くた
研究所の中を案内してくれたのは、大和ではなく大和の母だった。
「わざわざすみません」
紗奈は言った。
「大和に案内してもらうだけのつもりだったのに」
大和の母は怪しく笑った。
「そんなわけにはいかないわ」
大和の母は、チョーカーをつけていなかった。
結局、収穫はなかった。大和の研究についてはまだ若いから論文を読んでは自分のもとで研究をしているとだけ説明をされた。
そうしてその大和の母が研究しているのは動物の品種改良だと言われ、たくさんのお肉を食べて視察は終わった。
不完全燃焼。
嘘をついているのは明らかだった。だってだとすれば、隠しておく理由はない。それに、大和が説明すればいいのだ。
「来週の土曜にまた会いましょ」
「はい、今日はありがとうございました」
来週は両家で星界ホテルでディナーを食べることになっている。日本一のホテルと謳われるそこは、ディナーが有名で、大和の母の強い希望でここに決まったらしい。毎年ここである年越しパーティーで年を越す桜庭家にとっても、否を唱えるようなことではなかったので、両家合意のもとそれは決まった。
「あのさ、紗奈」
帰り道、車に紗奈を押し込む前に彼は言った。
「俺の方の願い事、なんだけど」
「ん?」
紗奈は尋ねた。
「あの、えっと」
変に赤面している。紗奈は訝しんだ。
「――――やっぱいいや。別のことにする」
そう言って笑った大和がとても悲しそうで、紗奈は問い詰めることができなかった。
ペンを強く握る。車が発車して数分。
「途中のカラオケに、行き先変更で」
紗奈は車に告げた。電子音がそれに応えた。
電子音に指示されて、紗奈は個室のカラオケに入る。
――――バキボキッ
力の限りでペンを床に叩きつけて、踏みつけた。ペンは真っ二つになった。破片が周囲に飛び散る。
『紗奈』
圭の声がした。粉砕されたペンから映像が投影される。
『頼んだ』
紗奈の見ていた映像は、途中から何故かぼやけた。
「今だけ」
カラオケの防音設備のおかげで、紗奈の声は紗奈にしか聞こえない。
「今だけだから」
嗚咽が漏れる。紗奈は気づいた。紗奈の目が赤く腫れる。
「もう泣かないから」
どうか、今は。
泣いて泣いて泣いて泣いて。
涙のタンクが切れたころ、紗奈は立ち上がった。
「やらなきゃ」
紗奈の言葉を、その部屋だけが聞いていた。
「これは、私と圭に、命を賭した計画に違いないから」
バラバラになったペンの破片を拾う。もうそのペンが、元に戻ることはない。




