を傷つけ自分の立場を危うくする前に、何としても。
それから再び業務に戻り、せっせと廃棄する文書を掘り出しては入り口の近くに退けていく。
独り言もなく、書面を確認しては分け、山に積み上げる……。
それを繰り返すこと三日が過ぎた。
あと一週間もあれば処分作業にも目処がつきそうだった。
そんなところへ、またしても誰かの足音が近づいてきた。資料室の隣が備品の保管庫であるとは前に述べた通りである。話し声からして男の二人組で、彼らは何かを探して保管庫へやってきた。鍵を開けてパチンとスイッチを切り替え、ガサゴソとしながら一人が言う。
「そういや、ロセスの婿殿が初日から左遷されたらしいじゃん」
ノエルの話題である。壁が薄く、隣の会話が筒抜けだ。
「どうしてンなことになったんだ?」
「前にロセスを目の敵にしてた人事担当の女がいたろ。そいつの仕業」
「ああ……、サリバンか。そういやアイツ、ロセスが赴任した初日に文句垂れてたっけ」
「新卒の脳みそ筋肉女がシモン隊に入るなんておかしいとか何とか」
「領家の娘だから忖度したんだろって喚いてたなぁ」
曰く、サリバンもかつては魔法騎士を目指していた。ゆえに並み居る騎士候補生の中で生き残る厳しさも知っており、ぽっと出の小娘が実力者ぞろいの第一分隊に配属された事実が受け入れられなかった。
「つーかあの人、勢い込んでロセスに決闘を持ちかけたくせに口でも魔法でもコテンパンに負かされてた記憶があるんだが?」
「そう。負けても謝るどころか、覚えてろー! って悪党の定番を吐き捨てて逃げてったの、めちゃくちゃ無様だった。ざまぁ~」
どうやら片方はサリバンを好ましく思っていないらしい。
「ぶっちゃけ公開処刑されたも同然なのに、よくまだここに残ってられるよな……」
「あれは神経が図太いなんてもんじゃないね! 感心通り越して怖いわ」
ようやく合点がいった。サリバンがノエルをいびるのはシャノンに勝てなかった腹いせなのだった。
ノエルは決闘で向かい合う二人を想像する――サリバンが完膚なきまでに叩きのめされたのは当然の結果である。高尚潔白なシャノンが不正を働いて地位を手に入れるなど、ありえないからだ。彼女は家柄など関係なく、実力が本物と認められたからこそ、新人でありながら第一分隊に配置されたのだ。手加減したとて、少し魔法が使える程度の女など敵ではなかったろう。
ノエルが沸々と腹の底で異を唱える間に、お隣さんの話は別の話題に移った。
「ていうか婿殿、ノエルくんだっけ? 普通にかわいそうじゃね? 夫婦そろって不名誉な噂が立ってるのもサリバンの仕業なのか?」
「アレなぁ……誰が言ったか、タネ馬令息。女色令嬢と相まって俺も最初は笑ってたけど、今じゃドン引き」
「いや最初から笑うなよ。婿殿ってまだ十八だろ。子供から片足抜けたくらいの相手にそんなんキモすぎるわ。北部の貴族崩れはこれだから……」
「そんなこんなで俺も申し訳なくてさ。暇を見つけて差し入れでも持ってこうかと思ってんの」
「お前は是非ともそうしろ」
「分かってますぅ!」
てっきり馬鹿にされる流れかと思ったが、まともな人間もいる。ノエルはまだ一部の職員としか交流がないため知らないが、この署につとめる者は大半が良心を持つ真っ当な人物だ。サリバンのような意地の悪い輩は少数である。それは今後、彼も実感していくことだ。
隣の二人は目的のものを見つけたのか、それからすぐに保管庫を出て本館に戻っていった。ノエルは作業を再開し、ひとりごちる。
「タネ馬か……。まあ、お馬さんほど繊細な動物はいないし、至れり尽くせりでご機嫌とってお世話してもらえるなら馬扱いも悪くないけど」
そうは言っても不名誉な噂であることは変わらない。
「シャノンさんにつらい思いをさせるのは、嫌だな……」
自分に対しては何を言われようとかまわない。だが、矛先がシャノンにまで向くとなれば話は別だ。いざというときはしっかり言い返すか、それこそ決闘でも申し込む気概を持っておかねばと、ノエルは両手に意気を握った。




