かて
翌日。紗奈は研究所の応接室に通されていた。大和は前日の研究が余程大変だったらしく、昨日は研究室に泊まり込んでいたようで、大和が来るまでここで待っていることにしたのだった。
「どうぞ、お水です」
研究員の一人だろうか。背の高い馬顔の男が紗奈の前に水を置いた。
「…………なにか?」
その男がやけに顔を見てくるので、紗奈は尋ねた。不快感がする見方ではなかった。見惚れているようには見えない。懐かしむような、生き別れの兄弟を見ているような、あるいは昔の恋人を見ているような目だった。
「すみません、知り合いに……」
彼は言葉を詰まらせた。
「似ていた?」
彼は首を縦に動かした。肯定。声を出さないところが、どこか大和のようで思わず笑う。小鳥遊研究所の人は、みんなこうなのだろうか、と思った。
彼の首元でチョーカーが揺れた。黒のチョーカー。大和の持っているものに似ていた。
「お菓子をお持ちいたしますので、少々お待ちください。コーヒーとお紅茶はどちらになさいますか」
コーヒーを頼んで紗奈は大人しく座っていた。落ち着く部屋だった。紗奈のために大和が準備したのだろうと検討付け、紗奈は冷えた水を喉に流し込んだ。
「圭」
そっと呟く。紗奈は圭を狙ったのは小鳥遊家のものだと半ば確信していた。そこには彼らの研究が何かが強く関わっていることは確か。
(研究員にも、探りを入れるか)
研究内容についての情報を少しでも多く集めたかった。そして、大和の家族のことについても。
応接室のドアが開く。先ほどの研究員が、紗奈にお菓子とコーヒーを持ってきてくれたようだった。
知り合いに似ていたと言うのは、そう考えると行幸である。情報が集めやすい。
「ありがとうございます――――ねぇ」
お礼を言って、去ろうとする彼を呼び止める。
「大和が来るまで暇だから、ここで話に付き合ってくれませんか」
彼は肩を震わせた。
何か後ろめたいことでもあるのだろうか、と紗奈は首を傾げる。
「大和はいつもどんなふうに過ごしてるの?」
「すみません。存じ上げません」
やけにつれない。
「じゃあ、齋藤教授は?ご存知ない?」
紗奈は聞き方を変えた。
「存じております。お呼びしましょうか?」
「ええお願い」
ブラウニーケーキを頬張る。紗奈の大好物だった。紗奈をもてなすために用意されたそれは、紗奈の大好物ばかり。嬉しかった。
「〜〜〜〜〜〜〜は?」
場違いにも程があるフライドチキンが、そのカゴの中で異様な存在感をはなっていた。
(考えすぎかもしれない)
フライドチキンに手を伸ばす。
(大和が、好きだと勘違いして私のために準備してくれたのかも)
だけど、思わずにはいられなかった。
(圭?)
生きていることが確定した圭が、ここに潜入していても何らおかしくない。紗奈のヒーローは、いつだって紗奈のために、自分にできる最善を尽くす人だから。
フライドチキンを片手に思考に耽っていると、ノックがなった。
「齋藤教授!」
慌てて立ち上がる。
「久しぶりだな」
圭が師事を仰ぐ彼とは、中学時代から何度も会ったことがあった。圭が認識阻害装置のような紗奈のための機械を幼いながらに作れた理由は、彼の存在が大きい。
紗奈にとっても、齋藤教授は恩人であった。
「元気してたか?」
「はい」
「圭のことは、残念だったな」
教授は言った。
「圭の亡骸の打ち上げには立ち会ったよ」
「羨ましいです。私はできませんでした」
「そうか」
教授は目を伏せて、手に持っていたペンを紗奈に手渡す。彼は髪を耳にかけながら、紗奈に言った。
「それはあいつが使ってたやつだ。見覚えがあるだろ」
全くない。
完全なる初見だった。
ペンを使う機会なんてそうそうない。圭は文房具にこだわりはなかったはずだ。
「一回壊したらもう戻せないから、大事に使えよ」
教授はもう一度髪を耳にかけた。
紗奈は気づいた。
これは、何かを語りかけようとしているのだと。
(壊せってことでしょうね)
そのペンには、きっと何かの情報が入っている。
(その情報は、一度きりしか得ることができない、と)
紗奈はゴクリと唾を飲み込んで、髪を耳にかけて言った。
「大事に使うわ。圭の形見だもの」
圭がもしかしたらここにいるのかもしれない、と思うと叫び出したくなった。齋藤教授のそばにいると捉えて間違いないだろう。録音されている可能性がある。迂闊な行動は取れない。
(会いたい)
齋藤教授なら知っているかもしれないと、紗奈は言葉を選ぶ。ここで間違えるわけにはいかなかった。その場合危険な目に遭うのは紗奈ではなく、圭と教授だ。
「このお菓子は大和が選んだのですか」
「いや、さっきのやつが選んだ」
紗奈は、先ほどのあの研究員の姿を思い出す。
あの目。
あの態度。
確信だった。
「…………そう」
連れてきて、と言おうとしたがやめた。それはあまりにも、露骨だったから。普通はしない。
「好きなものばかりで嬉しかったから」
「大和様が言ったんだろう」
「…………そうですね」
紗奈は許される範囲を探る。少しでも圭について聞きたかった。圭の形見だと言うペンを握る。きっとこれは、圭が命懸けで探ってきた情報。紗奈の知りたいことが詰まっているとわかる。
圭はいつだってそうだった。
「あの、チョーカーは。大和と同じようだったけど、大和が渡したのですか? だとしたら、相当優秀なのですね」
大和を起点に会話を続ける。
これならば、大和の話であって彼の話ではない。
婚約者のことを健気に思う少女のように見えるよう、言葉を工夫した。
「ああ、そうだわざわざ彼に大和様が渡しに来たそうだぞ」
「へぇ、そうなんですね」
「ああ。時雨様の――大和様の妹様の下で研究しているから、それでだろう」
チクリとした悪意が言葉尻に滲む。
(その言い方だと、大和が情報を渡させないために無理やり圭にアレをはめたみたいじゃない)
紗奈は悩んだ。
(まるであれをつけていると、嘘をつけなくなるような――――――)
ピースが繋がる。
一つ一つは小さな違和感。
「そうなのね」
組み合わせて、悩んで、解いて、ようやく――――
「だから」
その時、応接室のドアが開いた。
「紗奈、お待たせ」
白衣を着た大和がそこで紗奈に手を振った。
「待ってないよ、齋藤教授が相手してくれたもん」
「あ、そうか。ありがとう」
「いえいえ」
紗奈は大和の手を握る。大和の首元では、黒いチョーカーが揺れていた。




