「明日、迎えに来るよ」
「じゃあ、明日また迎えに来るよ」
そう言って、健一は妻・澄子を玄関で見送った。
いつもの散歩、いつもの距離。
ただ、今日は病院で簡単な健診を受ける予定だった。
それだけのはずだった。
澄子は75歳。
少し足腰は弱ってきたが、頭はしっかりしていた。
数独が得意で、玄関には毎朝「日めくりカレンダー」がちゃんとめくられていた。
「足の調子見てもらってくるわ」
それが最後の声になった。
夕方になっても、澄子は戻ってこなかった。
携帯も通じない。
病院に電話をしても「本日そのような受付記録はありません」とだけ告げられた。
健一は慌てて交番へ行った。
だが警官はどこか機械的で、表情も曖昧だった。
「しばらく様子を見ましょう。高齢者の方は時折、道に迷われることもありますので…」
そう言われ、形式だけの“行方不明届”が受理された。
だが健一には、妙な胸騒ぎがあった。
澄子は道に迷うような人間ではない。
第一、散歩コースも、かかりつけの病院も、もう何年も変わっていなかった。
その夜、ポストに何かが届いていた。
白い封筒。差出人なし。
中には1枚の紙。淡い文字でこう書かれていた。
「対象者番号:1574381 取扱完了」
「処置日:令和X年4月24日」
「状況:生体機能停止確認済」
「備考:回収対象適正基準内」
差出人の記載はない。病院名もない。ただ、下部に細かく印字されたQRコードがあった。
健一はその晩、一睡もできなかった。
早朝、再び交番へ向かったが、受付は「進展はありません」と繰り返すだけ。
3日後、澄子の名前は「地域行方不明者リスト」から削除されていた。
代わりに、区役所の広報掲示板にこんなポスターが貼られていた。
「未来に役立つ、静かなご協力をありがとうございました」
「—貢献は、あなたの心だけでなく、身体からも—」
その下には何のロゴもなく、ただ無機質なホログラムマークだけが光っていた。
健一はただ、ポスターを見上げるしかなかった。