お前に食わせるラーメンはねェ!
「お前に食わせるラーメンはねェ!」
彼のその大喝は、小さな店の外にまで響いたという……
彼の名は丘田山美晴。
ラーメン屋を開店したばかりの若者だった。
したばかり──と言ったが、そろそろ半年が過ぎようとしている。
最初の一月はそれほど人気の店というわけでも無く、1日20人も客が来ればいいくらいの店だったが、ある雑誌で「健康になれるラーメン特集」という記事が出たときに──「ラーメン味晴(MIHARU)」の名が載って、それ以来、人気の店となったのだ。
まだ人気が出てから3ヶ月ほどしか経っていなかったが、若い女性から──健康を意識し始めた中年のサラリーマンまでが足を運ぶ店となっていた。
健康に悪い料理の代名詞的なラーメンで、「健康になる」などの謳い文句を付けた雑誌のお陰で、彼は何とか生活できるようになったのだ。
「塩分控えめでスープを飲み干せるラーメン」
「素材にこだわった無添加のラーメン」
「4種類のラーメンすべてが美味しい」
などと雑誌でも絶賛され、口コミサイト「食えログ」でも満点に近い点が付けられている。
彼の涙ぐましい努力によって生み出されたラーメンは、なぜ健康をテーマにした内容になったか──それを話そう。
* * *
「おい美晴。おめェの作るスープは、気合いが足らねえ」
ラーメン作りの師匠である塩見太郎は言った。
彼の言う「気合い」とは塩分のことであった。
美晴が自分の店を出すときに、師匠に味見をしてもらったときに、そう言われたのだ。
「塩見さん」
彼は頷きながらまっすぐに師匠の目を見る。
「いくらなんでも毎日ラーメンを食べていたら身体を壊しますよ。僕は身体にも気を使ったラーメンを提供したいんです」
「そうは言うが、おめえ……」
長年「身体に悪いラーメン」を作り続けてきた塩見は毎日、自分の店のラーメンを食べてから店を開けていた。
自分で食えねえ物をお客に出すわけにはいかねえ。
そんな昔気質な男だったのだ。
塩見の師匠も、そんな昔気質の職人だったらしく、彼の年の頃には成人病をいくつもこしらえて、亡くなったのだという。
美晴は師匠を尊敬していたので、彼には長生きして欲しいと心底思っていたし、自分の店を出そうと決めたときには、必ず「身体にもいいラーメン」を出すと心に決めていた。
「う──ん。気合い足らねえが、確かに味は悪くねえ。……よし、お前の思う通りにやってみな!」
塩見は昔気質な男だったが、融通のきかない人では無かった。
そんなところも美晴は尊敬していた。
塩見はその後も、美晴の作るラーメンスープの基礎となる味を求めて彼に付き合って、いくつもの試作品を作っては、その味を確認してくれたのだ。
どの素材を増やすか、減らすかを指示し、決め手となる新素材の入手にも協力してくれ、軍鶏肉とガラを使って取った出汁が完成した。
長い月日が掛かったが──塩見が居なければ、さらに3倍以上の時間が掛かっただろうと、美晴はこのダシ作りについて雑誌記者に語っている。
「タレ」にも塩分を控えるためにギリギリまで少なくし、隠し味の蜂蜜と合わさって美味しくなるギリギリのラインを攻めた。
不断の努力によって完成したラーメンスープは、醤油と塩の2種類。
そのスープに加え、塩見の店「汐美」で出されている海鮮出汁のスープも「味晴」で出すことになり、4種類のすべてが個性的な美味さを持ったラーメンになった。
……ところが、美晴が小さな店を出して間もなく──師匠の塩見太郎が他界してしまう。
心不全だった。
元から血圧の高かった塩見。
医者からも、ラーメンの味見はスプーン一杯でもできるでしょうと言われていたが、彼は毎日食べても飽きない味にこだわり続け、毎日、店で出すラーメンを食してしまっていたのだ。
美晴にとって師匠の死は大きな衝撃だった。
突然の訃報に──彼は葬式に行った後も、やりきれない想いを抱いたまま、店を開くこともできずにいた。
心配して彼の元を尋ねて来たのは、塩見から紹介された仲介業者。美晴に軍鶏などを提供していた彼らも、塩見の死に悲しんでいたが、彼はスマホで撮った1枚の写真を美晴に見せると、こう言った。
「お客さんが待っていますよ」と。
写真には自分の店のシャッターに貼られた数枚の紙が写っており、そこには「再開を待っています」の言葉や、「元気を出してください」といった暖かい言葉が綴られていた。
美晴は反省した。
お客の期待を裏切ってはいけない、それは師匠も口を酸っぱくして言っていたことだ。
彼の作るラーメンを食べたいという、お客が居る限り──全力でラーメンを作り続けるのが、塩見太郎や丘田山美晴といった職人の仕事なのだから。
「そうだ、しょげている場合じゃない」
それからすぐに彼は店を再開させ、懸命に働いた。
常連もまたやって来るようになり、店は以前の活気を取り戻したのである。
──そんなときに、例の「食えログ」で気になる書き込みがあったと常連の1人が言うのだ。
「健康にはいいかもしれないけれど、全体的に薄味で空虚、中身が無い。何度も足を運びたくなるような店では無い」
そんなことが書かれていたのだという。
しかもその投稿者と同名の、同じアカウントからと思われる書き込みが、別の料理屋レビューサイトでも見つかったと言うのだ。
美晴は憤慨した。
師匠と協力し、研究した成果を、苦労に苦労を重ねて作った味を馬鹿にする、そのコメントに──殺意に近い感情を覚えただろう。
「いったいコイツは何様のつもりなんだ⁉」
口には出さなかったが、美晴は客の見えないところで拳を握りしめ、怒りを堪えていた。
「しかも、このアカウント……どうやら、ここの常連らしいですよ」
そんな馬鹿なことがあるだろうか?
何度も店に通っておきながら、その店を誹謗中傷するようなコメントを、SNSのあちこちで書きまくっているというのだ。
その常連がアカウントの情報を探って、ツイッターなどの情報も洗い出し、誰が書き込んでいるかを特定したのだと言って、紙にその情報を書いて美晴に渡してくれた。
「こんなクズは、出入り禁止にしていいんじゃないですか」
その常連客はそう残して店を出て行く。
美晴もまったく同感だった。
例えお金を払っている客だからと言って、何をしても許されるわけじゃない。
彼はをの投稿されている内容に目を通し、ますます怒りを強めていった。
「金を払って食べたいと思う味じゃない」
「健康志向を目指して作られた中途半端な一品」
「ラーメンを馬鹿にしている味」
美晴は怒りでハラワタが煮え繰り返る、ということを初めて実感した。
こんな野郎は許せない! こいつはお客なんかじゃない! こんな奴のために苦心して、手間暇を掛けてラーメンを提供しているわけじゃない!
そして常連が紙に書いた手がかりの通り、その人物が誰か、はっきりと分かった。
ツイッターに写真が載っていたからだ。
名前も知らないその男は、確かに「味晴」の常連の1人だった。
「なんてクソ野郎だ……!」
何食わぬ顔をして食券を買って差し出しておきながら、SNSで店の誹謗中傷を書きまくっているとは。
何度も何度も何度も──店の自動ドアを開けて店の中に入り、財布から金を出して券売機の前に立つ。そっとカウンターに食券を差し出す手。
その行為の1つ1つに腹が立ってくる。
* * *
そして「味晴」にその男がやって来た。
美晴がSNS上に書かれた言葉の数々を調べ上げ、本人に間違いないと確証を取った翌日に、店にやって来たのである。
「あんたは『麺食い海賊』さんだよね?」
SNS上での名前を呼ぶと、券売機の前で固まる男。他の数名の客が「なんだなんだ」と美晴と男を交互に見る。
「あんたの書いたもの、ぜんぶ見たよ。もう帰ってくれ。そして2度とうちに来ないでくれ。あんたが来たって、うちから出せる物なんて何も無いよ」
目を見開く驚いた表情のまま、モゴモゴと何か言い訳を口にしている男。
美晴は何も聞きたくないと、ひとこと口にした後──大きな、大きな声で言ったのである。
「お前に食わせるラーメンはねェ!」
出て行け! と手を振る美晴の前から、男は店の外へ逃げるように退散した。
真っ青な顔をして出て行った男は、それ以降──アカウントも削除して、2度と美晴の前に姿を現さなかった。
もしかすると「麺食い海賊」は店が混むのを嫌って、ああしたコメントを各サイトに載せていたのかもしれない。
だとしたら、なんという自己中心的な男だろうか。
店のことも考えずに書いた言葉で、その男は結局、自分自身の首を絞めることになったのだ。
美晴は店に居た客に大声を出した謝罪をすると──伝票を回収して、その1杯は無料にしますと言ってもう1度、頭を下げた。
師匠との思い出の味。
食べた人の身体を労る1杯を目指す彼の理解者は、いつまでも彼の店に通う常連となっていた。
讒言によって彼が作るラーメンの味が変わるわけではない。
美晴はいつまでも自分の理想を追い求めた1杯を作る。
師匠との思い出を胸に、彼の職人としての魂が求めるところに従って、真摯にラーメン作りに取り組み続けるのであった。
── 完 ──
ある見方をすると、違う事柄にも通用する内容となるように書きました。
正直に言うと、投稿する前に「こんな内容でも読んで、評価してもらえるかな」と不安を持っていました。予想を超えて多くの方に読んでもらえて、評価もしていただき、ありがとうございます。