中編*忘らるる宮殿
「ふわあぁーあっ!」
宮殿に来て5日目の、太陽がないから確かじゃないが、恐らく午後。
オレは中庭で涙も混じる大きな欠伸を漏らした。
理由はただひとつ。
暇だからだ。
そこで浮かぶは切っても切れない当然の思考。
帰りたい。
漠然とそう思ったのは飽きっぽいからなのか、この宮殿に刺激を感じないからなのか。
多分両方だろうな。
まぁ酒や食事は豪華で美味い。
断ってばかりだけど、毎晩違う女が部屋に来ては寝所に誘われ悪い気はしない。
でも日常が退屈であることに変わりはない。
広いだけで面白みに欠けた内部の同じ場所を行ったり来たりの毎日。
さすがにそれは精神的苦痛でしかない。
例えば伝説の剣を探し求めたり、オアシスの怪奇現象を解明したり、盗賊団のアジトを発見したりの血湧き肉踊る刺激的な場面にこそ遭遇したいんだ。
女王ヒルデガルド、愛称ヒルダは宮殿外には出るなと固く禁じてたけど、オレは一介の旅人にすぎない身。
いつか出るのは最初から明白。まさかダメとは言わないだろ。
もし却下されたら、今度こそ怪しい。謎だらけのこの宮殿には本当に何か曰くがあるぞ。
思い立ったら即実行が信条。目的地は謁見の間だ。
女王はそこにいるはずで、「帰れるかも」との期待のもと、自然と足の速度は早まる。
◆
予想はピタリと的中して、お目当ての人物をそこに見出した。
何をするでもなく、ただ椅子に座るその姿は相変わらずの美貌と気品あふれる佇まい。
動作のひとつひとつが優雅で女王としての品格は完璧だ。
オレはそんな女王に単刀直入「帰りたい」と告げた。
彼女は無表情。でも何となく空気が冷たい。機嫌を損ねたかとオレの心もヒヤヒヤだ。
うわっ突然すぎて怒らせたかな!?
女王のパッチリとした瞳には苦虫を噛み潰した表情の男が映っていることだろう。我ながら情けない。
オレはこれ以上嫌われないよう無言。相手も無言。この静寂が怖い。
やがて彼女はゆらりと腰を上げた。ドレス越しの豊満な胸はいやらしさを感じさせず上下に弾み、深いスリットから覗く脚線が美しい。
品の良い足取りでその芸術品は眼前にやって来た。またローズの甘い香りがした。
表情を変えぬまま、真っ赤な唇だけが動きを見せる。
「帰宅を許しましょう。ただし見返りを要求します」
やった!と、まずは一安心。帰れるなら異論はない。
持ち合わせは銅貨しかないが世話になったしどんな恩義でもしよう。難題でない限り。
スーッとヒルデガルドの視線が正面から逸れた。端に置かれたオレの背丈ほどもある砂時計を指さす。
あ、先日見て気になってた物だ。
帰る条件はこの砂時計を割ること。
一見するとデカいだけで普通の、『8』の形に似た上から下に落ちていくガラス製の品物にすぎない。
でもよくよく見ると奇妙な砂時計だった。
本体の縁をぐるりと空洞が通り、下部に溜まっていた砂が左右に別れた空洞を流れて頂点に向かっていく。
そして頂点には中央部のように狭い隙間があって砂は上部に落ちて溜まりつつ、通常のままくびれの真ん中から下部に落ちる。これの繰り返し。
え、手でひっくり返さなくてもいいの!?
砂が自動的に上がる仕組みはオレには不明。
ただただ永遠に止まることない時間の流れを作りあげていた。
うーん、不思議だ。
……話題をもとに戻した。割るのが条件と言うが、どういうことだ?
やたら頑丈で力自慢を競うのか?それとも砂の入れ替え?
よくわからないが言われるまま差し出された鉄の棒を手に取った。やり遂げたら帰れるぞ。
軽い気持ちで、でも全身に力を込める。
上半身をねじって勢いをつけ全力で腕を振った。
よしいくぞっ!
せーのっ!
ガツーーンッ!!
と響いた、表現しがたい音。
当たったのは砂時計上部のど真ん中。なのにガシャンッじゃない。
ガラスは割れてない。そのままの姿でオレの前に立ちはだかっている。
「うそっ何でっ!?」
無意識の大声が広い室内に木霊した。
言ったきり唖然と立ち尽くすしかない。信じられなかった。
「あるいはあなたならと思ったのですが」
至近距離からの声はもちろん女王のものだ。
我に返って振り向くと明らかに落胆の面持ちが。
声にも深刻さが込められてたし、えっ、これって失敗が許されなかったのか?そんな一大事だったわけ?
勝手に期待されてもオレにはちんぷんかんぷん。
まず初めからわかるように教えてくれっ!?
「どういうことだよ。隠さず全てを教えてくれ。オレは帰れないのか!?」
興奮してしまったけど当たり前だ。こんな所に閉じ込める気か?
隠し事も気に入らない。とにかく説明が欲しかった。
◆
女王の顔つきが変わった。唇をキュッと結び、気を引き締めてるようだった。
何か話してくれそうだ。こちらも身構え、心の準備に取りかかる。
そして……。
「ここは女たちの怨念と未練の世界なのです」
彼女はそう前置きし、遠くを見つめて静かに語り始めた。
「この地で戦があったことは先日も話しましたね。あの日、戦地から男たちは戻らず、やって来たのは敵国の軍勢でした」
女王の声が震えた。冷静で毅然とした彼女もやはり人間。感情はあるみたいだ。
思い出したくもない過去だろうに申し訳ない。
でもこれが数々の謎の理由であるのなら止めるわけにはいかない。
後で謝るから今は我慢してくれ。
そして話は続く。口調はさらに熱を帯びた。
「残された女に何ができたでしょう。宮殿は占拠され財宝は略奪され女たちは暴行され……。そして私はかつての平和と夫である国王様との再会を望み、彼の剣で自害しました」
ヒルデガルドが瞳を閉ざす。彼女のこらえる胸の内が何となく伝わった。
どれほどの憎しみ悲しみだったことか。痛々しくてたまらない。
自害。そうか、かわいそうに。女王としての誇りと責務を……ん?
ん?ん?
は?自害?
「ですが直後に砂嵐が起こり宮殿をまるごと飲み込んで一昼夜で砂中へと埋めてしまったのです」
おいおいおいおいっ、待て待て待てっ!
……は?自害?
いま、自害って言ったよな?死んだ人間がどうしてオレの前に?いま話してるのは誰?
冗談を話す時ではない。そんな女でもない。
となると話は怪しい方向へ進んでいくわけで、それが事実だとすると……。
ふと女王の眼差しが交わった。
オレの内心を察していたのだろう。落ち着かせるように彼女は儚げに微笑んだ。
一度だけ市場で見たことがある大陸東部原産の牡丹とかいう花みたいに咲いた笑顔。
確かに穏やかになる微笑みだった。だからこの後に続いた会話も冷静に聞くことができた。
「死んだはずの私は望み通りここで待つ身となったのです。永遠の魂がどれほど辛いか思い知らされながら」
そうか、この人は、ここの人々はもう……。
地上から名前が消えただけじゃない。宮殿も人間もすべてがこの世から消えた、存在しない世界なんだ。
ここは砂に埋もれた、忘れられた宮殿……。
 




