第5話 無能力から
セーアの小さな策略が露呈して、やや気まずい状況になった中で、リュウは整理した情報から疑問を取り出す。中でもリュウが考えていたのは、自分の中の推測との比較だった。
「そう言えば、さっきセーアは水魔法を使っていたな。お前は水魔法の使い手なのか?」
それはリュウのこれまでの推測からの質問だった。
チートとして与えられた能力が「全属性魔法、魔法錬成、魔力無限」であるなら、この世界の常識は「魔法がひとり一属性、魔法の錬成は不可、魔力には制限がある」となる。その上でセーアが水魔法で食器洗いの水を生み出していたのなら、セーアは水魔法の使い手となる。
「そうですね。私は水魔法と自然魔法が使えます」
「自然魔法?」
リュウは、自分の経験にはなかった新たな言葉を聞いて、その話に強い興味を持った。
「はい。つかぬことを聞きたいんですが、リュウさんはどんな能力をいただいたんですか?」
「俺は……全属性の魔法と魔法錬成、あと魔力無限だったか」
「でしたら自然魔法についてはご存知かと思っていたのですが?」
さも当然であるかのようにキョトンとした顔で尋ねるセーア。それと言うのも理屈は単純で、リュウの頭の中には、辛うじて現実の世界にフィクションとして存在する魔法という概念まではあるが、その理を超えたものはない。つまり、全属性として渡された能力であるものの、その全容は奪われる段階ではまだ把握できていなかったのだ。
「すまない……自然という属性だけは把握できていなかった」
「なるほど。でしたら自然魔法についてお教えいたしますね」
朗らかに説明を買って出るセーアに、リュウは正座の姿勢で待ち構えた。セーアもその姿を見て少し戸惑ったが、聞いてくれるリュウの姿勢に背筋を伸ばした。
――自然魔法は、魔法と言うよりも儀礼みたいなものです。これは世界の動植物の力を借りるための魔法でして、他の属性魔法とは違い、厳格な本質があります。
その本質は『交流・操作・使役』で
・交流…自然に敬意を表して、生物と意思をつなぐ
・操作…自然と意識を通わせて、その力を活かす
・使役…自然に認められて、自然を力とする
これらの過程を経て、様々な動植物を操ったり力を借りたりするのが自然魔法――
「……なんですよ〜」
「なるほど、自然を操作する魔法か。だが、それも属性ではないのか?」
「むしろ逆ですよ。この魔法には三つの本質がありましたが、特に一番重要なのは最初の交流なんです。例えば……」
そこまで言うと、セーアは立ち上がり、近くに生えていた紺色の樹皮を持つ木に触れる。
「このように、木を相手に交流……これは自分なりに敬意を払う意思を見せればいいんです。そうすると」
今度は、セーアの言葉によって、紺色の木は淡く青に輝き始める。やがて昼の森の明るい環境でも光として認識できるほどになったその光は、木の表面からゆっくりと離れ、セーアの身体の周りを巡り、まるで吸収されるように収まっていく。そしてセーアの身体がほんのりと青の光を蓄え、フェードアウトするようにその光は消えていく。
「はい。こんな感じで自然が魔力を分けてくれるんです。なので、自然魔法は属性の魔法の為の魔法として存在しているのです」
セーアがにっこりとそう言うと、リュウはそれを見て強い興味を示した。それはファンタジーの定石のようなその光景に対するものではなく、極めて彼らしい理由によるものだった。
「魔力を分ける……という事は、自然魔法は魔力の供給に使う事が出来るという事か」
能力を奪われた人間だからこその直情的な反応に、セーアは苦笑いを浮かべて肯定を返す。リュウの推測そのものは正解である。だがそれは、自然魔法を理解したうえでの正解であるので、セーアもこればかりは、リュウの先回り的な推測に、無邪気に喜ぶことはできなかった。
「それはそうですが……最初の段階である交流も簡単ではありません。リュウさんがそう考えるのは無理もありませんが、自然魔法だけは、自然が認めないと何の恩恵も得られないものなんです」
そんなことを言ったセーアは、リュウの側に近寄ってそのすぐ近くにあった白い花をそっと手に取り、リュウに説明をする。
「例えば、この白い花……この世界ではよく生えている【マナリリー】は、小さな花に複数の属性の魔力を備えています。マナリリーは魔法を使う事はないので、自然魔法を使える人にとっては、急場の魔力補給に使う事が出来ます」
そう言うとセーアは静かに目を瞑り、そのマナリリーと交流を交わす。すぐにマナリリーから淡い青の光が放たれ、それがセーアの手に移り変わり、先ほどの木との交流と同じようにセーアには魔力が供給されていた。
「……さて、それじゃあリュウさんの番です」
「俺の番って……能力を奪われた俺は魔法なんて」
使えない。そういう言葉を言おうとしたとき、すぐにセーアが手のひらを前に出してストップをかける。
「リュウさん。なぜ自然魔法を儀式と説明したかわかりますか? それは『自然魔法は自然に敬意を示す人間なら誰にでも使うことが出来るから』です」
リュウは、そんなことを言うセーアのまっすぐな瞳を見る。真剣で、自分を信じて欲しいという目。リュウは、エディミアという人種である彼女に対しての懸念は脇に置いて、セーアが先ほど触れていたマナリリーに手を添える。
草木のひんやりした感触、白い花が持つ少しの香り、リュウはその小さな花に交流をしようと心を落ち着けた。だが……
感じる。
自分が振れている花が、この手に警戒を示している事。
花の形が変わったわけでもないのに、手に何かが刺さる感触がする。
これが自然が持つ敵意。認められていないという感触。
「……もしかして、俺はいま認められていないのか?」
「そうみたいですね。魔力がリュウさんに流れ出ている感触がありません」
「なるほど、この手に感じた痛みが認められていない証拠というわけだな」
リュウは自分の感触を信じてセーアにその話をすると、セーアは驚いたような顔でリュウを見た。
「えっ……触れたら自然の感情がわかったんですか?」
「あぁ、花の形は変わっていないのに、棘を刺されたような感触が」
その言葉に、セーアとリュウはお互いに首をひねった。どうやら、リュウが感じた感触は、セーアが思っていた者とは違うらしい。そして、セーアはリュウの手を掴み、まじまじとその手のひらを見回す。
リュウの手を掴む細くやわらかな手、繊細な女の子の手だと思っていたが、野宿のような準備をし慣れているのか、指の端々は少し硬くなっており、手の状態に彼女の苦労を見た気がした。
「うーん……リュウさんの触覚が鋭いのでしょうか、けどリュウさんは転生者。元の世界でそういう事をしていたのならまだしも……うーん」
悩み更けるセーアに、リュウはとりあえず本来の話を続けようと提案した。
「セーアの言う事はとりあえず分かった。つまり、自然と交流することが出来れば、俺も何らかの魔力を分けてもらえるという事で合っているか?」
「あ、そうです! 分けてもらえるまでは厳しいですが、リュウさんは落ち着いている方なので、凄く時間がかかる……という事はないと思います。内面にとっても悪い心を持っている場合は話は別ですけど」
「ケガは明日には回復できると思います。今日はここで休んでください」
この世界の様々な話を聞く間に、太陽は沈み、森には夜の静けさが覆いかぶさる。時間間隔もまた、もともとの地球と同じであるため、生活サイクルもそれほど変化はしなかった。ただし、前世界と同様のサイクルを送るという事は、リュウ(龍太郎)の身体にとっては、この夜という時間は、眠る時間とはならなかった。
「……眠れん」
体内時計が身体に危害を加えるかのように就寝を妨害する。森の木々のすき間からわずかに夜空が見え、地上では焚火がパチパチと音を立てている。
セーアはと言うと、年若い男がいるという状況でも麻布を編んだ敷物の上ですやすやと眠っていた。リュウに彼女をどうこうする理由はないが、セーアの警戒心の薄さには、どうにも反応に困った。
「……生活習慣とは、抜けないものだな」
そう言うとリュウは起き上がり、古い記憶の中の時計の音を思い出しつつ、座ったままで目を閉じた。
瞑想だ。
自分の中の疑問、興味、理解、雑念……それらを全て頭から追い出して、自然の音に身体を委ねる。目を瞑り、果てない空と地平線を想像するように。それらが自分の心の全てであるかのように、世界にあるがままの自分を定める。
勉強に行き詰っていた時、リュウが藁にもすがる思いで参考書を買いあさっていた時、ふと本屋のいちコーナーに立ち寄った時に見た瞑想の本。その中身に当時のリュウは救いを求め、予算ギリギリで一つだけ本を買った。それを読んでから、行き詰った時には瞑想に頼るという習慣がついていた。
静かな空間、それまでの何かに追われるときの逃避とは環境の違う穏やかな瞑想、リュウはそんな瞑想を一時間近く続け、今までにない心地の良さと『身体を巡る脈動』を感じて、目も開けずにそのまま睡眠に入っていった。