うは
大和の兄姉の手術が成功し、あとは大和と時雨を残すのみとなったにもかかわらず、計画は停滞状態に陥っていた。
「まずいことになったわ」
大和と時雨が手術を受けるためには二人を最上病院へ連れ出す必要がある。また、そのデータが移行するまでの間、脳に関する実験が行われないよう誘導する必要があった。しかし、彼らの両親は日本人改造のためにすでに動き出し、公式行事以外での大和と時雨を外部と接触させることなく働かせ始めたのだった。
その外部には、紗奈すら含まれていた。
「そうだな、打開策があればいいんだが」
「ええ。このままじゃ、年越しパーティーまでに彼らの脳をデジタル化させることができないわ」
唸りながら、圭は次の案として、「宇宙船内で大和と時雨の脳をデジタル化させる」というものを掲げた。
「どういう意味?」
「年越しパーティーで紗奈と肉体を放棄した大和が告発をする予定を変更して、大和と時雨ちゃんは俺と宇宙船に乗り込んで一年かけて宇宙でその脳を変化させるっていう話だ」
「それが可能なら、公式行事のときに大和と時雨ちゃんを手術させることが可能なのでは?」
圭が自身の案を説明しようと口を開く前に、紗奈が口を開いた。
「ああ、いや。そっか。公式行事まで待ってたら、電子化が年越しパーティーまでに間に合わない可能性があるのね」
圭は肯定の意を示し、付け加えた。
「手術は、時雨ちゃんと大和がお互いを行う以外にない。この間、時雨ちゃんは兄姉に施された手術を見て、それを再現することは可能だと言っていた」
ただ、この案に欠点がないではなかった。それは、それだけの設備が整った宇宙船がどれほど世にあるのか、と言うこと。
圭の記憶にある限り、そんな宇宙船は現在の小鳥遊研究所で開発されている、兵器用の宇宙船しかない。
そうしてそれを手に入れるためには、数々のアンドロイドを倒し、小鳥遊研究所の施設の一つのセキュリティを突破しなければならなかった。
「おーけーだいたいわかった。じゃあ計画を修正しなきゃね」
しかも今回は、それを年越しパーティーのために小鳥遊家が家を出てから、紗奈が告発を完了するまでに行う必要がある。
いかに大和と時雨がそばにいるとして、この前と同様には行かないだろう。
「……そうだな」
圭は頷いた。
一方で、21人の小鳥遊兄姉の脳のデジタル化はスムーズに進んだ。小鳥遊兄姉は機械の体を得たが、その見た目は生身の人間とどこも変わらなかった。悍ましいほど人間からかけ離れた過去の姿は面影もない。
ミネルヴァのアジトにて、彼らはこれから婚約破棄を決行する2099年の年越しパーティーまでの間住まうことになっている。全てが終わった後には新しい戸籍を紗奈が用意することになっていた。
「お・はよ・う――――おはよ・う、おはよう」
何度か単語を発しだだけで、彼らは流暢に話せるようになった。声も人間と全く同じように響く。知能は時雨や大和に劣らない程に高かったらしい。
「圭くん、と紗奈ちゃんだね」
一番初めに圭と紗奈について言及したのは【若葉】だった。異形の体を有していた21人の中で唯一、『おなかすいた』と時雨に話しかけていた個体だと、圭はピンときた。
「ありがとう」
若葉の声に、他の兄姉たちもお礼を言う。
「大和と時雨を、解放してくれてありがとう」
自分たちのことにももちろん礼を述べてくれたけれど、彼らは大和と時雨のことについて、圭たちに感謝しているらしかった。
自分たちを人質に両親が大和に何を強いているのかは、当然把握していた。兄弟たちも、一度はそれらを経験させられ、見込みがないと捨てられて、今に至るのだから察すことは容易だった。
故に、大和と時雨が自分たちの意思で生きると決めたことは、彼らにとってこの上ない喜びだった。
「大体は察した。私たちにも手伝わせて。それなりに役に立つよ」
若葉の思いを受け取って、紗奈は彼らに役割を振ろうと計画の内容を彼らの視界に送った。
「あとね」
付け加えたのは兄弟の1人、【潮】だった。
「その代わりって言っちゃあなんだけど、お願いがあるの」
紗奈は続きを促す。当然、できることは全てするつもりだった。
「お墓参りに行きたいんだ」
そう言ったのは【千歳】。
「兄弟に会いに行きたい」
続けたのは【日向】だった。様子を見るに、これは兄弟全員の願いらしかった。
「同じようにして生まれ、死んでいった1000人以上の実験体だった兄弟が、埼玉の山奥に埋められているはずだ」
自分の想像力の欠如を圭は嘆く。考えてみたら当然で、実験体が23人だけなわけがない。第一、あの部屋には名前のないケージもあったのだ。
「そう。お墓も建てましょうか?」
紗奈にとってそれは容易。これまで苦しんできた分、彼らの願いは可能な限り全て叶えてあげたかった。
「ああ。じゃあ、一個だけ。兄弟には名前がないから小鳥遊兄姉ここに眠ると彫って欲しい」
「名前がない?」
「うん。私たちの名前は大和がつけてくれたの」
思わずどういうことかと聞き返す。
「小鳥遊夫妻が名付けたのは大和だけ。日本を背負う男になれって意味らしいよ」
皮肉めいた口調で【那智】が言った。
「だから大和は、その名が呪いになるように、僕らの存在が第三次世界大戦が起きても兵器として長く持たないようにと願いを込めて、第二次世界大戦で沈んだ船の名を僕らにつけたんだよ」
「大和が小鳥遊夫妻から名前をもらったのは彼が完成品だと認められた時だったから、それまでに死んだ兄弟たちへの名前はないんだ。つけようとしても、あまりに数が多かったからね」
なんてことなく彼らは言う。大和の覚悟の片鱗を見た気がして、圭は胸を押さえた。
「…………わかった、任せて」
紗奈は無理矢理笑顔を作った。
婚約破棄決行計画はもう大詰めに入り、あとは当日が来るまでにできることはない状況に至っていた紗奈は、両親の秘書や高校生活と言った些事はあるものの、そこそこ時間があった。
圭と斉藤教授、ミネルヴァの助けもあって、彼らが眠るという山にそのお墓は作られた。
彼らが大きいものよりもその場に馴染む自然なものがいいと言ったから、樹木の根元に15cm程の石塔のお墓を建てた。デザインをどうするかで散々揉めたが(紗奈と斉藤教授がこだわった)、結果的にはオーソドックスなものに落ち着いた。
21人の兄弟と、紗奈、圭、斉藤教授で、完成したお墓の前で祈りを捧げた。生暖かい風が肌を撫でた。
「微生物が分解しても、燃やしても、どっちにしたって人間の体は小さな粒になって空気を漂うんでしょう?」
それは、圭が【桃】に貸した本の中の一行。桃は手を合わせながら、そのことを考えていたらしかった。
「てことはさ、もうみんなは眠りについてしまったけど、もう二度と顔を見ることはできないけど、いつでもそばにいるってことだよね」
半ば言い聞かせるように彼女は言う。涙はない。
「そうだな、世界はそうやってできてる」
斉藤教授がそう言った時、強く風が吹いた。偶然と言われればそれまでのただの風。
その風は紗奈、圭、斉藤教授、【武蔵】【日向】【飛龍】【伊吹】【桃】【千歳】【白雪】【春日】【潮】【響】【若葉】【弥生】【嵐】【那智】【梅】【加古】【霞】【涼風】【瑞穂】【麻耶】【榛名】の肌を撫で、笑い声のような音を立ててその耳にキスをした。
「小鳥遊家の兄弟さん」
紗奈は目を細めてもう一度強く祈った。
「私たちを見ててください」
木々の隙間から刺す光が、ちょうどお墓にあたった。
「これからもっと、幸せにします」
紗奈の祈りに応えるかのように、その光は紗奈が目を開けてもなお、そこに止まり続けた。
「紗奈ちゃん」
【若葉】はいつまでもしゃがみ込んでいる紗奈に手を差し出した。
「日本を見て、楽しい思い出をいっぱい作って、最後にここにまた来たいんだ」
「うん、もちろん手伝うわ」
紗奈は手を取り立ち上がった。
「それでね、その写真をここに埋めて、みんなにも見せてあげるの」
「そっか、じゃあ、いっぱい旅行に行かないとだね」
満面の笑みで若葉は頷く。大和と時雨の顔をモデルにしたから当然なのだけれど、その顔は大和にそっくりで、紗奈は大和満面の笑みを見たことがないという事実に気づいた。
(大和の笑顔も、いつかみたいな)
紗奈は膝についた泥を払った。
それから、秋が来て、冬が来た。
世間はクリスマスムードに包まれ、町中が大きなクリスマスツリーのように輝いている。どこを歩いても耳をくすぐるクリスマスソングに飽き飽きした頃、久しぶりに紗奈は大和と会った。久しぶりのデート。
両家の食事会やパーティー以外では、大和と会わないままだったから、紗奈ははしゃいでいた。
「大和……って圭!?」
「呼んじゃった。じゃあ行こうか。GPSの座標はずらして固定してるから心配しないで」
そう言って連れられた先にあったのは、大きなクリスマスケーキ。小鳥遊兄弟も勢揃いで紗奈を迎えた。
「ど、どうしたの!? なにこれ!?」
驚きと喜びで、うまく言葉を紡げない。
「紗奈はクリスマスは賑やかなのが好きだって思って、なんていうか、サプライズ?」
大和はそう言って、紗奈の手にを引いてプレゼントを置いている場所まで案内した。
「言っとくけど俺は紗奈がクリスマスに感じる思いを言ってないよ。大和たちが紗奈を喜ばせるために、自分たちで考えたんだ」
大和からもらったプレゼントを開く。そこには、真っ赤なマーメイドドレスがあった。
「俺からはこれ」
そう言って圭から渡されたのは、真珠のイヤリングだった。
「これを着て、それを付けてさ、行ってきてよ、年越しパーティー」
「ありがとう」
紗奈は間髪入れずにお礼を言った。
「私のために、本当にありがとう」
時雨たちが遠くから紗奈に呼びかけた。
「みずくさいなーもーお礼代わりよ! お墓も、紗奈さんのおかげなんだから!」
「時雨ちゃーーーーん!」
「あーもー近いってば!」
計画実行の日は、もうそこまで迫っている。こうやって戯れることができるのもあと少しだとわかっていた。
大和から渡されたこの服は、戦闘服。
圭からのプレゼントは、紗奈の武器。
(糾弾することがこの国のためになるのか、とか、考えている暇はない)
それは、あの音声を聞いてから、紗奈が時折考えること。
「本当にありがとう」
紗奈は時雨たちにそそのかされるまま、その服を身に纏った。




