第65話 捻挫伝
夕暮れ時の満月家にて。
「おかえり、母さんと姉……ご?」
マジナは帰ってきたチヨとコーリンを迎えた。と、同時に驚いた。
コーリンの両手に、包帯がぐるぐる巻きにされていたのだ。
「事のいきさつはザックリ聞いたけど、まさかここまでになるとはね……それで姉御、お医者さんにはなんて言われたんだい……?」
コーリンは靴脱場に腰掛けつつ、こう答える。
「軽い捻挫だって」
チヨはコーリンの靴を脱がしつつ、こう補足する。
「そう、軽い捻挫。だいたい一週間後ぐらいは物持てないんだって。
まったく、練習中ムキになってメチャクチャ強いスマッシュ打った先輩も先輩だけど、それを無理くり手首で返そうとしたコーリンもコーリンだからね」
「クッソー、右に行き過ぎたのが悪かったなー。もう少し左に立って返せれば絶対カウンター決まったっていうのによー」
「姉御、試合の振り返りより重要なことを医者に言われてるよね?」
「ああ、そうだ、この通りしばらく両手使えないんだ! まぁ、そこんところ、よろしくな!」
チヨはそのコーリンの空元気っぷりに困り、こうぼやく。
「……不思議だよね、両手塞がれてるのにこんなに元気にしてるなんて」
「確かに。これじゃ自家発電できないじゃん」
と、マジナはそれに共感した。
その夜。満月家の食卓にカレーが並ぶ。
「今日の夜ご飯はカレーなのじゃ。あれお母さん、昨日は『とんかつ』と言っておった気がするのじゃが……」
「ルシェヌ、コーリンお姉ちゃんの腕見てよ」
ユノスに言われた通り、ルシェヌはコーリンの手を見る。それは包帯がグルングルンに巻かれ、なおかつ手先の部分にはスプーンが括り付けられていた。
「コーリンお姉ちゃんが食べやすいようにって急遽変更したの。ほら見て、ボクきちんと配慮して具材も細かくしたよ」
「あんがとよユノス。よし、これなら自力で食えるはず……」
コーリンは手に括り付けたスプーンをカレーに入れ、すくい上げ、
「痛い痛い痛い! はむっ!」
見事一口食べて見せた。
「うっし、自力で食えるなこれ!」
「思いっきり、痛いって言ってたよね!?」
ピコリの至極真っ当なツッコミを、コーリンはケラケラ笑って、
「なあに心配するな、これはあれだ、リハビリの一環だと思えば何てことはねぇ! 痛い痛い痛い! 旨い!」
また一口食する。
チヨはさらにツッコむ。
「いやいや、これで悪化したらますます良くないって。やっぱりこの食べ方やめようよ」
「そうかよ。けどじゃあこの後どうやってこれ食べるんだよ!?」
チヨはコーリンのスプーンを取って、カレーを一すくいして、
「あたしが入れてあげるから、ほら、あーん」
「なるほど、その手があったか! あーん」
コーリンはチヨによって運ばれたカレー一口をパクり――これを繰り返し、コーリンはカレーを食べていく。
この親子の共同作業に、嫉妬心を抱く者が一人。そう、彼女は言うまでもなく……
「ずるいのじゃ! コーリンばっかりあーんして貰えるなんて!」
「うわ、やっぱルシェヌが言うと思ったよこれ」
いちいち説明するのかったるいなぁ。と、思いながらもチヨはルシェヌに優しく、
「ルシェヌ、コーリンは両手を捻挫してるからあーんしてあげてるだけで、別にコーリンを贔屓しているわけじゃないから、ね」
「じゃあアタシも両手をネンザすればあーんして貰えるのかえ?」
「ハイリスクローリターンだよそれ。あと、ピコリ。今からあたしの代わりにコーリンへあーんして。あたしもカレー食べたいんからさ」
「はーい、って、何故ウチに?」
「何となくだけど、何か問題ある?」
「あ、ありません」
かくてピコリはコーリンにあーんするという、嬉しくも無ければ苦しくもない、ただただ気恥ずかしい役目を課せられる。
それを受けたピコリの気持ちを、コーリンは気にもとめず、カレーを完食した。
「ま、とりあえず誰かに協力して貰えば、両手が治るまでの間楽にしのげそうだな」
「ウチ的にはまだ苦労することいっぱいありそうなんだけどね……」
ピコリがいつの間に占い師ジョブに転職したのか知らないが、この予感は見事的中した。
「『気にしなくて大丈夫ですよ!』って先輩のトークに送ってくれ!」
「了解、姉御」
両手が塞がれている故に、スマホが使えないので、コーリンは他人――今回はマジナ――に自分のスマホを操作してもらい、
「もっと腰回りを拭けよ腰回りを!」
お風呂は捻挫を悪化させるので、代わりに他人に身体を拭いてもらわなければいけない。
「わかっている! 己……一体何がこうなって姉のデリケートゾーンを掃除しなきゃいけないんだ」
なお余談だが、この身体拭きの担当はサバキになっている。
何故そういうボディタッチに慣れているマジナが担当しないのかというと、彼女はそれ以上のことをしでかして良からぬ方へ向かわせるタイプの人間なので、逆にそういう下ネタに厳しいサバキが担当させられているのである。
まだまだコーリンの両手が使えない故の困りごとは存在する。
その一つが『コーリンはノートが取れない問題』。
両手が塞がれているのでシャープペンを握れないのだから、当然の帰結だ。
(だからウチが板書しないと……)
それで最も被害を被るのがピコリ。
後々コーリンがノートを写せるように、同じクラスにいるピコリがしっかりと板書しなければならないのだ。
「何かお前、黒板に書かれたこと全部写してねぇか? 要所だけかいつまんで書けよ。さもないと後でオレが写す量が増えちまうだろうが」
「はい、すみません」
「あと何だか気に食わないな、この可憐なまるっとした字。オレ的にはあんまり読みやすくないぞ」
「IKK●さんの字よりはヒネリがなくて読みやすいと思うんですけど……すみません」
と、このようなコーリンの介護と……
「一昨日はハヤシライス、昨日はビーフシチュー、今日はリゾットかえ!? 一体とんかつはいつ来るのじゃ!」
「しょうがないでしょルシェヌ。コーリンが少しでも食べやすい献立にしてるんだから」
半液体ばかりの夕食を食べ続け……
「胸周りもきちんと拭けよー、あ、むやみやたらに揉むなよ」
「揉んでたまるかってんだ……」
微妙に横柄なコーリンの注文もありながら……
「うっし、どれだけ握って開いても痛くねぇ! やっと両手が治ったぞ!」
コーリンのタフネスもあって、彼女の両腕は五日で完治した。
「はぁ、それはよかったね……姉御」
これにてチヨ達の負担が一気になくなり、全員揃って大いに安堵したのは言うまでもない。
「これでようやくとんかつが食べられるのじゃ」
ルシェヌの言う通り、今日の夕食は散々繰り下げにされたとんかつだった。ちなみにこれはチヨの『捻挫にかつ』という洒落も含まれている。
「死ぬほどどうでもいい情報じゃん」
「……今誰に話しかけたの、ピコリお姉ちゃん?」
「さ、みんな座ってー。今日は皆さんお待ちかね(?)のとんかつだよ」
チヨの一声で満月家は、食卓に集う。そして一斉に『いただきます』を言う……前に、コーリンから一言。
「まず手短に。みんな、これまでオレの迷惑に付き合ってくれてありがとな!」
これまでの五日間、チヨや妹五人のサポートを受けて、どうにか生活できていたコーリン。
途中途中横柄な態度をとったこともあったが、長女として、一人の人間として、それの恩義は決して忘れていなかった。
「母さん。オレが捻挫になった時に、会社飛び出してまで病院に連れてってくれてありがとな」
「いや……当然でしょ、あなたの親だもん」
「マジナ。オレが自……」
「そのエピソードはカットしていただけないか!? コーリン殿!」
「いやー、どういうタイミングで姉御の性か……」
「だからカットしろと言ってるだろ! マジナ殿!」
「サバキ。今まで身体を拭いてくれてありがとな」
「何たる切り替えの早さ。散々注文を聞かされてうんざりしたがな……どういたしまして」
「ピコリ。オレから見てもノートのまとめ方がメチャクチャだから直した方がいいぞ!」
「はい、すいません。以後気をつけます」
「ユノス。今まで半液体の献立考えてくれてありがとよ」
「ちなみに治ってなかったら、今日はポトフの予定だったよ」
「ルシェヌ。お前は今回とんかつに執着し過ぎだぞ。一体どんな縁があった」
「あ、それウチも思った」
「それは……こちらも知らんのじゃ」
「そして改めて。みんな、今まで本当にありがとよ!」
締めに、コーリンは顔面がとんかつに付かないギリギリの深さまで頭を下げた。
「こちらこそ……」
「「「「「どういたしまして」」」」」
閑話休題。ようやく満月家は、
「「「「「「「いただきます!」」」」」」」
を言い、コーリンはひさびさの半液体じゃないとんかつを、豪快に二切れを口に入れる。
そしてチヨは尋ねる。
「どう、ひさびさのごちそうのお味は……」
しかし肝心なコーリンは、
「……ゲホッ、ゴホッ、ヴヴッ!?」
食欲そそる個体食に気持ちが先走り、食べる勢いが良すぎて喉をやってしまった。
「ちょっと、姉御。これ大丈夫!?」
「エヴォッ! ゲエッ! オヴヴゥッ!?」
「姉御、また病院行きだね……どんまい母さん」
「……ウッソでしょ」
【完】




