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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
アルビレオの希望―はくちょう座―
9/36

3

 右手には大きな塀があり、その向こうからは規則正しい波の音が聞こえる。私の身長では見えないのが残念だ。すぐそこは海だった。


 潮風と波音で存在を主張している。県庁所在地から大きく東に離れた月城市は山あり海あり川ありと自然の恵みたっぷりで、大きな道路はこうして海沿いに作るしかなかった。


 田舎だと馬鹿にする人もいっぱいいるけれど、私はこの生まれ育った場所が気に入っていた。


 ところが今は自然や環境という言葉は無視され、道にはプラスチックの容器や紙くずなど様々なものがが散乱していて綺麗とは言えない。


 乗り捨てられたような自転車が無残な姿で横たわっている。目を背けたい気持ちに駆られながら私は意識を切り替えた。


 ちらちらと視線を飛ばしながらも左手に注意がいく。穂高とは彼の家を出発してから手を繋いだままだった。


 男の子と手を繋いで歩くという経験なんて幼稚園以来だ。


 勢いで繋いでしまったものの冷静になると、恥ずかしさと緊張で手に汗が滲むんじゃないかと心配になりますます心臓が早鐘を打ちだす。


 振りほどきたい衝動に駆られながらも、私の手は思ったよりも彼に力強く握られているので余計な抵抗はできない。


 きっと彼にとって大きな意味はなく、足元が悪いから転ばないようにと気を使っただけなのかも。


「あまり車通らないね」


 意識を逸らしたくて苦しまぎれに私は呟く。県の中心部からここら辺の市や村へと繋ぐ唯一の大通りなのにほとんど車が通らない。


 もうすぐ高速道路が開通するって話だったのに、それも中途半端に終わっているらしい。


 どこもかしこも渋滞だったのは、月が地球に落ちてくるというニュースが流れた直後の話だ。キャンピングカーが飛ぶように売れ、生産はすぐに追いつかなくなった。


 多くの人々がどこか安全な場所を求め、家族、恋人、大事な人たちを乗せて食料品や生活必需品を詰め込み走っていくさまは、まさにノアの箱舟だ。


 滑稽だとは思わない。私は、私の家族は逃げ出す気力さえなかったから。


 目線を上にし空を見ると、太陽の光を遮る雲が現れさっきまでいた月も隠している。


「昔からさ、地球に一番よく似ている火星に移住するって話がずっと言われてたでしょ? あれって現実的にどうなのかな?」


 ふと、私は思いついた疑問を口にした。たしか彼もそんな話をしていた。


「なに、ほのかは火星に住みたい?」


「そういうんじゃない。仮に移住できてもそこで生きていけるかは別でしょ」


「そうだね。なら火星以外で考えてみようか」


「火星以外?」


 穂高も空を見つめ、口元を緩めた。


「そう。たとえば木星。自転の早さは太陽系の惑星ナンバーワンで地球が一日二十四時間なのに対し、木星は九.九時間しかない。せっかちにはいいかもね。ただし嵐のような暴風が吹き荒れているから飛ばされないようにしないと」


 どう考えてもそれ以前の問題だ。けれど彼の説明が面白くて、私はつい質問した。


「じゃぁ、一番自転が遅いのはどこ?」


「金星だよ。一日を終えるのに百十二日かかる。ほのかみたいにのんびりさんにはいいかもしれないけど、天気はいつも曇りのち硫酸の雨が降るし、温度は四百六十度にまでなるよ」


「全然駄目じゃん」


 あきれ半分で私は返した。もちろん最初からなにも期待していないし、別の星に真剣に移住なんて考えてもいない。


 でも穂高の言い方は興味というか期待というか、そういうのを抱かせるのが上手いと思った。


 私は長めの息を吐く。潮の香りが鼻を掠めた。


「……ほかの惑星からすると地球って本当にすごい星なんだね」


 小学校の理科の時間に先生から『地球は奇跡の星だ』なんて言われた記憶がある。あのときは深く考えずにいた事実が、こうして身をもって感じる日が来るとは。


 この広い宇宙で太陽系の星が水星から海王星まで並び、確認できる範囲でとはいえ私たちの住む地球だけがこうして生物が生きていけるのだと思うとなんだか不思議だ。


「ほのかこそどう思っているんだ?」


「え」


 不意に握っていた手に力が込められる。足を止めて彼を見れば、真剣な顔でこちらを見ていた。


「今の状況。俺にどう思うかって聞いてきたけれど、その前にほのかはどう思ってるんだよ」


「どうって……」


 私は答えに言いよどむ。代わりに穂高が続けた。


「俺は、事情があって月の落下騒動があってから色々な人たちを見てきた。泣いて絶望して自分の家の屋根から飛び降りた人や、とにかく家族だけは守ろうと一家で安全と噂される土地へ行った人。淡々と自分の仕事や使命に精を出す人、信念を持って行動する人もいれば変な宗教や信仰にハマる人もいた。そもそも月が落ちてくるという情報自体を頑なに信じない人も」


 お前はどれなんだ? そんなふうに聞かれている気がして、私は視線を泳がせる。


「私は……受け入れたの。完全にって言ったら嘘になるけど。でも、もう疲れちゃったんだもん。泣くのも、絶望するのも、必死になるのも。だから考えないようにしたの」


 死ぬのが怖くないわけがない。もし本当に月が地球に落ちてくるのだとしたら、その瞬間はどんな感じなの?


 苦しまずに死ねるのかな? 死因はなにになる? 死んだその先はどうなるんだろう。


 何度も何度も頭の中でシミュレーションしてみては、真綿で首を絞められるように息が苦しくて心臓が止まりそうになった。


 勝手に涙が溢れて体が震え、眠ることもできずに頭やお腹、体の至るところが悲鳴を上げる。


 地球が滅びる前に自分がボロボロだった。


 叫びたくて、このモヤモヤを払いのけたくて、走り出したい衝動を必死に抑える。自分を痛めつけたくなる感覚は生まれて初めてだった。


 だから、私はもう考えるのを放棄した。今まで私が必死でやってきたのは勉強だけだったから、なにかに取り憑かれたようにひたすら教科書と参考書のページをめくって問題を解いていく。


 その間は余計な考えに心を支配されずにすんだ。


 勉強以外になにをしていいのかわからず、時間を持て余す日々。カウントダウンが始まっている世界で、時間を持て余すというのもなんだか矛盾しているけれど。


 三学期になり学校にもしばらくは通っていた。でも生徒も教師も人数は徐々に減る一方で必然的に学級閉鎖の状態となった。しょうがない。


 ただ穂高の姿がなかったのには少しだけ胸が痛んだ。彼に会うのを期待して真面目に通っていたところもあったから。


 そんな彼と今、一緒にいるなんて信じられない。月が地球に落ちてくるっていう事実ほどに。なにもかもが夢みたい。それならどこまでだろう?


 境界線がぼやけて苦笑する。どうやら私はこの期に及んでもまだ、現実を受け入れられてないみたい。

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