かれ
東京で紗奈と大和がそのような会話をしているとは露知らず、圭は福岡で高校に入学していた。圭には親戚がいない。親も祖父母も従妹もいない。それゆえ、問答無用で高校の寮に入っていた。
「……おかしい」
圭は、平気な顔をしていたが、本音を言うと自分が東京ではなく福岡に割り振られたことが納得いっていなかった。
圭は自作のパソコンを立ち上げ、自身が大学生に混じってやっていた研究『脳のデジタル化』についてのレポートを教授に送信し終えた。新しいウィンドウを開き、いつものように日記を書く。高校範囲の勉強なんてとっくのとうに理解しきっている。紗奈がいない学校は、暇で仕方がなかった。
「紗奈」
今までずっとそばにいてくれた彼女がいない生活には3日で飽きた。これがいつか日常になるのかと思うと、それが怖くて仕方がない。
――――カタカタカタカタ
ノルマを終え、眠りにつこうと椅子から立ち上がった。
洗浄機に入り、体を洗わせ、乾燥まで済ませる。服に袖を通してベッドにダイブした。考えても仕方がないことを考えるのは健康によくない。圭の好きな硬さの枕だ。先輩曰く、嫌な夢をみない枕として有名だそうで、紗奈が自分のもとから去る夢ばかりをみる圭はかなり期待していた。
『眠らないで』
どこからか声が聞こえた気がして、まどろみの中から圭は覚醒する。もう眠たかったから、苛立ち半分に音声に止まれと指示を出す。しかし声は止まらなかった。
『眠ってはダメ』
そこで圭は、何かがおかしいことに気づいた。その体をゆっくりと起こし、圭は辺りを見回した。
「誰?そもそも人、か?」
圭はその声のする方を伺った。先ほど閉じたばかりの自作のパソコンから、その声は響いていた。
「は?どうやって」
恐る恐るパソコンを開ける。
『ギリギリ間に合った。警戒しないで。私たちはあなたの味方です』
パソコンに表示されたのは、メドゥーサの首のついた盾。圭はこれが何かに思い至った。
「…………ミネルヴァ」
圭はぽつりと零した。それはネット上でまことしやかにささやかれる、都市伝説に等しい反政府組織の名前だった。
圭はその存在を大学教授から聞いてはいたが、もちろん実際に見るのは初めてで困惑した。
ただ、偽物でも悪戯でもないだろう、とは思った。味方か敵かはさておき。圭の作ったパソコンのセキュリティは、常人が簡単に破れるほど簡単なできではないからである。
『桜庭防衛大臣の娘、桜庭紗奈さんの恋人であるあなたにとって、悪い話じゃないはず』
圭は黙った。向こうは自分のことを知っている。これ以上の情報を渡したくはなかった。紗奈の名前を出された怒りもあった。
『話が聞きたくなったら、ラジオをあなたの恋人の誕生日にあわ―――――』
パソコンは、そこで黙った。何者かに妨害されたような、あからさまな切れ方だった。ラジオなんて持っていない。妨害を試みる人間がいる以上、購入して済ますわけにはいかない。それに寮を抜け出すと何があるかわからない。見張られている可能性がある。
(まずはこの部屋からしらべなきゃ)
そこで思い至った。先輩が言っていたこの枕は『嫌な夢をみない枕』などではなく、『悪夢をみないように脳を操作できる枕』なのではないか。
怖くなって日記を開いた。記憶は失われていなかった。
その日は、一睡もできなかった。
***
ラジオが完成したのは、それから一週間後のこと。ラジオから流れ続ける住所に向かうための算段をつけるのには、そこからさらに二週間が必要だった。そうしてようやく、圭は徳島の地に立っていた。
カモフラージュのために、徳島行きが決まっていた中学の同級生の元を訪ね、旅行しているふりをして、様々な観光名所を回った。自転車で旅行なんて二度としないと圭は息を荒らしながら思った。辛すぎる。
それから道に迷った風を装い、よくわからない山道に入り、ラジオから流れ続けていた住所が示す家を訪ねた。
そこは、なんてことない一軒家だった。2000年前後によく見られた、瓦屋根の2階建てのユニバーサルデザインなんて気にもしていない家で、圭は教科書で見たなと思った。
チャイムを鳴らし、ドアが開くとすぐに
「トイレ貸してください」
と頼む。
困惑した顔をしながらも、10歳くらいの子が迎えてくれた。
(これちゃんとあってるよな赤っ恥かいただけとか許さねーぞ)
恥ずかしい思いをした甲斐はあった。圭はそのままトイレに案内され、まさかと思っていたが、トイレと書かれた扉を開けると、そこが階段になっていた。
「つけてきた人がいるようです。親切にそのまま宿を貸したように見せるために、私と仲間であなたのフリをします。あなたは中に」
地下室の中から出てきた人の顔が、圭のものへと変わる。圭のような何かと幼子は、そのまま1階へと戻っていった。
――――ガチャ
意を決して、圭はその中へと足を踏み入れた。
「ようこそ、来てくれると信じていたよ」
そこにはおんなじ顔をした2人の人間が立っていた。男とも女ともつかない彼らは、シルバーのスーツに身を包んでいる。素材を見るに防弾仕様。圭は少し震えた。
「来てそうそうなんだが、自己紹介と洒落込む訳にはいかないし、本題にうつらせてもらう」
彼――あるいは彼女はそう言って、ホワイトボードに向かって文字を書いた。キュキュキュ、とペンとボードが擦れる。圭は生まれて初めて実物のホワイトボードが使われているところを見た。
情報漏洩にそれほどまでに敏感にならざるをえない何かが、そこにはあるのだろうと思った。震える。これは武者震い。
「桜庭紗奈さんの婚約者、小鳥遊大和の素性についてだ」
圭は当然調べてあった。
紗奈から婚約のことを聞かされた日には、もうすでに基礎的な情報は押さえてある。
紗奈が心配する必要がないくらい優秀で強かなのは知ってはいたけれど、心配せずにはいられなかった。
「小鳥遊研究所の研究所長かつ、育児ロボット開発の第一人者、小鳥遊相馬の一人息子」
圭は呟いた。
「ああ流石に知ってるか」
二人のうち片方はそう言って、ホワイトボードに写真を貼った。
「この美男子だな。他に知ってることは?」
「いえ。紗奈も何も知りませんでしたし、かなり探りましたが、小鳥遊大和の通っていた小学校、中学校、生まれたところまで、すべてのデータがありませんでした」
わざわざノートに暗号化して書き出したデータをリュックから取り出す。データを万が一でも抜かれないよう、圭は50年前の人間のように、わざわざリュックを背負って自転車で徳島を回ったのだ。
「正しくは、記載されているデータの裏が取れなかった、ですね。名前は確かにあるのに、写真がその在校生のアカウントにも一枚もなかった」
圭は呼吸を置く。これを言うべきかは迷った。
「小鳥遊研究所のハッキングが失敗した時に、パソコンに一度、『残念また遊ぼうね』と表示され、その後にYの文字が表示されたことがあります。それが彼だと考えると、非常に優秀なのではないかと」
その人たちは高笑いをして、圭に拍手を送った。ひとしきり笑って満足したのか、片方がホワイトボードに文字を書いた。
「その通り、彼は天才です。それに彼は何らかの事情で、実家――否、彼らの親自身の監視下で育ったようです」
ホワイトボードに文字が踊る。
『第三次世界大戦』
横幅いっぱいに書かれたその文字に現実感がなく、圭は眉を顰めた。
「彼ら小鳥遊家と桜庭防衛大臣にタッグを組まれると困るのです」
「それは、彼らが第三次世界大戦を目論んでいるという意味ですか?」
間髪入れず尋ねる。そんな危険の中に紗奈がいると思うと居ても立っても居られなかった。
「そこまでなくても、おそらく似たようなことは。近年宇宙資源の件がきな臭いですし、何より」
男は言った。
「小鳥遊研究所に潜り込んだ同志の行方がわからない」
小鳥遊家が所有する小鳥遊研究所は日本でも有数の研究所で、その経済への影響は計り知れない。科学と経済がこれ以上ないほど結びついた現代においては、科学力こそが力なのだ。
「交信の最後に同志はこう言いました」
――――世界の栄華はもって10年




