ゆか
時は一ヶ月前に遡る。圭が小鳥遊研究所で四苦八苦している間、紗奈と大和はその交流を続けていた。
「やーまと!」
後ろから紗奈は大和に抱きつく。大和の体が硬直した。
「へへ、待った?」
大和の体の右側からひょこっと顔を出して問いかける。大和は左手で顔を覆って、困った顔をした。
「〜〜〜〜待ってはないけど!」
「よかった、行こっか」
フリーになっている左手を掴む。恋人繋ぎ。指と指を絡ませた。大和の手はすっぽりと紗奈の手を覆うほどに大きい。大和は紗奈の手の小ささに顔を赤らめた。
指輪を回して車を呼ぶ。二人の前に車が止まった。
「どうぞ、お嬢様」
「苦しゅうない?」
「疑問系やめろ」
今日のデートは映画館。
あの日のリベンジだった。
座席に座り大和を見上げる。168cmと女子にしては高身長な紗奈はあまり人を見上げることはない。圭は同じ身長だったから、抱きしめてもらった時にちょうどよかった。まるで、圭に抱きしめてもらうためにこの身長になったみたいだと思っていた。だから、抱きしめられるのが好きだった。その体温が、息づかいが懐かしい。
(く、だめだ)
気を抜くと圭のことを考えてしまう。紗奈は目を一回ぎゅっとつぶった。
「大和って背高いよね」
紗奈は言った。車に乗り込む時に離した手をもう一度繋ぎ直す。
「高い方がお好きですかお嬢様」
「んー、別にそうでもないけど」
「がーん」
冗談めかして彼は言う。知っていたのだろう。圭は人並みだし、そんなことはどうでもいいと紗奈が思っていることくらい把握していてもおかしくない。大和は紗奈のことを驚くほどよく知っていたから。
「でも、大和の顔が近いと緊張するから、大和が身長高くてよかったな」
「ふぁっ」
衝撃で大和が紗奈の手を離す。
紗奈は最近気づいたが、彼はとても照れ屋だった。感動屋でもある。何をしていても楽しそうに浮かれてて、紗奈を見つけるたびに目を細めて幸せそうに笑うものだから、紗奈はうっかりすると絆されてしまいそうだった。
しかしまぁ、今の紗奈がうっかりすることはない。
「なに?照れたの?」
紗奈は大和の首に腕を回して首を傾げた。
「うるさいな。それ以上揶揄うとちゅーするぞ」
「いいよ?」
「ばっ」
必死の反抗も、一瞬で撃沈される。大和は強引に紗奈の手を自身の首から引き剥がすと「俺の理性に感謝しろ」と言って顔を背けた。
「はは、ほんとに良いのに」
紗奈は笑った。圭の情報があるであろう小鳥遊研究所に潜入するためには、大和を絆し、自分の言う通りに動かすのが一番だった。そのためならキスくらいいくらだってする気概はあった。
だってどうでもいい。
紗奈はもう、圭以外はどうでもいいのだ。犬に舐められたようなものだし。キスくらい大した問題じゃない。生理的嫌悪を大和に対して感じてはいないし。
(はやく私に溺れればいい)
紗奈は大和の膝に頭を置いて寝転がりながら思った。
「なにやってんだよ!」
「いいじゃん疲れたのー」
はやく自分に溺れて、小鳥遊家を裏切ればいい。
(強情なやつめ……!)
大和が自分のことを大切にしていることはよくわかった。紗奈の願いなら基本的に何でも叶えてあげたいと思っていることも伝わっている。
それでも、大和の仕事現場を見たいという紗奈の願いだけは、はぐらかして叶えてくれなかった。
「やーまと!」
「なんだよ」
優しい目。
どこか悲しそうな目。
この目が意味するのは妹を可愛がる兄のような家族愛だろうか、と紗奈は大和の膝の上で目を瞑った。
(いや、にしては……)
紗奈が正式な恋人のように大和に接するようになってから、彼は少しずつ、本当に少しずつ、紗奈に甘えるようになった。
『紗奈さん』から『紗奈』になったし、向こうから手を繋いでくれるようにもなった。
「大和ってさー」
「んー」
ほら、今だって。
大和は紗奈の髪を優しく撫でている。
「好きな人いるって言ってたじゃない?」
「くぇえrっtっy」
「なんて?」
紗奈はそれに対して前から疑問を持っていた。正確には、好きな人がいると大和が言ったその瞬間ではなく、圭の死亡について探るために警視庁に行った時から。
「あれ本当?今の恋人としては気になるんですけど」
大和は学生時代、基本一人ぼっちだったと言っていた。最初に聞いた時は嘘だろう、と思ったが、次第に一緒にいる時間が増えるにつれて嫌でも気づいた。
その類稀な容姿から基本的に遠巻きに見られている上、彼は紗奈以外の人間と真面目に関わる気がないように思えた。待ち合わせで紗奈を待っているところを遠めから見たことがあったが、その時も恐ろしいくらいに無表情だった。紗奈以外の人に対してはいつだってそうなのだ。
そんな大和が人を好きになるところが想像できない。
「秘密だってば」
大和は言った。紗奈は拗ねたふりをして、大和の口を割ろうと企む。
「むぅ…………あぁじゃあゲームしよ」
大和は眉を顰めた。
「それ絶対どう転んでも俺に勝てないけど大丈夫?」
「私を舐めすぎだってば。こう見えて結構優秀よ?」
「知ってるけども、俺はその倍は優秀だぞ」
大和は紗奈のほっぺを上から突く。紗奈はほっぺを膨らませた。膨らんだ方を大和が指で突こうと狙う。
「〜〜もう!そんなに自信があるならいいでしょ?」
紗奈は両頬を凹ませて大和が指で頬を突けないようにした。大和が噴き出す。
「いいけどね。俺、紗奈のためなんでもするって決めてるし」
笑いながら大和はそう言った。紗奈は揶揄しようと体を起こした。
「宇宙でだって生きてられる?」
「余裕余裕」
「深海でだって生きられる?」
「簡単だな」
「マグマの中でも?」
「そりゃもちろん」
二人の笑い声が揃った。
「おーけー、じゃあゲームをしましょ」
紗奈はそのゲームの報酬について大和に説明した。
「大和が勝ったら私が何でも言うこと聞く」
「なるほど、逆も?」
「うん。私が勝ったら大和が私の言うこと聞いて」
「…………了解」
間はあったものの、結局大和は了承した。紗奈も胸を撫で下ろす。
「ゲームは全部で3回。3回勝ったら3つ命令できるけど、2回勝ったら2回命令1回服従ってことで」
反論はない。
紗奈はゲームの説明を始めた。
「私と大和がそれぞれ相手の禁止ワードを決めて、その言葉を言わないように会話するってやつ。言った方が負けってことで」
「ああ、なるほどな」
「禁止ワードは一人称と互いの名前は禁止、名詞と動詞のみね」
大和は眉を動かした。もうすでに思考し始めたらしかった。
「把握した。俺からの提案。禁止ワードは3つ設定できるようにしたい」
紗奈も眉を動かした。
「ん、了解。勝手にゲーム決めたしそのくらいは。制限時間は5分にして、言ってしまった禁止ワードの分だけ命令を聞くって言うことにする?」
「まぁそっちのがわかりやすいか」
紗奈は言った。
正直勝つに越した事はないが、紗奈はこのゲームをすることが決まった時点で、負けようが勝とうがある程度どうでも良かった。
紗奈はこの機にできるだけ多くの情報を集めることにするつもりだった。
紗奈は、『言う』『秘密』『教える』
大和は、『好き』『父』『研究』
紗奈はこのために、今日は紙のノートを持参していた。大和は紗奈とゲームをしながら紗奈の禁止ワードを見ようとハッキングを試みるくらいのことは平気でやってのけると知っていた。
「おっけー、これに書けばいいんだね」
互いに聞かれたくないことと言われたくないことを塞いでおく。このゲームの本質は、禁止ワードを言わせることではなく、いかに情報を相手に渡さずこのゲームを終わらせられるかに変貌していた。
「じゃあ、勝負はカフェでしましょ」
書き終わった時、ちょうど車は映画館のあるショッピングモールに着いた。




