水精樹
私は『水精樹』という単語を聞いた時のレン様の表情から、水精樹の状態が良くないことを確信する。
それなら、私ができることは一つしかない。
「今すぐ連れて行ってください。水精樹のところに」
「しかしあなたは長旅で」
「砂漠に砂竜の大群が出た時には、一週間ほとんど寝ずにいたこともあります」
「……っ。その時のこと」
レン様がそこで口籠もり、何か言いたそうにこちらを見つめた。
そうだ私はこの声、あの戦いの最中に聞いたことがある。あの時はグリフィス王国と砂漠の国ラビアン王国が手を取り合ったのだった。
その混乱の最中に、たしかにこの声を聞いた。そして、この耳を見た。あの時、レン様とたしかに出会っていた。
でも、それ以上思い出すことができない。そのことが、心にとげが刺さったみたいにチクチクと気になる。
……でも今は。
水精樹は、一度枯れてしまうと、もう一度芽吹かせることができない。
だから、乙女ゲームでは、新たに小さな水精樹を育て始める。
育てるには多くの時間と労力が必要だ。ミニゲームや必要なアイテムを集めて、水精樹が水を安定して供給し始めるのは、物語の終盤だ。
乙女ゲームの中では、弱者の被害がその間にどれだけ出たかなんて語られない。
水が世界に届くようになって、シエラが断罪されて戦争が終わる。
そしてヒロインと攻略対象者のハッピーエンド。語られるのはその部分だけだ。
「――――水精樹が枯れてしまうことだけは避けないと」
たぶんもう時間がない。乙女ゲームのプロローグで、水精樹はすでに枯れてしまっているのだから。
「案内、してください。今すぐに」
私はレン様に詰め寄った。
このために、きっと私はここに来る必要があった。
シナリオから逃げることばかりを考えていたのが、恥ずかしくなる。
シナリオがそのまま進んでいった時の、戦争も、水不足も、被害を一番受けるのは私なんかじゃない。
水精樹を必ず救って見せる。私は強く決意した。
* * *
水精樹の状態は、予想以上に悪化していた。
青空に浮かぶ雲にまで届きそうな大木、普段なら緑の葉が生い茂るのだろうけれど……。
その大木からは、神聖な力が抜け落ちているように見えた。聖女として過ごす中で何度か見たことのある、精霊が力を失った状況。
「レン様……これから、祈りを捧げます」
「シエラ……」
「祈り終えるまで声をかけたり触れないで下さい。約束です」
「あなたとの約束なら、この命を賭しても」
「王太子殿下が、命をかけるなんてダメですよ」
私は苦笑すると、気持ちを切り替えて水精樹の前に跪く。聖女の魔力を精霊に注ぐため、ただ祈りを捧げる。
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