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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
カリストーの秘密―おおぐま座―
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4

「正直、俺はあんな行動取れないよ。それに理恵さんを送るのも本当はどっちでもよかったんだ。有難迷惑になる可能性だってある。でも、ほのかがものすごく心配そうにしてたから」


 彼の言い分に私は目を白黒させた。


「あそこで彼女と別れていたら、ほのかはずっとその後も気にしていただろ。だからだよ」


 彼の言い分に私は押し黙る。まさか穂高が私のことまで考えていてくれたとは思いもしなかった。


 そして理恵さんが帰ると言ったときに、自分が抱えていたモヤモヤの正体が少しだけ判明した。あのままでいいのかと悩んだ自分。でも、それって――。


「自己満足……だよね」


 穂高が言うように、有難迷惑だったかもしれない。理恵さんのためというのは建前で、本当は自分が放っておけないから善意を押し付けただけだ。


 穂高は立ち止まり、今度は真っすぐに私を見つめてきた。


「べつに。誰かを気遣ってあれこれ悩むくらいなら、自分の思うように動けばいいんだよ。どうせ相手の気持ちを百パーセント理解するなんて無理だ。だから自分が、ほのかがしたいようにすればいいんだ」


「……うん」


 小さく呟くと、今度は思い切って自分から穂高の手を握ってみる。不安を吹き飛ばすように力を込めた。


 昔から勉強はできるけれど、人間関係を築くのはどうも苦手だった。だって正解がないから。


 無意識に相手を傷つけた経験もあって、発言や行動を後から後悔することも日常茶飯事だ。それがますます誰かと関わるのを億劫にさせた。


 でも穂高の言葉に少しだけ心が軽くなる。


 たしかに相手の気持ちを百パーセント理解するなんて無理な話で、だからこそ自分で想像して考えないといけない。結局、決めるのは自分なんだ。


 もっと早く、穂高とこんな話ができていたらよかった。


 心の中で呟き、これがまた後悔にも似た感情で私は慌てて考えを振り払う。


 逆だ。今だから彼とこんな話ができたんだ。後悔はしない。するなら感謝だ。


 いつのまにか彼も私の手を握り返してくれていた。そして、せっかくなので谷口商店に寄ってみようという話になる。


 なにか飲み物か食べ物などがあれば補充しておきたいし。


 ところが谷口商店があると思われるおおよその場所まで来たものの、少し周りが入り組んでいて見つけられなかった。派手な店構えでもないだろうし。


 どうしようかと迷っていると、反対側からこちらにやってきた女性の存在に気づく。


「あの、すみません。このへんに『谷口商店』ってありますか?」


 穂高が声をかける。おそらくこの周辺に住んでいるのか、彼女はとくに大きな荷物も持っていない。


 五十代くらいで、白髪交じりの髪は肩につかないくらいで切りそろえられている。黒縁の眼鏡をかけ真面目そうな印象だった。学校の先生のような雰囲気がある。


 ただ、エプロンというより割烹着のようなものを来ていた。それが妙に似合っているのだから、ついまじまじと見つめてしまう。


 女性はすっと腕を伸ばした。


「こっちの道をまっすぐ行ってしばらくすると小さな四つ角になるの。そこを左に曲がって、さらに細い道を入ると看板が見えてくるわ」


 教え方もよどみがなくはっきりしている。声も凛としていた。


「ありがとうございます」


 穂高が踵を返すので私も女性に頭を下げて、彼に続こうとする。


「ちょっと、あなた」


 しかし、まさか呼び止められるとは思ってもいなかった。しかも女性の視線からするとどうやら彼女が用事があるのはピンポイントで私だけのようだ。


「はい」


 まさに先生に声をかけられたかのごとく緊張して女性を見つめると、彼女も私の顔をじっと覗き込むようにして見つめてきた。


「ちょっとごめんなさいね」


 続けて女性の起こした行動に私は心臓が跳ね上がる。彼女は私の顔に手を添えると、目の下に親指をやり皮膚を引っ張ったのだ。俗に言うあっかんべーの状態だ。


「あなた生理中?」


「え? い、いえ。違いますけど!?」


 あまりにもナチュラルに尋ねられ、私は戸惑いながらも上擦った声で正直に答えた。いったい、なんだというの。


 質問内容にしたって、異性である穂高の前でされるには恥ずかしすぎる。


「ちゃんと月経は来てる? 止まってない?」


 なのに彼女は空気を読んでくれない。私も私で彼女の先生らしい厳しさに下手に逆らえなかった。


「今のところ……」


 蚊の鳴くような声で答えると女性はようやく私から手を離す。


「そう。それにしてもわりと重症な貧血ね。よかったらこれ、あげるわ」


 話しながら彼女は割烹着のポケットに手を突っ込み、なにやら連なっている粉薬のようなものをこちらに差し出してきた。


「それ鉄分を増やす薬だから飲みなさい。この状況なら仕方ないかもしれないけど、自分を大事にね」


 言い終えると女性は、さっさとその場を後にする。私は呆然としてしばらく動けなかった。


 まるで狐につままれたかのようだ。とっさに受け取ってしまった薬を確認してみると薬品名が印刷されていた。たぶん本物だろう。


 あの女性の愛飲サプリなのかな。お節介というか親切な人もいるんだな、と素直に好意として受け取る。


「大丈夫か?」


 穂高に声をかけられ、急いで我に返る。気まずさもあって、私は彼の顔を直視できずうつむき気味になった。


「う、うん。大丈夫。変わった人だったね、びっくりしちゃった」


「そうじゃなくて」


 そこで帽子越しに彼の手が私の頭に触れる。


「貧血って言われてただろ。体調は? つらかったらちゃんと言えよ」


 貧血どころか一気に血が体内を駆け巡った。誤魔化すように私は返す。


「でも、そんな自覚症状とか全然ないし」


「自覚症状が出てからじゃ遅いだろ」


 間髪を入れずに返ってきた穂高の口調は珍しく厳しい。そこで彼は調子を取り戻すためにか、ひと呼吸忍ばせる。


「あの人の台詞じゃないけど、自分を大事にしろ。ほのかは女の子なんだから」


 くらくらするのはどうしてなんだろう。本当に貧血なのかな。それとも暑さのせい?


 頬が熱くなり、心臓が強く打ちつけるのを私はぎゅっと堪えた。どちらともなく足を進める。


 さっきの理恵さんに対する態度といい、アメリカはレディファーストの国だから穂高にとって女性を大事にするのは当然というか、なんというか……。


 頭の中で必死に理論づける。すぐそばに本人がいるんだから聞けばいいのに。でも聞けない。私は彼にとって少しは特別なのかな。


 頭の中で飛び交う思考を一度沈め、今は谷口商店を目指すことに専念した。

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