しか
高校まで迎えに来た大和は、それはそれは目立っていた。その美貌に女子生徒どころか男子生徒も目を奪われている。大和は黒の半袖セットアップに無地の白のTシャツ、そしていつもの黒のチョーカーをつけていた。
「紗奈さん!」
紗奈を見つけるなり手を上げて嬉しそうに顔を綻ばせる。流れ弾を喰らって、周囲の女子高生が顔を赤らめていた。
「大和、待たせてごめんなさい」
東京の高校は、他の県にはほとんどない、大学と一体化したものだ。東京以外では、北海道、愛知、大阪、福岡、京都に存在する。人口減の中でも世界における科学力の順位の維持を目指すべく、優秀な若者を早いうちから研究者として育て上げるための機関として発達したのだ。
あまりに優秀な生徒は、中学時代から駆り出されることもあった。圭も紗奈もその類いである。
「いや、全然。行こっか」
街を周回している個人用の車に乗り込むため、大和はその手をちょうど前を横切った車にかざした。認証完了。人差し指にはめていた指輪から清算が完了する。ドアがひとりでに開いた。
「どうぞ、お姫様」
「うふふ、ありがとう」
「………だめだ耐えきれない」
「のってあげたのに裏切りやがって!」
今日は二人で街で話題のインド映画を見に行く予定だった。フルダイブ型の映画に、今朝までの紗奈は期待でいっぱいだった。
こんな感情では映画の内容も頭に入らないだろうと自分でも思う。それでも大和が楽しみにしていたことを知っているから、何となく言い出せないでいた。
「………やめとくか?映画」
大和は言った。紗奈は驚いて顔を上げる。
「知ってるの?」
「ああ。そりゃもちろん。ニュースになってたし、それに――」
大和は下を向いている紗奈の頭を軽く叩いた。
「婚約者の恋人の名前くらい、知ってるさ」
今日一日、紗奈はずっと気張っていた。それが今、大和によって決壊した。
「…………じ、自分で確かめるまで、信じられない」
「うん」
「…………圭が私を残してこんなところで逝くはずない」
「うん」
「…………ねぇ、圭は、生きてるよね」
大和は紗奈の頭に自分の顎を乗せた。紗奈が心置きなく涙を流せるように、紗奈が弱音を吐けるように抱き止める。
「それを、確かめにいかなきゃな」
その優しさに気づいたけれど、紗奈は涙をすんでのところで堪えた。
泣くもんかと意気込んで、笑顔を無理矢理作る。今はまだ、泣くべきではないと思った。弱音は吐きたい。これからしばらくしたら両親の元へ行くと思うと吐き気がする。
それでも、まだ踏ん張らなければいけないと思った。
まだ何も決まっていないのだから。
「ありがと、大和」
紗奈は大和腕の中で、くぐもった声でそう言った。
「あのさ」
「なんだ」
「私が20になったら結婚するって決まってるじゃない?」
それは、婚約が決まった時からの約束事。紗奈と大和は、紗奈が20になった、2102年に結婚することが決まっている。
「このままじゃ、私たちの婚約はそのままよ。いつ動く?」
紗奈は当初、圭の安全が確約されるだけの力をつけ次第、この婚約を破棄するつもりだった。ブラックホールの研究に力を入れているのはそのためだった。大和とその間いい関係を気づけていれば、円満に婚約を白紙にすることができると踏んでいた。それだけの能力はあった。
しかし前提は崩れた。圭が生きているのか死んでいるのかは別にして、姿を消したのだ。
紗奈は圭が姿を消した原因が家にあるのなら、家のために婚約するなんて絶対にごめんだった。
もし、家が関係なくて、本当の本当に圭が研究の果てになくなったのだったら――――
考えかけてやめた。縁起でもない。
大和は言葉を選びながら、真摯にその言葉に応えた。
「圭さんの件が明らかになってから考えるべきだ。調べるあてはあるのか?」
紗奈はその手を強く握った。爪が手のひらに食い込んで痛む。
「癪だけれど、権力を使うわ」
大和は目を見開いた。
「警視庁の伝手を辿る。あと怪しいところをしらみつぶしに調べるつもり」
大和は否定しなかった。おおかた予想通りだったのだろう。「あんまり危ないことはすんなよ」とだけ言って、ここにいない誰かを睨みつける紗奈を責めることはしなかった。
「大和はそれで大丈夫なの?期限はないの?」
大和は不意を突かれて一瞬固まった。言葉を懸命に探す。
「2100年には、決着をつけたい」
「どうして?2100年までに相手に何かあるとか?」
好奇心から紗奈は突っ込む。この秘密主義な婚約者が口を割るとは思えなかったが、気になってしまったのだ。
意外にも彼は答えてくれた。
「2100年になったら、妹が12になる。妹に婚約者が決まる前に、決着をつけたいんだ」
「え、妹いるの?」
今度は紗奈が目を見開く番だった。
「……いるかな」
「えー、てことはなに?今9歳?いいなぁ」
一人っ子の紗奈は兄弟に強い憧れがあった。
「可愛いでしょうね」
「まぁ俺の美貌を引き継いでるよ」
「腹立ついいかた〜」
とはいえ、実際に大和の美貌はまるで人ならざるもののようなので、妹も相当美しいのだろうと紗奈は思った。彼の両親はどちらも彼ほど飛び抜けた美貌を持つわけではないから、子供の顔なんて親を見ただけではわからないと紗奈は思う。
「あ、ほら。ついたぞ」
どうやら大和は映画館の代わりに公演を目的地に設定し直したらしい。紗奈が大和の胸を借りているうちに違う命令で上書きしていたみたいだった。
公園は広く、青い空が街中で見上げたそれよりもずっと大きく見えた。
「あーなんだ」
首の後ろを押さえながら大和は言いずらそうに言葉を発した。
「圭さん、宇宙葬したんだろ。紗奈さんの立場的に通夜にも葬式にもいけなかっただろうから」
その通りだった。
紗奈がニュースで知った時にはすでにもう、圭は通夜をされたあとだった。
ニュースで知るまで、誰も圭の死を教えてくれなかったのだ。当然ではある。紗奈は圭の元恋人であるだけで――ただの他人なのだから。
その事実が無性に悲しかった。
宇宙葬をするには専用の宇宙船に遺灰を乗せる必要がある。圭が亡くなったとされる翌日の午後――つまり今頃、圭の遺体は調べ尽くされ、焼かれ、空に打ち上げられるという。
AIの発展で捜査のスピードが飛躍的に速くなったとはいえ、通常よりもずっと速い。圭が身内のいない人間だったことと、圭が高校入学前に書いた遺書――宇宙葬を希望することと葬式を開かないこと――が関係していると言える。
紗奈は朝、学校まで向かう車の中で福岡に行ってやろうかと考えたが、すんでのところで思いとどまった。圭が何者かに命を狙われた結果だとしたら、その手は下の下だからだった。紗奈は圭が死んでないという方に賭けた。
「だから空がよく見えるここでさ、圭さんが今、生きてるとは思うけど、それでも」
大和の思いやりを痛いほど感じた。大和の言わんとすることはよくわかった。もし仮に、本当に亡くなっていたとすれば、今圭はこの空に上がっているところだろうから。
今のうちに今後の進退を決めておけと言うことだろう、と紗奈は察した。これから両親の――容疑者たちの元へ向かうのだから。
この公園は近所で一番標高が高い公園だった。それも大和の計算の上だった。
「ありがとう」
紗奈のお礼に、
「いーえ。愛しの婚約者のためですから?」
と軽口を叩いた後は、大和は何も言わなかった。
ただずっと、紗奈のそばにいた。