たて
カーテンが自動で開き、紗奈の顔を光が照らす。
「7月19日。晴れ。今日の最高気温は37度」
ペラペラと話し始めた窓を目をこすりながら伺う。窓とカーテンが一体化したそれは、紗奈を毎朝叩き起こしてくれる。起きるまで永遠にニュースを読み続けるのだ。その上、音量は次第に上がる。二度寝だっておちおちできない。
「本日のニュースです」
流石に起きないと高校に遅刻するので、紗奈は声でベッドを起動させ、自分が立ち上がるのを補助してもらった。
洗浄機に入り、髪を洗ってもらって乾燥機に入る。その間もニュースは途切れ途切れに聞こえてきた。紗奈が起きたことを感知したのか、音声は通常の大きさに固定されていた。
「福岡県――16歳だん――――意識不明――――確認されました」
乾燥機の音で途切れ途切れにしか聞こえなかったニュースが気になって、紗奈は髪を乾かす途中で文字表示モードに切り替え、目の前でニュースを確認できるようにする。
そうして気づいた。
福岡県
16歳男性
鷹見圭
滑るように文字を追っていた目が、あるところで止まる。
「うそだ」
見間違いかと疑って何度も確認する。見間違いではなかった。それは圭の死亡を無慈悲に告げていた。
「脳のデジタル化の実験の途中で脳が壊れて人を襲い出した………?」
読み進めていくと、圭の研究と重なる文字が踊っていた。
「正当防衛の結果アンドロイドが鷹見圭を射殺?」
到底信じられなかった。
信じたくもない。
信じる必要も感じない。
紗奈は圭が死ぬとは思えなかった。
圭が実験でそんなミスを犯すとは思えない。
確信があったのは、前例があったから。
婚約者が決まったと両親が紗奈に告げた時、まだ紗奈は両親のことを信頼していた。だから、恋人がいることを話したのだ。婚約はしたくないと。婚約しなくても、小鳥遊家と縁を結ぶことは可能であると。
そんな前時代的な方法に頼る必要があるとは思えなかった。
そこまで強固な絆を作らなくても、付き合い程度でいいだろうと思った。
だけど。
『そう、どんな人なの?』
『鷹見圭くん。優秀で、最近は脳のデジタル化の研究にも入っているわ』
両親は、紗奈の意思が固いとみるやいなや、圭を処分しようと動き出した。
初めは、洗脳しようと圭が使う電子機器に細工を施した。圭はそれからずっと、自作のパソコンを使っている。そして洗脳されたことがわかるように、細かく日記を書いて保存する癖がついていた。
洗脳がうまく行かないとわかると、事故死を狙ってきた。圭が傷つくのが嫌で、紗奈は圭から離れることを一度は決心した。
『別れましょ』
強がって笑った。中学一年生。だけどそんなの、圭は当然わかっていた。
『そう』
別れようと言う言葉に肯定とも否定とも取れない言葉を口にして、彼はその場を去ろうとした。
追い縋ってくると思っていた紗奈は驚いて、圭の肩を掴んだ。
『い、いいの?』
自分でも何を言っているのだと思った。だけど感情はぐちゃぐちゃにこんがらがっていて、自分でも対処ができなかった。
自分はこんなに圭のことを愛しているのに、
圭は本当はどうでも良かったのだろうか。
向けられる視線や危険に嫌気がさして、
自分のことをきらいになったのだろうか。
怖くなって、突き放すつもりだった紗奈は圭にみっともなく縋ってしまう。圭はしかしこう言い放った。
『俺も』
その黒い目から光が消える。
『俺も別れたかったし』
心臓が嫌な音を立てた。圭の背後でアンドロイドが起動する音がした。
圭の横を素通りしていくそれが見えないほど遠くに行くまで、圭は黙ってそれを見ていた。
『…………よし、行ったな』
圭は紗奈に怒った顔をしたまま言った。作った表情だと言うことは声のトーンでわかった。すごくすごく、優しかったから。
『んで、どうした紗奈。何かあったのか?』
泣くつもりなんて最初からなかったのに、紗奈の目はみるみるうちに涙を湛え、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
こんなに堪えるなんて思ってはいなかった。
圭に自分を嫌いになってもらって、圭が自分のいないところで幸せに生きるところを遠くからみる覚悟くらいは決めていたつもりだった。
『あいつに狙われてた手前ああ言ったけど、紗奈が本気で自分のために別れたいと思わない限りはそばにいるつもりなんだけどな』
紗奈は悟った。
『ごめんね圭』
圭は全部わかっていると言うように、ゆっくりと目を閉じて、もう一度目を開けた。
『私圭を手放してあげられない』
『知ってる』
圭はそう言って紗奈に掌サイズの何かを投げた。
『会話偽装装置。1m以上離れたところから聞くと会話が世間話に置き換わるようになってる。いずれは認識阻害装置も作るつもりだ』
圭を手放そうとした自分の選択が、どれほど愚かだったか知る。とっくの昔に圭は、自分と一緒にいる覚悟を決めてくれていたのだった。
『不安にさせただろ?ごめんな』
見張られている可能性があるから、抱きしめることはできない。しばらくは離れないといけないことは明白だった。
それでも防音装置のおかげで会話ができることに紗奈はずいぶん救われた。
『合図を決めようか』
『合図?』
圭は頷いて、その手を耳に当てた。
『相手を守るためにどうしても嘘をつかないといけない時は、その合図を使うようにしよう』
耳付近にあった髪を軽く触って、耳にかける。
『例えばこうやって、嘘を吐く時は髪を耳にかけるとか、あとはそうだな、紗奈が絶対に嘘だとわかることを言うとか』
紗奈は目を擦って涙を振るい落としながら言った。
『圭がフライドチキンを二度と食べないって言うとか?』
圭は微笑みながら頷いて、髪を耳にかけながら言った。
『クソみたいなアイディアだな』
紗奈も耳に髪をかけながら言った。
『うわ最低』
そうして二人で笑った。
いつだってそうして乗り越えてきた。二人で、一緒に。
だから紗奈はそのニュースを信じなかった。だって圭だ。
紗奈のヒーローはまだ死んでない。絶対に。
「調べなきゃ」
データを集めて、その目で実際に確かめるまでは信じない。
紗奈は動き出そうと乾燥機から出て服を身につける。今日の服は白。圭が生きていると信じて、黒は選ばなかった。
「ティア、父様と母様、あと大和に連絡して、今日の夕食はいっしょにとると」
「かしこまりました。本日の予定を確認しますか」
生活ロボットが紗奈の表情を伺うように頭を横に倒した。
「お願い」
「かしこまりました。本日は8時40分から16時30分までは高校にて研究となっております。17時には小鳥遊大和様が高校までおいでになり、その後二人でディナーの予定でしたが、そちらは先ほど変更しました」
聞き流しながら、紗奈は思考する。
(誰が味方かわからない)
圭が生きていても死んでいても、紗奈の隣にいないことは確実だ。姿を隠したなら隠したで、それなりの理由があると思われた。
絶対的な味方として、圭がいた。今まではずっと。
(だけどこれからは違う)
紗奈は覚悟を決めた。一人で戦わなければならない。
まずは今日のディナーで、父と母に探りを入れる。筆頭候補は彼らだ。身内が一番に容疑者として上がるのは癪だが、そう言う人たちなのだから仕方がない。
(大和は、味方、なのかな)
味方のような気がした。
だって婚約破棄に乗り気なのだ。圭を消す動機がない。
「大和に、話してみないと」
あの秘密主義な婚約者が一筋縄で行くとは思えない。
「戦わなくちゃ」
守られてばかりいるのはもう終わった。紗奈は、一人で進まなければならない。
「警告。高校始業まで、あと30分です」
「やっば!」
紗奈は慌てて駆け出した。