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第1話 死と再生

勉強。


試験。


成績。


受験。


進路。


――そう言うものは、この渡来わたらい龍太郎りゅうたろうにとっては自分のものではなかった。両親は国公立を出て大手商社勤め。その中で二人の兄もまた自動車販売と官僚への道。だが今日この日。俺はここまでの全てを無意味な物にした。


「不、合格……」


――国公立の最高峰を受験して、寝る間も惜しんで勉強をしたあの時間が、その一言で全てゴミと化した。いや、正確には『家族にとって』ゴミとなったというべきだろう。


――そこから先の事は覚えていない。目の前が真っ暗になり、まだ肌寒い合格発表の場で、周りの人間の喜ぶ声を聞きながら、俺は黙って膝を付いて呆然としていた。


――両親と二人の兄は落胆していた。両親は憐れんだ目で俺を見て何も言わずに背を向けて去り、二人の兄は嘲笑を零した。


――俺の中にあったのは両親の期待に沿えなかった絶望と、兄二人に追いつけなかった失意。そして何より「これまでの人生は何だったのか」という無力感だった。


「は、はは……」


――結論として、俺はその日。まるでいつものように塾へ向かう感覚で環状線の駅に向かい。電車がやってくる線路に、身を……




………………




「ここは……?」


 龍太郎がその次に見た視界は、一面真っ白だった。足元は白いパネルの上を歩くような感触、地平線と言うものはなく、例えるなら全面が白で覆われた部屋のような場所にいるように感じた。


「俺は、死んだんじゃないのか?」


 そんな疑問を抱いて今の状況を整理しようとしていた時、どこからともなく「ガチャ」という音が聞こえてくる。ドアノブがひねられたような音に気が付き、龍太郎は周囲を見渡す。すると、さっきまで白い壁だと思っていた場所がドアのように開いて、向こうから髭の老人がやって来た。


 白のローブに魔法映画でしか見たことのないような長いヒゲ。龍太郎はそれを見て、初めに「この部屋をして、目に悪い老人だ」などと不遜な事を考えていると、老人の方から話しかけてきた。


「おいおい、目に悪い老人とはずいぶんな物言いだな。おっと失礼、ワシに言うつもりはなかったんじゃな」


 心を読んだかのような反応。龍太郎は、この状況を見て、学校での流行りものに関するクラスメイトの話を思い出した。


「……もしかして、これが流行りの異世界転生とかいうやつなのか?」


 龍太郎からの言葉に、老人は意外とでもいうように目を丸くした。


「ほう、驚いたのう。勉学一辺倒の真面目人間からその言葉が出てくるとはな。そういう所に生前から目を向けておれば、もう少し自由な人生じゃったろうに」


 老人の言葉に、龍太郎は口を結んで不快感を見せる。まるで他人の人生を知っているかのように語る目の前の人物に対して、頭ではわかっていても苛立ちを覚えてしまう。


「ご高説痛み入ります。それで俺の質問の答えは?」


「いいのう。お主もいい性格になったわい。もちろん答えはイエスじゃ」


 龍太郎からの皮肉もどこ吹くで、老人は暢気な口調で龍太郎の質問に答えた。


「お主が自覚しておる通り、お主は駅で電車に轢かれて死んでおる。じゃがお主のこれまでの人生が積んできたものが報われるようにと思って、お主には異世界転生のチャンスを与えよう」


 学校の教室で、自分が参考書やノートと向かっている時に、度々聞こえてきたそんなセリフ。自分とは無縁だと思っていたそんなセリフが、今こうして目の前で繰り広げられているという事に、龍太郎は先ほどの老人の『そういう所に生前目を向けていれば』という言葉を身につまされた。


「もちろんただ転生したのでは野垂れ死ぬのがオチじゃ。じゃからお主には特別な能力を一つやろう。これはワシからお主の人生に対する報酬じゃ」


 能力。その言葉が龍太郎の心を俄かに掻き立てた。それは、不合格のあの場所で両親や兄からさんざんに言われた言葉から来ている。そう、自分に能力があれば……そんな希望が、今ここで叶うのであれば、それを無下に断る理由はなかった。


――その世界はどんな場所だ?


「異世界エメラクサス。剣と魔法と中世の国じゃよ」


――文化レベルは?


「馬車の世界、と言ったらいいかの?」


――食生活はどうなっている?


「お主らの世界と同等のものが食されておるよ」


――それじゃあ……


「それじゃあ、俺は知識の能力が欲しい。特に魔法の知識だ」


 龍太郎がそう言うと、老人は何処かあきれ顔とも取れる表情を見せて、やれやれと両手を広げた。


「お主、やはり自分の人生に侵されておるな。今際の際のこの場所でさえそのような考えに至るとは、さすがに両親の教育が行き届いた結果だけはあるのう」


「なっ……」


「ほっほっほ、さっきの皮肉のお返しじゃ。さて、お主の要望聞き入れよう。ではお主を異世界エメラクサスに転生させる。そしてワシからの餞別として『全属性の魔法および魔法錬成』の能力を授ける。あぁ、あとおまけに魔力も無尽蔵にしておくぞ」


 老人はそう言うと指を鳴らす。




パチン!




 老人の指の音が反響するかのように響き渡った瞬間。白い部屋の白い壁が、まるで霧が晴れるように消えて行き、透明な壁となったその足元に、広大な海と数多の大陸が並ぶ世界が広がった。


「これが……エメラクサス」


「そうじゃよ。これからお主が新たな人生を送る場所じゃ」


 そういう話をしていると、やがてこの部屋が高度を下げて、その大陸の一角に落ちていく。スカイダイビングのように落下していく様子に、龍太郎は久しぶりの新鮮なドキドキ感を味わった。


「さて、地上に降り立ってこの部屋を出れば、あとはワシと出会う事はない。そこから先は良くも悪くもお主の選択じゃ」


「わかった」


 短い言葉と共に、龍太郎はこの部屋が地上に降り立つのを待った。だが、それだけでこの場所を去るという事に後ろめたさを感じた龍太郎は、ふと老人に振り返りその目を見た。


「何じゃ?」


「さっきは、色々突っかかって悪かったよ。あんたが神様みたいなものなら、俺の人生なんて知ってて当然なのに、知った風な口を聞いたのが許せなかったんだ」


 老人に対する謝辞。龍太郎のその言葉を聞いた老人は、目を細めて龍太郎に返す。


「……やはり、お主のような若人が死ぬのが一番つらいのう。幾度となく転生を助けてきたが、やはりいたたまれない事もあるわい。そうじゃ、そんな言葉をかけてくれたお主に、ワシからアドバイスじゃ」


「アドバイス?」


 そんな言葉と共に部屋は森林地帯の開けた場所に降り立ち、二人の身体に着地の衝撃が伝わる。そして老人は三つの指を立てて口を開いた。


「ひとつ。この世界は多くの転生者が住まう場所じゃ。お主と同じように現代日本から来たものも多い。もし困ったらそいつらを探すのも手じゃよ」


「ふたつ。この世界には冒険者という便利屋はない。お主が何をしたいかによって自分の役割を選ぶ必要がある。有り体に言えばジョブと言うものじゃな」


「そしてみっつ。エディミアには……気を付ける事じゃな」


「エディミア? それは一体……」


 そこまで言うと、老人が出入りしていたドアが「カチャッ……」と静かな音を立てて開く。その扉の向こうには、この部屋で見える風景と同じ森林地帯が広がっており、それが示すものは「ここからこの異世界生活が始まる」という事だった。


「では、元気に暮らすんじゃぞ。おっとそうじゃ、この世界はカタカナ語での呼び名が一般的じゃから、お主も自分の新しい名前を持っておくといい」


「新しい名前、か……」


 龍太郎はそこまで言われて、ドアを出る前に少し考える。オリジナルの名前を作れと言われてもそれを考えつく様なアイデアまでは持ち合わせていない。そう思い、自分の名前から連想できる名前を考え、そして龍太郎は老人に告げた。


「……トライ・リュウだ」


「うむ。ではエメラクサスに踏み込むとよい。達者に過ごすんじゃぞ、リュウよ」

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