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急がなくていい朝

 翌朝、小鳥の鳴き声にハッと目覚めた。


「大変! 掃除しないとっ」


 反射的にそう思って、体を起こしかけて――止まる。


 見慣れた天井ではない。

 淡い色の石目と、やわらかな光で充満した、上品な部屋。


 フェリアは、数秒遅れて状況を思い出し、息を吐いた。


(……そうだ)


 もう、あの家ではない。


 胸の奥に、じんわりと安堵が広がった。

 同時に、肩の力が抜けた。


 急がなくていい。

 怒鳴られることもない。

 朝一番に仕事をしてもいい。


 そう分かっているのに、体のほうはまだ落ち着かない。


 フェリアはベッドから降り、そっと床に足をつけた。

 ひんやりしていて、おかげで眠気が消えた。


 窓の方へ歩く。

 カーテンを少しだけ開けると、庭が朝の光に包まれていた。光は部屋の中も明るくし、まるでフェリアの胸に差し込んだ希望の光みたいだ。


 鳥の声。

 風に揺れる葉。

 誰かの足音は、聞こえない。


(……静か)


 昨日までの「静か」とは、違う。

 緊張を伴わない静けさだった。


 フェリアは、窓辺にしばらく立っていた。


 何をするべきか、分からない。

 でも、何かをしなければならない、という焦りもない。


 少し考えてから、用意されていた服に着替える。

 昨日と同じように、動きやすく、飾り気の少ないもの。


 鏡の前に立ち、自分の顔を見る。


 ひどく変わったわけではない。

 けれど、目の奥が少しだけ違う気がした。


 ノックの音がする。


「……失礼いたします」


 昨日のお茶を持ってきてくれたメイドだった。


「お目覚めでしょうか」


「は、はい」


「朝食の準備が整いました。お部屋でお召し上がりになりますか、それとも……」


 フェリアは、少し迷った。


 昨日は、食堂だった。

 今日は――


「……食堂で、お願いします」


 自分でも、意外だった。

 でも、言ってしまうと、後悔はなかった。


「かしこまりました。少ししましたら、ご案内いたします」


 メイドは一礼して、静かに去っていった。


 フェリアは、椅子に腰を下ろす。

 胸の奥が、少しだけざわつく。


 昨日の会話。

 アルヴァインの言葉。

「君は、もう一人ではない」


 まだ、実感はない。

 でも、否定もしなかった自分がいる。


 しばらくして、再びノック。


「フェリア」


 ラヴィエルの声だった。


「朝食に、ご一緒しても?」


「……はい」


 扉が開き、彼が入ってくる。

 昨日よりも、少しだけ柔らかな表情。


「よく眠れましたか」


 問いかけは、穏やかだった。


「……はい。久しぶりに」


 ラヴィエルは、小さくうなずく。


「それは、よかった」


 それ以上、踏み込んではこなかった。

 それが、ありがたかった。


 二人で並んで廊下を歩く。

 朝の屋敷は、夜とは違う表情をしていた。


 光が差し込み、影が薄い。

 使用人たちは静かに動き、必要以上に視線を向けてこない。


 食堂に入ると、昨日よりも簡素な食卓が整えられていた。

 アルヴァインの姿は、まだない。


「父上は、少し遅れるそうです」


「そう、なんですね」


 席に着き、朝食が運ばれた。

 温かいスープと、焼きたてのパン。


 フェリアは、思わずパンを見つめた。


「……いい匂い」


 ラヴィエルは、気づいて微笑む。


「遠慮しなくてもいいんですよ」


 フェリアは、少し照れながらも頷いた。


 一口食べる。

 素朴で、優しい味。


 胸の奥が、また少し緩む。


「……あの」


 フェリアは、スープを飲んでいた手を止めた。


「昨日の話なんですが……」


 ラヴィエルは、黙って待つ。


「庇護、とか……すぐに決められなくて……」


「ええ」


 否定も、促しもしない返事。


「……それでも、ここにいても、いいんでしょうか」


 言い終わってから、少し怖くなった。


 ラヴィエルは、すぐに答えた。


「もちろんです」


 迷いはなかった。


「決めるまで、ここにいてください。期限は、ありません」


 フェリアは、胸が詰まるのを感じた。


「……ありがとうございます」


「また、礼ですか」


 そう言いながら、声は咎めていない。


「……すみません」


「いいえ」


 ラヴィエルは、カップに手を伸ばす。


「フェリアが安心できるなら、それでいい」


 それだけだった。


 朝の光が、食堂を満たしていく。

 フェリアは、ゆっくりとスープを飲み干した。


 今日、何をするかは、まだ決めていない。

 でも――


 急ぐ必要はない。


 フェリアは、そう思いながら、窓の外に目を向けた。


 鳥の声が、また一つ、近くで響いた。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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