第28話 満月姉妹が五人になる日①
某大学にて。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「大丈夫ですか満月先生。さっきから咳してますけど……」
「大丈夫です。ちょっと喉に何かが詰まっただけですから」
大学講師である、チヨは自分のデスクで作業をしていた。
(ルシェヌったら、何であんな苦いチョコを渡したんだか。ああいうニガめのチョコは食べたことあるけど、今回は身構えなしにパクりといったから……まだあのこっぴどい味が喉に……)
「ゲホッ」
これ以上咳き込んで要らない心配をされても困るので、チヨは一旦デスクを立つ。
口内のリフレッシュ用のコーヒーを得るため、職員室内のコーヒーマシンへ。
「ん、満月か」
チヨは、軽く苦虫を噛み潰したような顔をした。コーヒーマシンに、お世辞にも仲の良くない先輩がいたからだ。
その先輩は、チヨの大学生時代の恩師でもあるが、とりわけ厳しくうるさいことで有名で、当時から快く思っていなかった。
「何でここにいる?」
「その、コーヒーを一杯……」
「何故に? お前はただでさえ忙しいのに、その時間を裂いてでもやることがあるのか?」
「あ……いえ、無いです……はい。すみません」
喉のリフレッシュは断念、チヨは踵を返し、デスクに退散する。
「あ、そうだ。満月、次の授業まで時間あるだろ? 印刷室でオープンキャンパス参加者に配る封筒の詰め作業してるから、今やってるの終わらせたら、加勢に行ってくれ」
「……はい」
チヨは先輩の圧力に押され、今やってる作業を速やかに終わらせ、十数分ほど、封筒の詰め作業を手伝い、授業に行く。
ここでも彼女の胃が痛くなる。
「これとこれをパーティーに入れれば、ノーコンで行けんだろ」
「こっちの折り方のほうがよく飛ぶだろ。ほら」
「すー、すー」
春休みも近くなり、浮かれ気味になっているというのもあるだろうが、その日の講義室は、すこぶるルーズ。チヨの真剣な講義は生徒達にとって、BGM程度にしかならなかった。
無論チヨは怒ろうとした。だが、そうした所で、こういう連中は必死さを嘲笑するだろうと察し、ひたすらにストレスを溜め続けた。
授業終わり、チヨはデスクに帰還。また別な作業を行う。
「おい満月、近場の高校回り行くぞ」
また例の先輩に命令され、自分の仕事を一旦放置し、今度は先輩の車に揺られる、高校の偉い人に頭を下げつつ資料を渡す、先輩の車に揺られる……を繰り返す羽目になる。
「はぁ……」
移動中、チヨは窓に向けてそう、ため息をつく。
「お疲れか、満月」
「……はい」
「大学講師ってのはそんなもんだ。もう少し楽したいなら、教授なりなんなりを目指すこった」
「……ですよね」
「いまいち乗り気じゃないな……そこまで講師のままでいたいのか?
というか、何故お前は講師になろうと思ったんだ。学生の頃は家を継ぐって友達に話していたのに」
「聞いていたんですかそれ」
「周りからの評価は乏しいが、俺だって一応教師だ。そういった噂にもキチンと耳を立てている。で、何故お前は講師に……」
先輩にせがまれ、嫌々ながらもチヨは、何故自分が家を継がず、講師になったのかを語る。
*
話のきっかけは二十二年前。チヨの父親が、『満月コーポレーション』の社長になったこと。
チヨの両親は元々、ありふれた街の数少ない名物である、アップルパイの店を営んでいたの。
それが突如として人気大爆発し、とある資産家から「いっそチェーンにし、全国展開しないか」と勧められ、その通りにしたのだ。
満月コーポレーションは見事に業界に定着し、早々に中堅企業としての地位を得た。
これを受け、当時高校生だったチヨは思った。『自分が立派になり、この会社を継がなければいけない』と。
それからチヨは猛勉強に励み、今努めている大学の経済学部に入り、社長としての能力を高めていった。
大学三年生のこと。チヨは、ふとした偶然から、ある男性に出会った。
その男性は同学年同学科の者で、以降、彼はチヨへ猛烈なアプローチを仕掛けた。
チヨはそれを、初めはうざったらしく思った。
だが、その掴んで離さない情熱に徐々に引かれていった。結婚して父親を喜ばせ、できる女としてのアピールもしたかった。
故に、チヨは交際を始め、四年生の頭頃、ついにゴールインを果たした。
幸福はここまで。後にあるのは不幸だった――結婚生活から半月足らずで、『あの』六人との浮気が発覚したのだ。
チヨは途方もない悲しみに暮れた。だが話にはまだ続きがある。
チヨは責任を持って、この騒動の詳細を父親に伝えた。自分の非を認め、全身全霊で謝罪した。
対して、父親は特に気に留めない様子で、こう言った。
「そうそう、今さっき、私は次期社長を『飯島ロスイ』っていう女性に任せようと決めたんだ。若い頃からアフィリエイターとして活動してた、才気あふれる子だ」
これはチヨにとって、死刑宣告に等しかった。
要するに、『お前には会社を継がせない』ということなのだから。
何が悪かったのかは十分わかっていた。だから、チヨは以降、父親に会うことは無かった、葬式にも行くことはなかった。
進路も娘たちのことも考え、経済的に安定しつつ猛勉強の成果を活かせるからと、そのまま大学講師にとスライドした。
そして、チヨは、現在に至る。
*
「……ご苦労さま」
「心遣い、ありがとうございます」
「言われてみれば、そうだったな。お前はいつも勉強ばかりしてる奴だったが、一時期からその雰囲気が違うような気がしてた。まるで敗走してるみたいな……」
「申し訳ありませんね。見方次第では安直な理由で講師になりまして……」
「いや、別にいい。人手はいくらでも欲しいから……よし、次で最後の高校だな。これが終わったら後は何も言わない。後は帰っていい。移動が大変なら俺の車で学校まで戻ってもいい」
「ありがとうございます」
先輩の心遣いで、チヨは少し早く帰れた。
「ただいま……」
玄関のドアを開けると、廊下に姉妹六人がひしめき合っていた。
「何してるの?」
ピコリが答える。
「面接練習してるの! 特に今は入るまでの流れを!」
加えてマジナが言う。
「けど全員がほぼほぼ緊張してて、今誰が先行って、誰が面接官役するか揉めてるんだよ」
「おい、お前、面接受ける役やれよルシェヌ。魔王だろ、こう王様らしく、ドカーンと、度胸を見せろ」
「嫌なのじゃ! 二人っきりで緊張感が辛すぎるのじゃ! サバキ、ゆけい! お前は規範になるの好きじゃろ、ならなれい!」
「待て待てルシェヌ! かと言ってすぐ行けるものか、こういうのは良く考えて行かせろ!」
「じゃあボクが先行くから、誰か面接官して」
「なら私がやる。主導権こっちにして、ワンツーマンで相手するのは慣れてるから」
「いや、自分が行く! 一度面接が何たるかを感じさせろ!」
「痛っ、おいサバキ、今オレにお前の肘が当たったぞ!」
「あとサバキ姉さん、さっきからウチの足踏んでません……?」
「悪いな、だが、仕方あるまい、こんな狭い所で六人でゴチャゴチャしてるんだから」
「ぐぇっ、めっちゃ強く踏み込んできたこれ……」
秒刻みで状況が悪化していく六人姉妹へ、チヨは一言。
「じゃああたしが面接官やるから、姉妹順に来なさい」
「おう、それいいな! よし、お前ら、母さんにやってもらうぞ」
「ふっ、相変わらず手のひら返しが早いな」
「足どうにかして〜! もう耐えられないんだけど〜! この家、思いの外狭いってこと考えてよ〜!」
「そりゃあ六、七人が廊下に集結しているんだから、狭く感じて当然だろうに……さ、並ぼう並ぼう」
チヨは部屋着に着替えながら、六人の娘が廊下で揉める様子を聞いて、自分を情けなく思った。
(自分がもっとちゃんとしていれば、あんな男と付き合わず、しっかり社長になっていい家住んでいられたのかな……)
一時間後、チヨはルシェヌの面接を終え、総括として六人に、
「もう少しリラックスしていこう。緊張し過ぎるとあからさまに変なことしちゃうから」
「「「「「「はい!」」」」」」
「うっし、じゃあ練習終わり、さ、ご飯にしよ……」
ここで、チヨは通知音を鳴らす自分のスマホを取り、
「はい、満月です」
『もしもし、ロスイだけど。急な話だけど、今、あなたの家の近くのレストランに行く予定だけど、こっちがおごるから、来れない? 話がしたいの』
「はい、大丈夫です。すぐ行きます! はい!」
『そ、じゃあ駅前で待ってるから』
「……みんなごめん! ちょっとあたし、急用が入ったから、夕飯は自分たちでどうにかして!」
「了解、夜道に気をつけなよぉ、母さん」
チヨは申し訳なさげに二千円を置き、出かけ支度をして、駅前へ早歩きで参る。
ロスイはわかりやすく、高級車へ乗り、チヨを待っていた。
二人はそれに乗り、近場のそこそこなレストランの席に着く。
「本当にごめんなさいね、急に呼び出しなんかしちゃって」
「いえ、お誘いありがとうございます」
「いえいえ、娘さんも置き去りにさせましたし」
「いーえ、あの子たちは自分たちでどうにかできますから」
「そう。じゃあ遠慮無く長話できるわね……」
初めの雑談を終え、ロスイはいよいよ本題を切り出す。
「うちの会社で、新事業を始めるの。今までのノウハウを生かした、直営のベーカリー・カフェをね」
「へぇ、そうですか」
「で、それの運営をする新子会社を設立しようと、今あれこれ進めてるの……そこであなたに頼みたいことがあって」
「?」
「もし良ければ、あなたをそこの社長にしたいの」
「えっ……あたしをっ!?」
チヨは自分が椅子からすべり落ちそうになるのを、全力でテーブルにしがみついて止める。
あの一件以降、会社からすっかり遠ざかった自分に、今ここでチャンスが舞い戻ってきたのだから、驚きのあまり力が抜けてしまったのだ。
「ええそう。ただし、一つ条件があるんだけど……」
「はい、何でしょうか!」
「あなたの娘さんを一人、こちらによこしてちょうだい」
【完】




