痛み分け
「だからぁ、それはごめんって言ってるじゃん。俺だって行きたくて行ったんじゃないんだよ〜。先輩からの誘いでしかたなーくキャバクラに行くしかなかったんだって」
電話越しの彼女は何やらぷりぷり怒っているようだった。
仕事終わりに先輩と居酒屋へ行き、日頃のストレスを発散していると、
「まぁまぁ、酒を飲む場所にキレーな姉ちゃんがとなりに座るだけだから、な?」
と先輩にのせられて、仕方なくついて行ってあげることにした。
本当に仕方なくだ。全然行きたい気持ちなんてなかった。ひとりで行こうってならないし。若いねぇちゃんとはいえ20代半ばの俺からしたら同世代でこれといった新鮮味もない。これはただの付き添いで興味があったわけでは全くないんだ。
彼女への言い訳を考えつつ、先輩についていった。
ただやはり罪悪感が拭えなかったから1報入れたのが間違いだったか。
電話越しの彼女は、謝ってみたが機嫌が治らない様子だった。
『もう知らない!─────』
結局、電話では納得して貰えず、過去の元彼女たちや過去によく遊んでいた女たちへの不満もぶちまけられて収集がつかなくなり電話を切られてしまった。
「なんで今言うかなぁ。元カノとか昔の'女友達'とかどうでもよくねー?付き合ってるんだからさー」
彼女には一切言えない愚痴を帰りの夜道で1人ボソボソ吐き出す。
喧嘩すると必ず付き合う前の話を持ち出し、責め立ててくる。勘弁して欲しい。喧嘩の頻度が多くないことが唯一の救いだが、キャバクラはやっぱり地雷だったか。だからって前の彼女の時には行かなかったとかなんとかって、そりゃ前の彼女と付き合ってたのは学生のときなんだからキャバクラで遊べる金はないわ。なんで昔の女と比べて怒るかなぁ。
と、駅から自宅マンションまでの徒歩10分がいつもよりかなり短く感じるくらいには、彼女の思考回路を納得出来ずにいた。
男はまだぶつくさと文句を垂れながら、オートロックを解除しエレベーターボタンを押した。
男の住む部屋は、3階にある。
普段なら階段を使って帰宅することもあるが、酒を煽られかなり心地よくなっていた。
エレベーターに乗り込み、スマホを確認する。
時刻は23:55。なんとか日付変更前に帰宅することができそうだ。
ドアノブに鍵を差し込むと鍵が空回りした。
ノブをひねる。
─ガチャ─
あれ、今日玄関の鍵って閉めてなかったっけ、あ、あいつもしかして今日、家に来てたのか!?なにかの記念日!?やばい!なんだ!?誕生日でもない、交際記念日でもない、夕食の約束なんてしてない、こんな平日の夜に彼女が家にいる理由がさっぱり思いつかない。やばいやばいだから今日あんなに電話で怒ってたのか。ただの気まぐれで家に来るのも変だから、ちゃんとなにかサプライズ的なものだと思うんだけど。全く検討がつかない。思い出せ思い出せ。
酔った脳みそをフル回転させながら、玄関に足を踏み入れる。
玄関の電気をつけようと手をのばした。
男は、腹部に感じる妙な温かさに気づいた。
目の前には女がいた。
電気をつけずに玄関にいたようだ。
そんなことよりも思考を遮る腹部の異常な温かさ。熱に近い、何かが起きている。
───────イタイ。イタイ痛い痛い痛い痛い痛い!
「浮気なんてするから」
女は刃渡り15cm程度の包丁を男の腹部に再び突き刺した。
台所の包丁だ。
「私はね、本当にあなたの事が好きだったの。大好きなの。浮気なんてして欲しくなかったの。でもどうして何度も何度も浮気をするの?私だってもう我慢の限界だよ」
女の頬にはポロポロと涙が落ちる。
「ッてめぇ」
ドンッと女を突き放し、刺された箇所を抱き抱える。
痛みで顔が歪む。腹部が熱い。マンションの廊下にある光がてらてら、と男の手を赤黒く光らせている。
女はその場にへたりと座り込んですすり泣く声をあげていた。黒く肩の長さで内巻きの髪。襟元にフリルが施されている真っ白なワンピース。華奢な腕には似合わないメンズの大きめな腕時計。足元には女児キャラクターもの靴下。
女の格好はジャンルがなんだかバラバラに見えてとても異様に思えた。
どくどく、と全身が脈打つ度に腹部の損傷から血がこぼれ落ちていく。
やばい、と思った時には足には力が入らなくなり、男はその場に蹲るように倒れた。
午後11時57分。男は玄関で動かなくなった。




