かま
紗奈は、まだ2回しか両親とご飯を食べたことがない。小中学生の時は他の生徒同様、寮でご飯を食べていたし、東京行きが決まって東京に引っ越してからも、大和とご飯を食べるか、一人で食べていた。
両親とご飯を共にしたのは、東京に来た初日と、大和との初顔合わせの時だけだった。
頼めば一緒に食べてくれるとわかっていたけれどそうしなかったのは、両親への無感情から。
愛されたいとは思わなかった。だってその愛は、大和が、そして何より圭が捧げてくれていたから。
ずっと、圭しかいなかった世界に、大和が今は入ってきていた。兄のように思っていたのだ。
(…………圭)
紗奈は中学生の圭を排除しようと動いた勢力に指示したのは両親だと確信している。大して会ったことのない両親なんかよりも、ずっとそばにいてくれた圭の方がよっぽど大事だった。
「いただきます」
紗奈の父も母も料理をしない。会食だのなんだので美食を食べる機会がたくさんあると言うのに、紗奈の両親は食に無頓着らしい。紗奈は両親へのインタビュー記事でそれを見たから、出鱈目かもしれないが。
「それで」
紗奈の父がナイフを置いた。
「急に何だ?」
察しが全くつかないのか。あるいは、全てを知って惚けているのか。
「鷹見圭のことよ」
紗奈は顔が硬らないように気をつけた。横では大和が心配そうにしている。
「ああ、亡くなったんだって? 残念だったな」
紗奈の父は、何でもないことのようにそう言った。
ステーキにナイフを通す。
ザクザクと切ったステーキを紗奈の父は口にゆっくりと運んだ。
残念だったな。
どこまでも他人事。
社交辞令として言っただけの台詞。
心なんてどこにも見当たらない。
「お父さんたちも知ってるのね?」
どうやって詰めようかと悩む。父と母の仕業なのかはまだわからなかった。
「ニュースで見たもの。痛ましい事件だったわ」
「そうだな、脳のデジタル化はまだしばらくは実用化できないだろうな。期待してただけに残念だ」
紗奈はもう一歩踏み込むことを決意する。だってこのままじゃ埒が明かない。
「そんなに脳のデジタル化に期待してたの? 遠くで誰かが死んだってニュースで見たところで、普通名前まで覚えないじゃない」
なんてことないように、
温度のない言葉で、
世間話の一種のように、
紗奈は言った。
「ああ、名前と地名を見て思い出してな。そういえばお前の好きだった人は福岡にいったんだったかと。…………ああ、大和くん、気にしないでくれ。もうずっと昔の話なんだ。そう、小学生のころの話だ」
焦ったように大和に弁解する様は無様で、紗奈は確信する。
(違う)
圭を狙ったのは違う人間だと。
(二人とも、圭が福岡行きが決まった時点で興味を失ってる)
おそらくそれは、遠距離で連絡も取れない人間同士の恋が成立するとは微塵も思っていないからこそだった。紗奈と圭の間の愛は子供特有の淡い思いだと信じている。
両親の愛は希薄だ。互いのことをちっとも気にしてはいない。両親にとっては国と権力への愛の方が互いへの愛よりも重要だった。
彼らは圭の存在がこの婚約の支障になるとは思っていない。
(おそらく、圭を福岡行きにしたのは二人)
そうしてその時点で興味を失ったのだろうと推測する。裏を取る必要はあるが、概ね合っていると思えた。
だからこそ疑問だった。
両親が犯人でないとするならば。
いったい誰が圭を狙ったと言うのだろう。
紗奈は大和を伺いみた。
他に動機があるのなんて、大和か大和の両親以外にいない。小鳥遊家には、紗奈と大和の婚約を何が何でも成立させたい理由があってもおかしくない。
(そもそも)
紗奈はその頭を捻った。
(経済的に安定していて順調に成果を出している小鳥遊研究所が、この婚約を欲した理由がわからない)
実際に会うまでは補助金を目的にしているのだと思ったが、どうも違うようだった。大和は金払いが良すぎるし、持ち物も豪華。大和の両親もそうだった。
研究が行き詰まっているのかと尋ねても、順調だと大和は言うばかり。本当に目的が見えないのだ。
(両親がこの件に関わりがないことと圭の死亡が事実かを確認して、小鳥遊家の婚約の目的を洗い出す――――はっ、やることだらけね)
とはいえ、忙しいほど燃える性質。
やるしかないと覚悟を決めた。
***
大和は研究室の椅子に腰掛けていた。
記憶がないほどの昔から使っている椅子ではあるが、素材が上等すぎて経年劣化が見えない。
『鷹見圭は消しておいた。桜庭紗奈を堕とせ。これでお前でもできるだろ』
大和は研究室の壁に映る父をその美しい大きな目を細めてみていた。大和は黒いチョーカーにそっと触れた。
『状況はどうなんだ』
大和は右側の口角をゆっくりと持ち上げた。
「上上です」
スクリーンに映る大和の父がその顔を歪める。大和と似ても似つかない顔は醜悪だった。
「今彼女は俺を兄のように感じているようです。鷹見圭が消えれば、彼女に頼れる人間はいない。いずれ俺を頼り、俺に依存するでしょう」
大和は淡々と告げた。
それは、あり得るかもしれない未来。
『そうか。ならいい』
大和の父は愉快でたまらないようで、目を片手で覆って、その口を大きく開いて笑っている。
『犯人探しを彼奴が満足するまで手伝ってやれ。どうせ俺らには繋がらない。お前は自分が彼奴の味方であることを印象付けろ』
「はい」
『鷹見圭は消えた。あいつさえ消えれば、あの小娘は婚約を受け入れ、俺の傀儡になる素質がある』
桜庭紗奈が鷹見圭を心の支えに生きてきたことは調査済みだった。両親に愛されず、唯一自分を愛してくれた人が死んだと別れば、大和に依存することは容易だと大和の父は踏んでいた。
大和は美しく、聡明で、人類の理想を体現したような男だから。
弱っている時のそんな男に愛され守られて、好きにならない女などいないと考えていた。
なにせ大和の美貌は人の好みを超越している。
「…………圭さんは、亡くなったのですよね」
『ああ。それは確実だ』
「ニュースの通りですか?」
『そうだ。脳のデジタル化の実験の途中でな。機器に細工をさせてもらった。アンドロイドが射殺したからデータも取れている』
大和は重々しく頷いた。
「了解しました」
大和の従順さに満足した大和の父は、最後に展望を告げる。
『あの女は未来の総理大臣候補だ。絶対に言いなりにしておけ。お前以外を信じないようにな。いずれはあの家全部を乗っ取るぞ』
大和が返事をする前に通信は切れた。
休む暇もなく、大和はそばに立っていた母から命令された。
「実験を始めるわよ。準備しなさい」
「はい」
大和の動きに合わせて、黒いチョーカーの飾りが揺れた。
 




