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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
アルビレオの希望―はくちょう座―
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「へー。ほのかはこんなときでも相変わらず予習復習をしていたわけだ」


「そういう言い方ってどうなの」


 私はつい口を尖らせる。まったく緊張感がないのもいいところだ。軽口を叩き合いながら私と彼は他愛ない話で盛り上がった。まるで放課後にふたりで勉強していた時に戻ったかのような感覚。


 けれどそれが私の心を落ち着かせていく。その延長線上で私は彼に尋ねた。


「安曇くん、宇宙好きだったよね。今の状況をどう思う?」


「なかなか切り込んでくるね」


 ここで深刻そうな顔をされたら、私はきっと自分の振った話題を後悔した。けれど彼はおもしろおかしそうに笑っている。


 だから私も下手に気を使わずに素直に返せた。


「だって聞きたくなったの。安曇くんは今の世界をどんなふうに思っているんだろうって」


「なんで俺?」


「それは……」


 彼はいつも私とは違う世界を見ていた。考えを持っていた。私とは違い、はっきりとした自分の信念にも似たものを。


 答えに窮している私に対し、彼はわざとらしく窓の方に目をやった。


「今の状況がどうというより、もしも本当に月が地球に落ちてくるなら、そのときは肉眼でしっかりと目に焼きつけるべきか、それとも望遠鏡を通して見た方がいいのか、いっそのこと宇宙にでも行って見るべきなのかは悩むところだね」


 足元には大きなトランクが置いてある。やっぱり帰国も考えたのかな。それともそんな予定でもあるんだろうか。


 湧き出る疑問を口にはせず、改めて彼を視界に捉えた。


「今、なにか見えるの?」


「月は見える」


 間髪を入れずに返ってきた答え。それは望遠鏡を使うまでもないんじゃない?


「そういうのじゃなくて、こう……おすすめの星とか」


 勢いのまま続けると彼がぽつりと呟いた。


「アルビレオ、かな」


「アルビレオ?」


 おうむ返しをすると、彼はぱっと明かりが灯ったように血の通ったいきいきとした表情になった。


 そして私の前を横切って壁の天文表を指し示す。


「ちょうど今綺麗に見える時期で、はくちょう座のくちばしにある星なんだ。北十字星とも呼ばれて、それを構成している」


 星や宇宙の話をするとき、彼はいつも子どもみたいに楽しそうで溌剌としている。


 私は余計な口を挟まずに話を聞き入った。まるで先生と生徒。久しぶりに学校みたい。


「ほのか、知ってる? アルビレオは肉眼で観るとひとつの星に見えるんだけど、実はふたつの星が連なってるんだ」


「そうなの?」


 彼は白い歯を覗かせた。見慣れた位置にえくぼができる。


「そう。『天上の宝石』っていわれてて、オレンジの主星と青い伴星からなるんだ。このふたつは見かけの重星なのか、互いに重力的な影響を及ぼす真の連星なのかはまだはっきりとしていないんだけど、いつもそばにいて互いに輝き合ってる。望遠鏡で見ると、はっきりわかるよ。めちゃくちゃ綺麗なんだ」


 専門用語を交えながらも彼の勢いは止まらない。私が把握できたのはふたつの星の色くらい。けれど十分に心は動かされた。


「見てみたいな」


 気づけば素直に希望を口にしていた。ところが彼は意表を突かれた顔になる。


 なにかまずいことでも言ったかな?


 私の不安をよそに、安曇穂高はしばし考えを巡らせる素振りを見せた。そこでふと思い直し「本気にしなくてもいいよ」と付け足そうとする。


 しかし、なにかを閃いたのか悪戯を仕掛ける相談でもするかのような笑顔を彼はこちらに向けてきた。


「なら見に行こうか」


「へ? どこに?」


西牧(にしまき)天文台へ」


「えっ!」


 まさかの提案に私はつい大きな声を出してしまった。西牧天文台は月城市に隣接する西牧村にある。


 市でも町でもなく村だ。市町村合併が進んだ今でも村として名前を残し頑張っていて、その西牧村にはいくつかの有名施設がある。


 そのひとつが今挙げた県内唯一の天文台だ。私は小学校の頃に社会科の授業で行ったっきりになる。


 基本的に天文台での活動は夜になるので、そこまで興味のない私はあまり訪れる機会もなかった。


 まさかそこに行こうと彼が言いだすなんて。


 見たいと言った気持ちに嘘はなかったけれど、なにやら本格的な話になってきた。


「今から行けば夜にはつくよ」


「本気なの?」


「もちろん」


 腕時計を見ておおよその見当をつける彼に、私も時間を確認する。午後一時半。


 隣村まで海岸沿いのバイパスを歩いて十キロほどだ。ただ天文台は山の上の方にあるので、なんとも言えないけれど。


「でも、行っても施設が動いているとは限らないよ? 誰もいなくて閉まっているかも」


「大丈夫。あそこの管理者さんと知り合いだから。あの人は、きっといるよ」


「この状況で?」


「この状況だからだよ」


 あっけらかんと返してきた彼に私はますます意味がわからない。世界がいつ終わるかもしれないというときに、真面目に仕事をしている人はほんの一握りだ。


 かろうじて電気や水道はまだ通っているけれど、スーパーや病院、公共交通機関などはごく一部しか機能しておらず、私たちの生活は不便さと縮小を強いられている。


 ここは田舎だからとくにだ。


「月が落ちてくるかもしれないなんて事態、天文マニアからすると絶対に見逃すわけにもいかないだろうしね」


 私は開いた口が塞がらなかった。彼を含め宇宙や星が好きな人たちの考え方は、私には衝撃的だ。でも、なんだか羨ましい。


 ずっと忘れていたワクワクするという感情が自然に湧き起こる。この逸る気持ちは不安や絶望が原因なんかじゃない。


「世界が終わりそうなときに星を見に行くなんて。私たちって馬鹿なのかな?」


「なんで? 終わりそうなんだから好きなことをしない方が馬鹿だろ」


 彼の切り返しに私は笑った。本当だ。誰になにを遠慮する必要があるんだろう。


 こうして彼に会いに来たのだって、そんな気持ちからだ。


 話が決まればあとは行動するのみ。なんといっても時間は限られている。


 てきぱきと支度を終えた彼は明るい水色のダッフルバッグを肩にかけた。階下に下りると彼は祖母に出かける旨を伝える。


 彼の祖母はなにかを言いたげに眉をぴくりと動かした。さすがに止められるのではとハラハラする。


「そうね、穂高の好きにすればいいわ。気をつけていってらっしゃい」


 不本意と顔に書いてある気がする。無関心でも突き放すわけでもなくて心配しているのは伝わってきた。


 それでもこんな状況だからって最終的には本人の意思を尊重して『好きにすればいい』というのは、なんとも理解がある。


 男と女の違いか。私だったら許されそうもない。お邪魔したお礼を言い、彼の祖母に頭を下げた。


 外に出ると、やはり蝉の声が煩い。空は綺麗な青に染まっていたのに、今は雲が出てきている。


 日差しが遮られるのは有難いけれど天気が悪いと星は見えにくいのではと心配になる。


 空にはやはり不気味な形の月も浮かんでいて、視界を遮るように私は手に持っていた麦わら帽子をかぶった。


「その帽子」


「え」


 彼の指摘に私は首を傾げる。


「初めて見る。ほのかもそういう格好するんだ」


 思えば、お互いに制服姿しか見たことがなかった。今の私は白のフリルがあしらわれたトップスに、動きやすさ重視でチェックのキュロットスカートとスニーカーの組み合わせだ。


 彼に会うつもりでもなかったから、お洒落とか女子っぽさとかは意識していなかった。


「変かな?」


「いや、似合ってるよ」


 ストレートに褒められ、私は無意識に帽子のつばに触れた。


「安曇くんも……」


「穂高」


 なにげなく口にして、彼に強く言い直される。


「名前でいいって言っただろ。俺も呼んでるし」


 むず痒くも温かい気持ちになる。彼の顔を見られないまま私は静かに頷いた。


「うん。穂高の私服も初めて見るけど、よく似合ってるよ」


 ブイネックのボーダーシャツに白い七分袖シャツを羽織り、細身のジーンズを合わせている。シンプルだけど知的な感じがして彼らしい。


「元がいいから」


「そうだね、穂高はカッコイイよ」


 茶目っ気を交える彼に私も応酬する。彼は柔らかく微笑み私に手を差し出した。


「行こう、ほのか」


「うん」


 私は迷わずに彼の手を取った。


 不思議。世界が終わらなかったら、月が地球に落ちてくるなんて状況を迎えなければ、私はこうして彼と一緒に今ここにはいない。


 夜の海みたいに不気味で容赦のなくすべてを飲み込みそうな存在から逃げるために外に飛び出した。逃げ切れるわけもなくて、いっそのこと飲まれてしまった方が楽になるのかもしれないと何度も思った。


 抗うだけ無駄なのかもしれない。でも、その先に掴んだものがこの手なのだとしたら――。


 繋がれた手は骨ばっていて私よりもずっと大きい。力強く一歩足を進め、私は彼と世界の終わりにも関わらず無謀な冒険に出かけた。

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