たって
翌日、紗奈は警視庁を訪れていた。
「ようこそおいでくださいました、桜庭紗奈様、小鳥遊大和様」
「はい。わざわざありがとうございます」
2090年代、身寄りがない人間の遺産は全て相続遺産管理AIによって一括で管理されていた相続人の有無は常に監視されるようになり、身内ではなく友人を立てる場合には事前に登録することが義務付けられ、すべての手続きは円滑に進むようになっている。
(弁護AIとは別に相続遺産管理専門のAIが生まれたのは2070年代に入って身寄りのない人間が爆発的に増加したからである)
圭は、しかし紗奈の名前を登録してはいなかった。遺産といっても、圭は16歳で遺産らしき遺産はなかったため、寮の中で圭が使っていたものはすでに処分された後だった。
残っていたのは事故現場に置いてあったパソコンだけ。
紗奈は無理言ってそのパソコンと圭の事故のデータを残してもらい、福岡から東京まで持ってきてもらったのだった。
「――――事故死で確定、ですか」
データを見せてもらう。
そもそも圭が行っていた研究は、理論自体は50年以上前から存在していた。
デジタル情報だけで構成されたアバターやクローンでは、生前の人間の意識まではコピーできない。そうではなく、意識そのものをデジタル化するためには生存している状態で脳を取り出す必要があると長い間考えられ、そこから生じる倫理的な問題から、研究が止まっていたのだ。
つまり安楽死を是とするかが問題だった。
安楽死という制度がようやく受け入れられたのは2070年。様々な事件の先に、ようやくのことであった。
そうやって研究が否応なしに止まっていた間も、研究者たちは熱心に努力した。
脳を実際に取り出さずに意識をデジタル化する方法を模索し出したのである。脳と機械を一体化させ、次第に機械のみで動くようにすることが、現在の研究者たちのメインテーマだった。圭の師事する教授はこの第一人者である。
圭がやっていたのはその派生系で、脳波をAIを使って解析していくもの。今回の事故は、AIの暴走として片付けられた。人手不足から研究チームの中で変わる変わる実験体となっていたところ、圭が不運に見舞われたのであった。
見たところ、データにおかしなところが見当たらない。
「ありがとうございます。パソコンも、見ていいですか」
幾分か落胆しながら、紗奈は圭のパソコンを開く。紗奈は圭が日記を書いていることを知っていた。いつか洗脳された時にすぐに気づくようにとお守り代わりに書いていた。
(圭が脳のデジタル化の研究をするって言い出したのも、そのためだったっけ)
紗奈は自分がどれほど迷惑をかけていたのかに気づいて軽く笑った。
事件の日の2日前からの日記を見る。プライバシーの侵害だって怒ってくれるなら本望だった。大和も横からその日記を覗き見る。
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7/12
高校生活にも慣れてきた。興味がある授業がないので、昼は斎藤教授とリモートで研究成果発表をした。夜ご飯はハンバーガー。明日は教授が来る。教授と先輩たちと一緒にご飯に行く。
7/13
寝坊。教授が来るのを楽しみにしすぎた。昼は研究。夜ご飯はバイキングに行った。フライドチキンを先輩が皿に死ぬほど積んできた。お腹いっぱいすぎて死ぬかと思った。フライドチキンは二度と食べない。教授と別れ、22時に帰宅。
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紗奈は、目を見開いた。
「7月14日の分は、ないんだな」
大和が言った。紗奈は震える声を隠しながら、
「事故にあった日だもの。圭は夜寝る前に日記を書くから」
と言った。
「ここに書かれていることは事実でした。斉藤教授も、鷹見圭の先輩も、バイキングに行っています。急に福岡に行った齋藤教授ですが、翌日には東京に戻っています」
言葉が耳を滑る。紗奈にはもうどうでも良かった。
フライドチキンは二度と食べない。
紗奈はもうここに用事はないと、お礼を言って警視庁を出た。
(やっぱり)
紗奈は確信を持つ。
(やっぱり圭は生きてる)
だってこれは、紗奈が決めた嘘の合図。圭はちゃんと覚えていたのだった。
「大丈夫か、紗奈」
紗奈は大和の胸に飛び込んで、あたかも圭の死に悲しんでいるよう擬態する。大和はそんな紗奈の背を優しく撫でた。
「大丈夫だ。これからは俺もいるから」
紗奈は大和の胸の中で考え込んでいた。
(小鳥遊研究所のデータを集めなきゃ)
圭が生きていると確定した今、紗奈はやる気に満ち溢れていた。圭は今、自分のために動いているという確信があった。
(………今、どこにいるんだろう)
紗奈のヒーローが、今どこにいたとしても。
(迎えに行くと約束した)
北海道から旅立つ最後の日、交わした約束を思い出す。
紗奈はお姫様のように圭に大事に大事にされてきた。守られ、愛され、癒されて、毎日幸せに生きてきた。
今度は、紗奈が迎えに行く番だ。
「大和」
「ん?」
「私、大和のこともっと知りたい」
きゅ、と大和を抱きしめる。背中を摩っていた大和の手が止まった。
「は」
「こうされるの嫌?」
上目遣いで大和を見上げる。自分が一番可愛く見える角度はよく知っていた。
「や、じゃない、けど……」
「本当?へへ、大和の匂いって落ち着くね」
弱っているふりをして、大和に思いっきり甘える。
「これからいっぱい教えてね。私には、もう………」
目にためた涙をこぼしながら、無理して笑って見せた。
「大和しか、いない、から…………」
固まっていた大和は、腰を曲げてその大きな手で紗奈の頭を撫でた。
「大丈夫。俺は紗奈の味方だから」
「嘘じゃない?」
「……紗奈に嘘はつかないよ」
紗奈はこの時決めた。
何を為してでも、必ず圭に手を出した人間をぶちのめす。
(悪女にだって、怪物にだってなってやる)
その手始めに、一番怪しいこの男の家族を調べあげる。この男を利用して小鳥遊研究所を探る。
「ありがと、やまと」
紗奈は花が綻ぶように笑って見せた。