消費の果てに
かつて、ある子どもが不審死を遂げた。
記録上は「事故死」、だが本当は、親の虐待だった。
その両親は社会から責められることもなく、補償と“名誉”を手に入れた。
「提供者家族」として。
「貢献度の高い遺族」として。
それから数年後。
母は“元被害者家族”としてマスメディアに登場し、心のケアの重要性を語り、
父はSNSで自己啓発を発信する「副業成功者」になっていた。
その収入で、日々を着飾り、豪華な食事をSNSに投稿し、
母は人気スマホゲームに課金しては「ガチャ動画」でバズりを狙った。
言葉にできない罪悪感を埋めるように、
「今を楽しむことが大切」と何度も口にしていた。
──そんなある日。
テレビのワイドショーで、冷たい口調のアナウンサーがこう読み上げた。
「重課金型スマホゲームが“依存性リスク”を高める可能性。
東京大学・京大・慶応大学の共同研究によると、
長時間プレイ+高額課金は、脳の前頭前野に“軽度の変性”を促す可能性が。
また、40代以降の進行は認知症初期症状と極めて類似……」
母は、笑っていた。
「そんなの、研究者の妄想よね」
けれど、数日後には「昨日の食事」を忘れ、
1週間後には、自分の名前を漢字で書けなくなった。
父もまた、妙に些細なことで怒るようになり、
自分の発言の矛盾を他人に責任転嫁するようになった。
だが、彼らはまだ信じていた。
「自分たちだけは、大丈夫」だと。
そして届く、一通の通知。
マイナンバーカードのアプリ画面にこう表示される。
「社会貢献適正化制度・仮登録完了」
対象者:40代〜60代/要再評価/生活機能に影響あり
詳細は登録医療機関でご確認ください
その下にあったQRコードは、彼らの行き先を決める道だった。
翌月、二人は“認知ケア支援センター”という名目である施設に入所する。
その施設の実態は、
「身体的に使用可能な臓器を、倫理審査を経て再活用する再資源化プログラム」の施設だった。
母は施設での生活に入ってから、医師の指導で“スマホ断ち”を始めた。
最初の数週間は情緒不安定だったが、
ある日を境に、表情が落ち着き始め、簡単な会話もできるようになっていた。
診察記録には、こう記されている。
「前頭前野の活動に一部改善の兆しあり」
「軽度の記憶再構成が可能になっている可能性」
その夜、母はベッドに横たわったまま、
天井を見つめて、何かを思い出すように声を漏らす。
「……たすけ……て」
それはかつて、誰かが何度も口にしていた言葉だった。
誰に向けたものかは、わからない。
だが、それはあまりにも人間らしく、あまりにも遅すぎた懺悔だった。
直後、脳波モニターは水平線を描き始めた。
彼女の肝臓は、若い交通事故の男性へ。
彼の腎臓は、重度の糖尿病を抱えた政治家へと。
どこかでまた、“命がつながった”。
けれど誰も知らない。
彼女がかつて“救えなかった命の母親”だったことを。
その記憶が、最期の瞬間だけ戻っていたことを。