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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
アルビレオの希望―はくちょう座―
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 彼の、正確には彼の祖父母宅はなかなかの豪邸だった。昔の町の中心部と言われている平屋が並ぶ一角にあるひときわ大きなお屋敷。


 『安曇』という珍しい名字もあわさって、大体の位置だけを覚えていたらたどり着けた。


 瓦屋根が黒々と輝いて、門構えからして違う。木の格子の玄関は伝統と重みを感じさせた。


 おかげで勢いに任せて来たもののインターフォンを鳴らす手前で、冷静な自分が歯止めをかけた。


 半年も音沙汰なく突然家まで押し掛けて、どう思われるだろう? そもそも彼はいるのかな。こんな状況だし、とっくにアメリカに戻っているかもしれない。


 あれこれ考えを巡らせたが、最終的に私はインターフォンを鳴らした。迷う時間も惜しい。


『はい』


 機械を通した硬い女性の声が聞こえ、私は麦わら帽子をさっと取って挙動不審気味に自己紹介する。


「あのっ、私、紺野ほのかと言います。安曇穂高くんと同じ高校で………安曇くんはご在宅ですか?」

 

 この聞き方でよかったのかな?


 しばらくの沈黙。どうしよう、と後悔にも似た感情が心拍数と共に上昇する。そのとき重厚なドアががちゃりと音を立てたので思わず肩が震えた。


「ほのか?」


 当然のように名前を呼ばれたことよりも、懐かしい顔に心が揺れる。変わらないとは言えない。痩せたというか、やつれたというか。疲れた顔をしている。


 でも仕方ない。私だって人のことは言えないし。けれど、彼はやっぱり彼だった。懐かしくて、切ないと呼ぶ感情が込み上げてくる。


 私はぎこちなくも微笑んでみせた。まるで家出娘が帰ってきたかのように。


「……久しぶり」


「どうした? 世界の終わりに俺に会いたくなった?」


「うん」


 茶目っ気交じりの彼の問いかけに素直に頷くと、安曇穂高は大きい瞳をさらに見開いた。


『とにかくあがりなよ』という言葉を受けて、迷いながらも私は家にお邪魔する流れになった。


 外観からの予想を裏切らず中の作りも立派で、モダンとでもいうのかな。いい具合に和洋折衷で大きな油絵なんかも掛けてある。


 先ほどインターフォン越しに対応したのは、彼の祖母で『おばあちゃん』というより『マダム』と呼ぶのがぴったりの素敵な老婦人だった。


 髪は白いけれど艶があり、毛先は緩やかに丸まっている。おそらく癖毛なんだろうな。髪質の硬い私とは正反対だ。


 やはり彼女の顔にも疲労感が滲んでいて、いきなり現れた来訪者に戸惑いつつも受け入れてくれた。


 安曇穂高はさっさと二階の自室に行くよう促すので、私は躊躇いつつも彼についていく。


「どうした?」


 この質問は、私が彼を尋ねてきたことに対するものではなく、彼の自室の前で足を止めたことに対してだ。


「えっと、よく考えたら男の子の部屋に入るのって初めてだなって」


 そもそも男子の家に来たのも初めてかもしれない。理由を白状すると、安曇穂高は吹き出した。


「家まで押しかけておいて、今さら?」


「そ、そうだね」


 我ながら大胆な真似をしたと思う。世界の終わりじゃないと、きっとこんな行動は取らなかったし、取れなかった。彼は笑って自室のドアを開ける。


「大丈夫。俺も女子を部屋にあげるのは初めてだから」


 私を気遣っての彼の言葉にどういうわけかホッとする。同じ初めてだからかな。浮上した気持ちを抑えつつ部屋に足を踏み入れた。


 私の自室より広く、余裕で十畳ほどはあり、失礼を承知で部屋中に視線を飛ばす。異性とはほぼ縁なく生きてきたので、なんだか新鮮だ。


 ベッドの真向かいには小さなソファがあって、奥には勉強机。隣には大きな本棚がある。小型の冷蔵庫もあって、少しだけ羨ましく思った。


 壁には外国人バスケットボール選手のポスターが貼ってあったり、本格的な天文表も目を引く。


 本棚には意外にも漫画が並んでいて、彼の年相応さを感じた。それでいて難しそうな分厚い英語の本が半分以上を占拠している。


 相場は知らないけれど、そこそこ値段が張りそうな望遠鏡が窓際に存在感を放ちながら陣取っていた。


 アンバランスのようで心地いい。それはここが彼自身を凝縮させたようなものだからなのかも。


「元気にしてた?」


 ふと問いかけられ、私は彼に意識を戻した。ソファに座るよう勧められ、おとなしく腰を下ろす。


 彼は小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取りだすと、こちらに手渡してきた。小さくお礼を告げ、私はようやく返答する。


「それなりに。そっちは?」


「見ての通りかな」


 正面のベッドに座り、彼はペットボトルの蓋を回した。カチカチという独特の音が部屋に響く。


 彼は数種類の錠剤を手に取り、口に含む。食糧不足の今はこうしてサプリメントでカロリーや栄養を補ったりするのが当たり前だった。


「アメリカには帰らなかったの?」


 今度は私から問いかけたが、彼は水を飲んでいるのですぐには答えない。豪快にゴクゴクと飲む姿は男子っぽかった。


 自分にはない喉仏が上下するのをぼんやり見つめる。そして、彼がペットボトルから口を離した。


「色々事情があって」


「そっか」


 なんとも表面的なやりとり。でも深くは聞かないし、聞けない。年が明けてから今まで、なんの苦労も苦悩もなく過ごせた人はきっといない。


 そこは暗黙の了解だ。


「で、いきなりどうしたんだよ?」


 わざと明るめに振られた彼の質問は真っ当なものだった。でも言葉が続かない。


 本当に久しぶりに外に出て、そこで月に怯えるカップルに偶然に会って、そのとき彼の言葉を思い出して……。


 あれこれ思い巡らせた結果、私は正直な部分を打ち明ける。


「会いたく、なったの」


 しかし発言してすぐに後悔と羞恥心に襲われる。


 これでは、まるで恋人かなにかだ。私たちは普通のクラスメートよりは親しかったかもしれないけれど、そんな特別な関係でもない。


 慌てて言い直そうと口を開こうとした瞬間、先に彼が続けた。


「俺も会いたかったよ」


 耳鳴りがしそうなくらい部屋が急に静まり返った気がした。彼の顔は穏やかで、からかいなどもなく真面目だった。私の訂正の言葉を封じ込めるほどに。


 続いて数秒遅れで体が勝手に反応する。血が沸騰したんじゃないかと思うほど全身が熱くなり、勢いよく私はうつむいた。


 膝の上で握り拳を作り、存在を煩く主張する心臓の音が体中に響くのをただ受け入れる。


 いちいち彼の言葉に翻弄され過ぎだ。彼がストレートな物言いをするのは、もう十分にわかっているはずなのに。そもそも私だって同じことを彼に言ったわけで……。


「ほ、他にも学校の誰かに会ったりした?」


 訂正しない代わりに無理やり話題を変える。ちらりと彼を見れば、少しだけ複雑そうな表情をしていた。


「……いや。ほのかだけだよ」


 それでも律儀に答えがあり「そっちは?」と返されたので私も、素直に答える。


「私も、誰にも会っていない。ずっと家に籠っていたから」


「なら、今ここにほのかがいるのは地球が助かるのと同じくらいすごい確率なんだ」


 今度はおどけた口調で告げられた。おかげで私も乗っかる。


「そうだよ。私がここにいるのは、ある意味奇跡なんだからね」


 口にして彼と目が合い、どちらからともなく笑みがこぼれた。こんなふうに自然と笑ったのはいつぶりだろう。


 世界が終わるかもしれない事態に直面して、大げさかもしれないけれど私が笑えたのはこのときが初めてだったかもしれない。硬かった空気が一度崩れると、懐かしい雰囲気に包まれる。

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