日常
闇の一族の屋敷での暮らしは、思っていたよりも静かで、穏やかだった。
朝は決まった時間に目が覚める。
小鳥の声や、庭を渡る風の音が、目覚まし代わりになることもある。
朝食と昼食は自分の部屋で食べ、味や量には不満なんて一つもない。
夕食はラヴィエルとともに食べる。彼はどんなに忙しくても夕食は一緒にとる。ちなみにヴェリスは忙しいのか、ほとんど姿を見せない。
この屋敷では、誰かに急かされることも、顔色をうかがうこともなかった。
フェリアは、少しずつ「のんびりする」という感覚を覚えていった。
最初は、何もしていないと落ち着かなかった。
役に立たなければ、価値がないと思われてしまう。
そう思う癖が、なかなか抜けなかったからだ。
けれど、そんなときはフェリアの専属メイド――リィナがいつもお茶を入れて、落ち着かせた。
リィナはフェリアが闇の屋敷に来た時、はじめから一緒にいたメイドで、ヴェリスの計らいによって今はフェリアの専属メイドになっている。
「今日は、特にご用事はありませんよ」
「……本当に?」
「はい。ですから、フェリア様は本を読んだり、お庭を眺めたりしていてください」
そう言って、微笑む。
最初は、信じられなかった。
何かを命じられないことが、かえって不安だった。
でも、毎日そう言われているうちに、フェリアは少しずつ肩の力を抜くことを覚えた。
最近では、午後になるとリィナとお茶をするのが、習慣になっていき、日々のささやかな楽しみの一つにもなった。
窓際の小さなテーブル。
淡い色のティーカップ。
焼き菓子は控えめな甘さで、口に残らない。
「……リィナは、いつからここに?」
「そうですね。十八歳で成人したあとこの屋敷で働き始めたから、そろそろ四年になりますね」
「そうなんですね」
会話は、取りとめのないものが多かった。
天気の話。
本の話。
庭の花が咲いたこと。
それでも、不思議と沈黙が苦にならない。
フェリアは、少しずつ、自分のことも話すようになっていた。
光の屋敷でのこと。
魔法が得意ではなかったこと。
怖かったこと。
リィナは、決して深く踏み込まず、ただ聞いていた。
それが、ありがたかった。
そして、時間が許す限り、ラヴィエルも顔を出した。
忙しい日は、ほんの短い時間だけ。
それでも、必ず声をかけてくれる。
「今日は、何を読んでいますか」
「……この前の続きです」
フェリアが差し出した本を、ラヴィエルは一度目を通す。
「ここは、少し分かりづらいかもしれませんね」
「はい……この記述が、どうしても」
質問をすると、彼は丁寧に説明してくれた。
難しい言葉を避けて。
理解できているか、さりげなく確かめながら。
ラヴィエルとともにお茶を飲みながら、本について静かに語り合う時間。
それは、フェリアにとって不思議なほど心地よかった。
――こういう時間が、あってもいいのだろうか。
そんなふうに思えるようになったのは、ここに来てからだ。
けれど、ある日。
フェリアは、屋敷の空気が少し違うことに気づいた。
廊下を行き交うメイドたちが、どこかそわそわしている。
声が弾み、動きも普段より軽い。
飾り用の花が運ばれたり、倉庫の出入りが増えたり。
何かの準備をしているようだった。
(……何かあるのかな)
気になって、午後のお茶の時間にリィナに聞いてみた。
「最近、皆さん……忙しそうですよね」
「あ……」
リィナは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「フェリア様には、まだお話ししていませんでしたね」
「え?」
少し困ったように笑ってから、リィナは言った。
「一か月後に、ラヴィエル様のお誕生日があるんです」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「お誕生日、ですか」
「はい。ですので、屋敷全体で準備をしているんです」
フェリアは、目を瞬いた。
誕生日。
祝われる日。
当たり前のようで、どこか遠い言葉。
「……知りませんでした」
「驚かれました?」
「はい……」
そう答えながら、胸の奥が少しざわついた。
ラヴィエルの誕生日。
今まで、そんなことを考えたこともなかった。
「毎年、盛大に行われるわけではないんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。ラヴィエル様は、あまり表に出るのを好まれませんから。でも、今年は成人なさるので、闇の一族みんなでお祝いすると思います」
それを聞いて、納得した。
――でも。
(……何もしなくて、いいのかな)
そんな考えが、ふと浮かぶ。
自分は、ただ世話になっているだけ。
守られて、教えられて、居場所をもらっているだけ。
何か、できることはないだろうか。
そう思った瞬間、フェリアは自分でも驚いた。
以前なら、こんなふうに考える余裕はなかった。
何かをしたい、という気持ちが、自然に湧いてきたこと自体が。
リィナは、そんなフェリアの表情を見て、何も言わずに微笑んだ。
闇の屋敷での時間は、ゆっくりと流れている。
けれど、確実に、フェリアの中で何かが変わり始めていた。
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