かだ
怒声が上がる、両親の声だった。目を閉じていても容易にわかった。暴れだす彼らを抑えるために、大和の顔をした小鳥遊家の兄弟たちが迅速に動いた。
「どうなってる!!」
「なんの話よ!!」
「いい加減にして紗奈!!」
「認めないぞ! 餓鬼が調子に乗りやがって!!」
紗奈はそれらの怒号が全く耳に入っていないように、夕暮れの湖畔を散歩しているかのような柔らかな笑みを浮かべた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません」
紗奈は指を鳴らす。スクリーンに映像が投影された。
「すべての憂いを今年中に払い、気持ちいい新年を迎えるため、しばしの間、お付き合いください」
スクリーンに映し出されたのは、小鳥遊研究所の映像。カメラマンは受付から応接室を横切り、その横の部屋に手をかざした。
「お前!!!!」
小鳥遊家の両親はそこで叫んだ。
「お前まさか!!」
しかし声は映像をとめるに及ばない。むしろ、人々の関心を引き寄せた。
「ちょっと黙っててよ、父さん」
自身の動きをとめる男の顔に、大和の父は目を見開いた。
「お前は…………!」
「誰だと思う?」
「違う! そんな! そんなことがあるわけが!!」
その部屋の内部が、カメラによって映しだされた。悲鳴が上がる。目を覆う者もいた。それは、あの日圭が手に入れた映像。小鳥遊兄弟の姿だった。
肉の塊としか表することのできないナニカが足らしきものを動かしてケージに体当たりしているところがアップで映った。そこから引きの映像。ナニカは一つではなく、姿かたちは違えど、そのおぞましさは同じだった。
――――おなか、すいた
その一つが声を発したとき、会場からは悲鳴が上がった。その声の主である若葉は、「ひどいな」と苦笑する。目がない子、四肢が合体した子、骨が体を覆っている子、頭が重くて体を支えきれないぬめぬめした体を持つ子、そのすべてが人とはかけ離れすぎていて、人語を話すとは想像もしなかったのだ。
「これ、なんの映像だと思いますか?」
紗奈は問いかけた。両親は抵抗むなしく、小鳥遊兄弟たちに抑えられている。
「これだけでは、わからない方もいらっしゃると思います」
映像が切り替わる。
それは大和がどれだけの温度に耐えられるかを調べる実験の記録映像。
「やめろ紗奈!! おれたちを終わらせたいのか!!」
「あら」
紗奈は悪役よろしく笑って見せた。
「黙っていた方がまだましだと思いますよ? この映像は日本中に流していますので」
そこで初めて、両親は抵抗を止めた。顔から色がなくなる。これ以上映像を観たくないと、床に崩れ落ち、顔を覆った。小鳥遊家の人間はいまだ動じず抵抗を続けている。
「嘘だ…………なんで……」
その間も、映像は回り続ける。
大和が泣きながら、マグマに突き落とされる映像。宇宙空間に生身で放り出される映像。やめてくれと叫んでも、永遠に続く実験を嬉々として見守る小鳥遊夫妻の映像。
そのころには、パーティーの参加者は、概ねを理解していた。
「さて、映像はここまでです」
紗奈はマイクを手に持った。そうして壇上から降りて、両親の前に立つ。
「お分かりのとおり、私の婚約者だった小鳥遊大和と彼の兄弟は人体実験の末に生まれた人間です」
会場の視線が紗奈に集まる。
「真空から75,000気圧までの圧力、数千グレイの放射線への耐性を持ち、1000度付近まで耐えることのできる人間です」
紗奈のスピーチが始まるまでのにぎやかさが嘘のように、その空間は静かだった。
「彼らがなぜ生まれたのか、わかりますか」
紗奈は両親をじっと見た。顔を伏せて惨めに床に這いつくばる彼らを見た。
「彼らがなぜ、生み出されたのか、想像がつきますか!?」
語気を強めて、小鳥遊夫妻を見た。
「彼らは!!」
紗奈の言葉を皮切りに、音声が流れた。
『いやはや、あそこまで成功しているとは』
その声に、全員が首相を見た。我関せずと静観を決め込んでいた首相の顔に、初めて汗がにじむ。
『完全体です。大和と時雨という最新の2体は欠陥もなく生きています』
『他に個体は作らないのか? サンプルは多い方がいいだろうに』
『費用、施設の規模、このプロジェクトに関わっている人間の数を考えるとこれが限度ですね。一度大和という成功例ができてからはサンプルの必要性がないですし』
『成功は確実なのだろう?』
『ええ。AIでのシュミレーションの結果、成功率は極めて高く9割を超えています』
『そうか、桜庭、各国の様子を考えると、子供が成長できるまでの期間を考えれば、今すぐにでも着手する必要があるように思えるが』
『ええ。全ての設備を整えるのに1年でしょうか』
『ああでは年明けすぐに取り掛かろう。日本が滅亡してから後悔するわけにはいかないからな。日本を守るためだ。日本人を生き残らせるために、我々にできることをやらねば』
紗奈は指を鳴らした。音声が止まる。
「第三次世界大戦下でもこの国の民が生き残れるように生み出されました!!」
マイクがハウリングして、耳を刺す。
「そこまでわかっているなら、私たちの意図だってわかるでしょう? 戦争のない世はもう終わる。宇宙資源を機に起こった紛争が、いつ大規模化してもおかしくないんだこの国の民を生き残らせるためには仕方がなかったのよ、ねぇ! 正しいことだってわかるでしょ!」
小鳥遊夫妻は反論に出た。
「それにもう済んだことだろう? もう成功率は高いんだ。そりゃ人体実験なんて非道なことをするのは心苦しかったさ、だけど仕方がないだろう。一人の命でその他大勢が救われるんだ。この国のための研究なんだ。しかも実を結んだ。これが取り入れられるだけで、人々は簡単に死ぬことが亡くなるんだぞ」
小鳥遊夫妻の腕を抑える小鳥遊兄弟の力が強まる。
「悪かったさ、罪は自覚している。だけどこの研究――」
「あーあーあー、ごちゃごちゃうっさいわね」
最後まで聞く必要もない話だった。予想通りの反論だった。
電波にのった紗奈の映像は、瞬く間に拡散されていく。この年の瀬に、日本国民は紗奈たちが配信する映像を食い入るように見ていた。圭も、大和も、時雨も、大笑いした。笑いすぎて涙がでた。大和たちは、宇宙船内部にいた人を眠らせ、運び出しながらその様子を見ていた。
ミネルヴァも、宇宙船発射のための最終調整に入り、もうあと1時間もたたずに出発できる状態になっている。
「国のためですって? 本気で言ってるの?」
紗奈はそこで初めて声を荒げた。
「あなたたちがするべきだったことは、最悪の事態が起こった時のための対処法を考えることじゃないでしょう!?」
紗奈は政治家を志していた。この国が好きで、この国に生きる人々が好きで、文化が好きで、政治家と言う仕事を尊敬していた。恨まれ嫌われ嫉まれて、罵詈雑言をネットに書かれてなお、その国民を守る姿を尊敬していた。
それは、紗奈の憧れたヒーロー像。
人々に後ろ指を指されても、それでも人々を守ろうと動く人間に、紗奈はなりたいのだ。
「あなたたちがすべきだったことは」
否、なるのだ。
この国を導き、守るリーダーに。
「その最悪の事態を避けることでしょう!?」
紗奈は覚悟を決めた。逆境でも、どれだけ時間がかかっても、何に替えても、戦争は起こさせない。民の遺伝子操作も認めない。いびつで不安定な今を全力で守るのだ。
紗奈の言葉に、首相たちが声を上げるのを止めた。
「だから何度でも言うわ、私桜庭紗奈は、小鳥遊大和との婚約を破棄します」
紗奈たちの投稿した映像に、国民が次々にコメントを残す。応援のコメントもあれば、紗奈たちを否定する言葉もあった。
「この国の民の遺伝子を操って戦争でも死なないようにさせる? 笑わせないで。その計画が実行に移される前にここでつぶすわ」
紗奈は壇上にもう一度上がった。
「さて皆さま、お騒がせしたことをここで謝罪いたします」
今までのやり取りが幻に思えるほどに優雅に礼をする。
「さて、ここで、今宇宙に旅立とうとする元婚約者の小鳥遊大和からメッセージがあります。再度、スクリーンにご注目ください」
スクリーンに端正な大和の顔が映し出される。こんな時だというのに、その美しさに息を漏らすものもいた。
『えー、小鳥遊大和です』
その横では時雨が手を振っている。カメラマンは圭。カメラは大和と時雨だけではなく、ほかの兄弟たちも移した。
『僕たちは今からこの体の遺伝子を地球に残さないように、長い長い旅に出ます』
会場がどよめく。コメント欄も大荒れだった。紗奈が強制したのではないかと国民は紗奈を批判する。予想通り。だから大和は強調した。
『これは僕たち、小鳥遊兄弟で決めました。小鳥遊教授の研究をなかったことにするためにです。もちろんデータもすべて消してあります。あなたの研究は、これで無に帰しました』
小鳥遊夫妻が悲鳴を上げる。言葉にならない思いが叫びとなって発露した。
『あなたたちは終わりです』
肉体を機械に変化させて生き延びているということは言わなかった。それは日本の法律に違反していることだったから。紗奈たちが後々苦しむことになる。今、大和の顔をしている小鳥遊兄弟たちも、いずれ顔を変えることになっていた。
『宇宙船、迷惑料代わりにもらっていきますね。それくらいは許されるでしょう。裁こうとしたって無駄です。宇宙のかなたですからね』
茶目っ気たっぷりにそういって、大和は紗奈に最後に呼びかけた。
『紗奈』
「うん」
『俺たちを救ってくれて、ありがとう』
それは、どこまでも紗奈のための言葉だった。自分のせいで紗奈が批判されないようにとの思いがこもった言葉。
紗奈はちょっぴり泣いた。その姿をカメラがとらえていた。
「当然でしょ、友達だもの」
『そうだな』
映像はそこで切れた。
「とらえてください。警備員を呼んで」
「俺は、俺たちは、今までの努力が――――」
紗奈はこれで本当に最後だと、連れられて行く両親たちを尻目に、もう一度マイクに向きなおった。
「大変、申し訳ありませんでした」
シャッターが切られる。フラッシュが眩しい。
「これで、わたしからのお話は終わりです。これから信頼を回復できるよう、努めていきます。どうかこれからも、よろしくお願いします」
紗奈は美しい礼をして、壇上を下りた。
一段一段、踏みしめるように下りた。
『お疲れ、やれると思ってた』
圭からのメッセージはやっぱり短くて、疲れ切っていたのになんだか笑えた。
『お疲れ、今からそっちに向かうわ』
紗奈と小鳥遊兄弟たちは、質問攻めにあう前にその場を離れ、急いで小鳥遊研究所へ向かった。




