たる
ショッピングモールに併設されたそのカフェは、チェーン店らしく客で賑わっていた。2名だとアンドロイドに伝えて、席に案内してもらう。柱のおかげで、半個室のようになった席だった。
二人はエッグベネディクトを注文する。注文が終わった頃にお冷が二つ席に届いた。
――ごく、ごく、ごく
緊張で乾いた喉を潤す。
「じゃあ、始める?」
「そうね」
紗奈はタイマーを押した。制限時間は5分と短い。初めに口を開いたのは紗奈だった。
「小さいころはどこで過ごしたの?」
紗奈は、大和がおそらく絶対に聞かれたくないであろう情報をふさいでいることは予測していた。
(研究関係は封じられているはず。あと大和が聞かれたくないことはなんだろ)
紗奈はおそらく、家族、そして好きな人だろうと予測していた。紗奈が聞いても絶対に答えずはぐらかしていたのはそれだったから。そのどれを大和が指定したのかはわからない。だから、回りくどいやり方でそのことを聞き出すしかないと思った。
「…………な」
大和は何かを言いかけて黙った。おそらく『内緒』だろうと紗奈は予想する。紗奈は封じる言葉をかなり迷った。秘密、内緒、教える、言う、のどれを封じるかを迷った末、結局内緒は入れなかった。だが、そんなこと大和は知らない。
済んでのところでとどまる。しかし、それを見逃す紗奈じゃなかった。
「な?」
「何から話せばいいかわからないけど……そうだな。研究所?」
研究所という言葉も怪しい。思わず聞き返しそうになってしまった。
「そ、れは。学校行ってなかったの?」
「まぁね。俺は天才だから」
教える、を誘導しようとしたが失敗した。そう簡単にはいかないようだ。その代わり、情報を手に入れた。
「…………説明になっていないでしょ。法律的にアウトよ」
「そうだね」
「そうだねって…………」
大和は微笑みを浮かべた。これ以上話す気はないようだった。
「嘘ついてる?」
彼はいつものように笑った。
「まさか、俺は紗奈に嘘はつかない」
いつだったか、同じことを言われたのをおもいだす。
「……戸籍は、あるのよね?」
紗奈の言葉がよほど予想外だったようで、大和は声を上げて笑った。
「そりゃあるさ。学校にだって行ってたことになってる。ただの特例措置だよ」
紗奈は顔を赤く染めた。そりゃそうだ。普通に考えて、戸籍がない人間がいるわけがない。生命の木と呼ばれる機器から生まれた赤ん坊は、その瞬間に戸籍登録される。
紗奈だって、大和が通っている高校のデータを見た記憶はあった。普通に考えればわかることだった。だけどさっきは、なぜかそうとは思えなかった。生まれてからずっと、研究所を出たことがないと言っているように聞こえたのだ。
研究所で生まれて、一人っきりで生きてきたと言うように。
全ての赤子は、生命の木と呼ばれる政府直轄の機器の中で生まれ、その後も専門家の手によって理論的に最も良いとされる教育を施される。
それが当たり前だった。
「そうだよね、研究所で生まれたのかと一瞬思っちゃった」
むしろ、紗奈はそう思いたかったのかもしれない。紗奈はこの掴めない婚約者が、実は両親から愛されずに育ち、両親に利用されて生きていると思いたいし思っている。
(味方であれって、思って…………)
圭がいなくなってよっぽど紗奈は弱っていたらしい。そんなことに今更気づく。
一番側にいる彼が味方だと思いたくて、こんな馬鹿なミスを犯してしまった。
恥ずかしくて弁明するように話す。大和はその瞬間指を鳴らした。
「アウト。研究、は禁止ワードだ」
ぎゃふんと言わされた。これを狙っていたのかもしれない。
(うっわ、馬鹿だ私)
これで一度は紗奈が命令されることが確定した。
「馬鹿だなー」
大和は楽しくてたまらないようだった。紗奈は悔しくてたまらない。こんな平凡なミスで割を食うとは思ってもいなかった。
「あーもー心配して損したーー」
紗奈の言葉に大和は目を細める。
「考えたらわかるでしょ。小鳥遊研究所は大きい。わざわざ国の施設を頼らなくたって、十分な教育施設がある。おそらくこれ以上の教育施設はないよ。特例として、国も認めるくらいには整ってる」
「そうですよねよく考えなくてもそうじゃんかーあー」
「それに戸籍がないと結婚できない」
「あーもーやだー」
小鳥遊研究所は教育部門でもかなりの研究成果を上げていた。ホームページにデカデカと書いてあったから、紗奈は覚えていた。
紗奈と婚約を結ぶくらいには、小鳥遊家は政治と密接に関わっている。それくらいの融通は簡単に効いただろう。大和の脅威的な頭脳も、それを認めさせるのに一役買ったに違いない。
紗奈はそれでも、どこか信じられなくて質問を繰り出す。
「同い年くらいの人との交流はあったの?」
「そりゃあったよ」
「うへぇ?」
「なに?」
大和はその手を紗奈の髪に伸ばした。
「俺が家族に愛されていないとでも思っていたの?」
その通りだった。
紗奈はどこか、大和のことを―――――
「まさか」
どくん。
「俺じゃないよ、それは」
どくんどくんどくんどくん。
どくん。
紗奈は言葉を必死に探す。
「俺が思うに、多分、この世界のどの親よりも、両親は俺を大事にしてるよ」
紗奈は、目を見開いた。
これが本当だとしたら、前提が崩れる。
紗奈はずっと、大和は自分の味方だろうと思っていた。思いたかった。
両親に操られているだけだと。
「ええ?」
顔が歪む。今までの大和のイメージが音を立てて崩れていく。
大和に自分が大事にされているのはわかっていた。
その目が、声が、手が、口が、紗奈を大切だと叫んでいたから。
(…………大和はじゃあ何で、小鳥遊研究所のことを教えてくれないの)
辛うじて頷く。
「そっか。お金もちゃんとくれてるみたいだしね。邪推が過ぎた」
「それなんか悪意あるなぁ。まぁそう。アクセサリーとかも全部、親がくれたよ」
大和の首元でチョーカーが揺れる。
紗奈はもう、訳がわからなかった。
(言わされてる?嘘をついてないって言う証拠はない。操られているのだとしたら、って!)
自分は絆されている。
紗奈は気づいた。
大和のことを、もう紗奈は友達みたいに思っている。
だからこれは、最後の賭け。
この人を味方だと信じるかどうかの。
親を表す言葉はおそらく封じられている。だから代わりに、紗奈は尋ねた。
「ねぇ大和。私のことどう思ってる?」
友達だと思っているのか、はたまた敵だと認識しているのか。
大和は黙った。
「黙るのはなしよ」
大和の瞳が揺れる。考えあぐねているようだった。
「まいった」
そうして大和は両手を上げた。
「それだけは、言えないや」
禁止ワードを言ったことを指摘することすらできなかった。
その時の大和の顔があまりに暗くて、寂しそうで、何も言えなくなってしまった。
―――――りるるるるるるるる
タイマーがなる。勝負は終わった。
両者、一回ずつ互いの命令を聞くことが決定した。
紗奈は無表情で言った。疲れていた。
「私を研究所に連れてって」
大和は頷く。否を唱える気はなさそうだった。
「俺は、保留で。しかるべき時に言うよ」
「わかった」
何を頼まれるのか分からない。それでもまぁ滅多なことにはならないと思った。
(圭)
紗奈は思った。
(どこにいるの?)
ちょうどその時、アンドロイドがエッグベネディクトを運んできた。目の前に置かれたそれを手に取り、頬張る大和はいつも通りで、紗奈は何を信じていいかわからなくなった。
『俺は紗奈に嘘はつかない』
あの言葉は、どこまで本当なのだろうか。




