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夫の無念

 夫の無念



「ありがとうって、誰が言った?」

澄子がいなくなって、七日が経った。

健一は、家の中にただ一人で座っていた。


台所には澄子が使っていたままの食器。

リビングには彼女の編みかけの毛糸。

誰も片付けなかった。

いや、片付けられなかった。


ラジオが流していたニュースは、こう告げた。


「一部地域において、"社会資源貢献モデル実証実験"が開始されます。

地域の高齢者医療負担軽減を目指すものであり、対象地域、対象者は非公表とされます。」


健一は、そのニュースを、ぼうっとした頭で聞いていた。

まるで、自分には関係ないことのように。


 


ある晩、スマートフォンに奇妙な通知が届いた。

発信元不明。送信者名もない。


震える手でタップすると、画面いっぱいに文字が浮かび上がった。


「対象者番号:1574381 取扱完了」

「状況:生体機能停止確認済」

「提供臓器一覧:肝臓、腎臓、角膜、心弁組織」

「未来社会へのご貢献に、深い敬意と感謝を。」


その文面を読み終えた瞬間、

スマートフォンの画面がノイズに包まれ、文字がすべて消えた。


何も、なかったかのように。


 


健一は呆然とスマートフォンを見つめた。

再起動しても、履歴を探しても、そのメッセージはもうどこにもなかった。


夢を見たのだろうか?

現実だったのか?


いや、そんなはずはない。

だが、確かに見たのだ。

妻の名前も、臓器の名前も。


 


翌日、郵便受けに1通の手紙が届いた。

またしても、差出人不明。

中には、たった一言だけ。


「記憶に頼らず、未来を見なさい。」


誰が書いたのか。何を意味しているのか。

考える気力さえ、もう残っていなかった。


 


その夜、マイナンバーカードにログインするように通知が来た。

健一自身のステータス更新のお知らせだった。


画面には簡素な文字列が並んでいた。


ステータス:予備対象

次回選定予定日:令和X年6月1日

スコア詳細:生活自立度C / 医療依存度B / 社会貢献ポイント 減算中


スマートフォンを持つ手が震えた。

誰も彼も、番号とスコアでしか呼ばれない。

命も、死も、紙切れ一枚。


隣にいるはずだった澄子の笑顔が、脳裏に浮かぶ。


もう、どこにもいない。


健一は、スマートフォンを静かにテーブルに置いた。

そして、座ったまま、動かなかった。


ただ、外で春の雨が降り続いていた。



 境界線はもうない


 健一の物語は、ここで終わりではなかった。

――少なくとも、彼はそう信じていた。


妻の死を「制度」によるものだと直感した彼は、

自らのマイナンバーに隠された履歴の照会方法を模索し、

古い通信記録や、地域の医療処理ログ、廃棄された福祉資料までかき集めていった。


手に入れた記録は、断片的で、矛盾に満ちていた。

しかしその中に、澄子と同日に「移植提供者」とされた3名の情報があった。


ひとりは郊外の独居老人。死亡通知のあと住所が抹消されていた。


ひとりは精神病院から突然退院したまま消息不明。


そしてもうひとりは、健一自身が一度だけ話したことのある、ご近所の主婦だった。


すべて、"なかったこと"にされていた。


 


だが、それでも健一は動いた。

ある日、彼は匿名の手紙を受け取る。


「あなたの追跡行為は制度の妨害にあたります。

今後、ログイン履歴は記録され、今後の審査に影響します。」


彼は怯えた。

だが止まらなかった。


翌日、彼は自宅で倒れているのを発見された。

公式発表は「脳出血による突然死」。

しかし、マイナンバーに登録されていた彼の臓器情報が、

その翌週、3件の移植手術に利用されたと記録された。


執念は、届かなかった。

けれど、その“行為の記録”だけは、どこかに残った。

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