後編*砂時計
目の前にいるのは亡霊。だけど不思議なことにオレに恐怖はなかった。
それに関しては何も気にせず、平然と話を聞き続けた。悲劇の女王ヒルデガルドの声を。
「あの時は何もかもが受け入れられず、抜け殻の身でも構わないから宮殿にとどまり夫や兵らの帰還を待つ未来を選びました。ですが……」
残酷な過去。なのに毅然と振る舞う姿が痛々しさを倍増させる。
内容だって己を卑下する口調だけど、戦争という地獄絵図を目の当たりにしたんだ、突然すぎて未練も残るよ。
当事者になればオレだってどうしたか。
「あの日から180年……。もう疲れました。男たちの死も受け入れました。私も魂を鎮め愛するお方の待つ地に行きたい」
ひゃ、180年!
じいちゃんのじいちゃんが生まれるよりずっと前だ。そんな時代から……。
たったの5日で飽きたオレだ。永遠ともなれば想像もつかない。
同じ場所での変化のない毎日、そして作り笑い……。
側役たちのあの無表情にも見えた笑顔の理由がわかった気がした。
笑うしかないんだ。そうやって楽しい感情だけを抱えるしか長い年月を乗り越えられなかったんだ。
女王も側役も、彼女たちは本当に疲れ、安らぎを求めて終止符を打ちたいんだ。
でもオレには何もできないぞ。してあげたいのは山々なれど、手段もないから無責任な激励もできないし。何か解決策はないのか!?
けれど意気消沈にはまだ早い。希望は残されていた。
オレが割るのを失敗した眼前の忌まわしき巨大砂時計だ。
女王の指がしなやかにそれを指す。
「この砂時計は宮殿の心臓なのです。割れた時が虚構の消滅の時。おそらく人や建物は消え去り、全てが葬られるのでしょう」
ああそうだったのか。ようやく知った重大な事実。
永遠に流れ続ける現象の正当性を知り、改めて止まることのない不思議な砂時計を見つめ直した。
でもオレは破壊に失敗した身だ。なんとなく肩身が狭い。
「すみません。役に立てなかった……」
するとヒルデガルドは肩までの髪を揺らして無言で頭を左右に振った。
それからオレへの慰めを含め、砂時計の歴史と秘密を明かしてくれた。
「私たちも何度も試みましたが無理でした。生者にしか割ることが許されないのです」
語尾と同時に視線は窓へ。促されるようにオレも向きを変え、青さの欠落した憂鬱になりそうな灰褐色の空を思い出した。
再び届いた女王の声に耳を傾けながら。
「ですから私たちはこの頭上の砂漠に生き倒れ、流砂から落ちてきた者を介抱しては砂時計の破壊を頼んでいたのです」
あ、流砂。
そうか、曇ってると思っていたあの空は砂だったのか。太陽も月もないはずだ。謎がひとつ解けたぞ。
……オレ、あそこから落ちてきたのか。結構高いよな?よく無事だったな。
ああっ神様に感謝!
今にでもひざまずいて祈りたい気分。でも女王がそれとは正反対のことを悪意はなく言い出したので機を逸してしまった。
彼女の苦笑いが印象的だった。
「ですが神も意地悪なものですね。たやすく破壊を許しませんでした。この砂時計は欲を嫌うのです。本当に地上に帰りたいと望む者のみが破壊を達成できるのです」
やるせない笑顔。難題を突き付けた神に為す術もなく、ままならない現状にそんな表情を浮かべるしかないのだろう。
胸が切ない。何もできない自分が本当に歯痒い。
くそっ!彼女を何とかしてあげたい!
「これまでも何百人と実行してきましたが、彼らに破壊はできませんでした。彼らは地上よりこの宮殿に目が眩んだからです。女と財宝に」
多少の軽蔑を声色に感じたけど、男としてはちょっと賛同しにくい。
選り取り見取りの美女と金銀財宝は男のロマンだよな。
女にはわからないだろう。夢は果てしなく限りないんだ!
……つい内心で力説してしまったが、女王の目にはオレは別人として映っているようだ。
ビックリな発言がその赤い唇から飛び出した。
「あなたは違った。女に溺れることなく財宝には見向きもせず。だから私たちはあなたに期待しました。あなたなら私たちの悲願を叶えてくれると。これで安らかに眠れると」
いや別にオレはそんな聖人君子じゃない。好みの女がいなかっただけだ。
財宝だって他人様の物に手出しはできないし。当たり前のことをしたまでで誉められることはしてないぞ。
そう伝えると女王はクスクスと笑った。10歳は年上だろうが、少女のような笑顔にかわいらしさを感じた。
平和だった頃はこの笑顔が毎日のように宮殿内に輝き、誰からも愛されたことだろう。
笑いおさめとばかり、彼女は今一度オレを驚かせた。と言うより照れさせた。
「その謙遜があなたの美点です。やはり純粋なのでしょう。あなたに破壊できなかった事が驚きであり残念でなりません」
ああ恥ずかしいっ!
面と向かって誉められては照れてしまう。嬉しいが、でもそれですませないでくれ!
オレはここに残る気はないぞ。
お調子者で涙もろいのがオレの短所と言う奴もいたが、長所だと言ってくれる人もいた。
この女王もそうだ。ありがたいと思う。だからそんな彼女の望みを叶えてあげたい。
何よりオレ自身がここを出たい。
諦めるもんか!もう一度挑戦だ。
望みはひとつだ。ここから出てやる。オレは出るぞ。出てみせる!!
だけど、本当にいいのか?この人たちは消えてしまうぞ。それでもいいのか?
でも……それを望んでる。
いいのか?
本当にいいのか?
ああっ悩むな!オレは帰りたい。人助けとか、そんなものはどうでもいい。
オレは帰りたい!
地上に帰りたいっ!!
破壊用の鉄の棒を握る手に力を込めた。顔も強ばっていたかもしれない。
女王を怖がらせたおそれもあるが、そんな状態で彼女を見下ろした。
「女王様、短い間だったけどありがとう。今からお礼をするよ。今度こそ成功してアンタの望みを叶えてみせる!」
正直な話、その後は無我夢中でどう動いたのか記憶は薄い。
ガッシャーーーン!
けたたましい音で正気に戻った。
砂時計の割れた音。キラキラと虹色の光彩を放ち、ガラスの破片が広間に飛び散った。
ああ、終わった。
全てが、これで終わる……。
無意識に額の汗を拭った。その掌も汗まみれだと気づかぬままに。
振り向いたそこに女王が笑顔で立っていた。
「ありがとう。あなたと出会えて良かった」
近づく彼女の美貌。思わず目を瞑ったオレの頬に、優しい息とローズの香りが降りかかった。
◆
気づいた時は砂の上だった。夜だ。頭上には満天の星。
虚ろな気持ちで何となく見上げ続けた。
念願の地上だ。遠くにオアシスの灯りが見える。数時間で着きそうだ。
ん?この匂い……。
不意の夜風がふわりと頬を撫で、掌で触れてみた。
鮮やかな紅色が手の甲を染める。甘いローズの香りが鼻についた。
そこにはそれを見つめ、脳裏に女王ヒルデガルドの笑顔を蘇らせるオレの姿。
そしてこれで良かったのだと、自分に言い聞かせた。
重い砂の道を歩き出した。
オアシスで安眠を満喫したい。たぶん明日は昼過ぎまで熟睡だろう。でもその前に予定をひとつ。
今夜は酒場で騒ぎまくるぞ!
END.
Thank You!
名前もつけてもらえぬ(笑)、哀れな主人公の不思議な体験記ですが、楽しんで読んで頂けたなら幸いです。
ありがとうございました。