いた。
「ねぇ大和」
紗奈は泣かないときめた。自分が泣くべきではないと信じたから。自分は、それを許されていないと思ったから。
夕暮れ時。沈みゆく太陽が大和の顔を照らす。その美貌も相まって、光に照らされた大和は神々しさすら感じさせた。
初めから、気づくべきだった。
大和は、ずっと紗奈にヒントをくれていた。
『今までの人生で一番楽しい』
いつだったか、紗奈と何気ない会話をしたときに彼は言っていた。本当に些細な会話だった。ただの軽口。普通に生きていれば、何百と何千とするような、くだらない話。
『嘘じゃないよ』
彼は何度も言っていた。
『俺は沙奈に嘘はつかないよ』
信じてほしいと叫ぶように。
どうか気づいてと泣いているように。
彼が嘘をつけないという事実に気がつくと、たくさんのことが一気にわかった。
知ってしまえば、わかってしまえば、こんなにもわかりやすく、彼は沙奈に語りかけていた。
『18歳までは基本ボッチで生きてたよ』
それがどういう意味か気づいたとき、青ざめた。
『今までの人生で一番楽しい』って、例えだって、冗談だって、思うじゃないか。
『宇宙でだって生きてられる?』
『余裕余裕』
『深海でだって生きられる?』
『簡単だな』
『マグマの中でも?』
『そりゃもちろん』
あれが文字通りの意味しかないなんて思いもしなかった。冗談でもなんでもない事実をさしていることに気づいたとたん、吐き気がした。
『俺、紗奈のためなんでもするって決めてるし』
ぐ、と涙をこらえる。思い出せば思い出すほど、一瞬でも疑ったことが恥ずかしくなった。
(何でもしすぎだ、馬鹿)
紗奈は怒りで倒れそうだった。
「あの時と同じようにさ、私が言ったことがあってたら、首縦に振って」
それは、出会って間がないころのデートの話。
紗奈はあの日と同じように大和に尋ねるつもりだった。
大和は泣きそうな顔で頷いた。
「大和はさ、研究をしてるの?」
首は横に動いた。大和は研究をしていない。何も研究していない。
「研究はしていないけど研究所に顔を出さなければいけない?」
首は縦に動いた。研究はしていないけれど、毎日研究所に顔を出さなければいけない。
そんな存在は一つしかない。
そんなの笑っちゃうくらい明白だ。
答えなんて決まり切ってる。聞くまでもない。聞きたくもない。知りたく、ない。
「……………研究される側なんでしょ!?」
この問いを発するまでには、長い長い時間がかかった。信じたくなかった。だけど全てが示唆していた。
大和の異常なまでに整った顔も、
驚異的な治癒能力も、
AIを追随する頭脳も、
大和が遺伝子操作の末に生み出された、怪物だと示している。
斎藤教授から渡されたあの映像が示すことは、小鳥遊研究所で行われた人体実験。
思い出せば、大和は一言も兄弟が一人だとは言わなかった。紗奈が勝手にそう思っただけ。
『同年代と関わりがあった』という言葉が指すのが、兄弟だとは思いもしなかった。
『多分、この世界のどの親よりも、両親は俺を大事にしているよ』というのが、研究対象としての意味だとは考えもしなかった。
【武蔵】
【日向】
【飛龍】
【伊吹】
【桃】
【千歳】
【白雪】
【響】
【潮】
【春日】
【若葉】
【弥生】
【嵐】
【那智】
【梅】
【加古】
【霞】
【涼風】
【瑞穂】
【麻耶】
【榛名】
そして、
【時雨】と【大和】
彼らは全員が全員人体実験の末にできた存在だと、すべてが紗奈に訴えかける。
「そうなんでしょ………!?」
大和は泣き笑いのような顔をして、首を縦に動かした。
縦。見間違いようもない。
紗奈の予想は、これ以上ないほど当たっていた。黒いチョーカーが揺れる。忌々しい、黒いチョーカーが。
「大和は嘘をつかないんじゃなくて、つけない。そうでしょ?」
大和は頷いた。
「そして!」
紗奈はチョーカーを握った。
「小鳥遊研究所に関する機密事項について家族以外に言えない。違う?」
大和はもう泣いていた。
ずっと前から、心の中では泣いていたのかもしれない。
顔を覆って大和は頷く。
大和はこの時をずっと待っていた。
「その場合、大和のチョーカーが大和か、大和の兄弟の」
言葉が詰まって出てこない。
「思考を、奪うんでしょ」
大和は頷いた。何度も何度も。
大和が嘘をつけないという前提で今までの会話を振り返ると、大和は基本死なない。死ねないとも言える。
最強たる彼らの命を奪えないのなら、思考を奪うようになってもおかしくないと紗奈は予想した。
「そう、なんだね?」
もうこれ以上何も聞きたくない。向き合いたくない。
紗奈にはだけど、どうしても聞かないといけないことが一つある。
己の罪に、向き合わなければいけなかった。
紗奈は怒り狂っていた。
誰でもない、自分自身に。
「大和が言ってた好きな人ってさ、」
紗奈は涙を堪えようとお腹に力を込めた。嗚咽が漏れないように、普段通りに話せるように。
「私…………?」
『運動会とか文化祭とかの映像を見せてもらって』
そうやって、紗奈のことを知ったのだと、彼は言っていた。
実験体として扱われる中、誰とも関わらずに生きていく中、唯一として紹介された少女。
食い入るように見つめたデータ。
流石に気づいた。
だって選択肢が一つしかない。
1分の1で、答えは出る。
大和が愛した、たった一人は。
「わたし、なんでしょう……?」
一滴、涙がこぼれた。
大和はそれをじっと見て、微動だにしなかった。
「違うの?」
ゆっくりと大和は口を開く。
「ごめんな」
そうして恥いるように笑った。
「全部うまくいってたのに」
大和は、時雨は、彼らは。
生きていることを許されないと知っていた。
自分たちの存在が戦争の引き金になるとわかっていた。
だから消えようと覚悟して、計画を練って、ここまできたのだ。命を賭して、紗奈と圭にこの計画を気づかせた。
「紗奈を好きになったことだけが、俺の誤算だ」
大和は力無く笑う。
「紗奈は気づいたら気に病むってわかってたのに」
紗奈は思う。
この人はどこまで。
一体どこまで、バカなのか。
「大丈夫だよ、紗奈。俺はちゃんと幸せだったから」
稀代の愚か者は紗奈を元気づけようと言葉を紡ぐ。
「紗奈が笑ってくれるだけで、十分だ」
だから、世界のために自分は消えるべきだと。
「もう、俺たちが消える算段はつけてるんだ」
嘘ではないことはチョーカーが証明している。だけど信じられなかった。
(どうしてこの人は)
紗奈は大和の体を起こした。
(自分がいない世界で私が笑ってられると思ってるんだろう)
そんなはずがないのに、それに彼は気づけない。
「ほんっっっっとバカ!」
紗奈は大和を抱きしめた。
「バカじゃないの」
だから、紗奈が教えるのだ。
この愚かな天才に、あなたはもう一人で抱え込まなくていいのだと。
「私は、守られるだけしか脳がない女じゃないの」
守られるだけの存在ではない。
紗奈は、守られたいなんて思わない。
紗奈は強く、賢く、優しく、そして何より欲深かった。
もう、大和がいない生活を許容できない。
このまま大和を消して訪れる世界を、ハッピーエンドとはいえない。
「だから任せて。私を信じて」
必ず助ける。
そうして迎えた世界以外、紗奈は認めない。
「圭に会いに行くわ。今頃そのチョーカーを解析しているはず」
紗奈は大和に言った。
「第三次世界大戦も大和は消える未来も許容できない。計画を練るわよ」
「でも、俺が生きてる限り……」
「科学は、不可能を可能にするために発展してきた」
紗奈は笑う。本領発揮だった。
「戦争の道具にするためじゃない」




