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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
カリストーの秘密―おおぐま座―
14/36

3

 なにか言ってほしくて背後を歩く穂高に視線を送る。目が合った彼は複雑そうな表情を浮かべているので、少しだけ胸が軋んだ。


「あの」


「理恵さん」


 冷静な声で名前を呼んだのは穂高だ。私と理恵さんは足を止め彼に注目する。なぜか緊張している自分がいて、はっきりと彼から否定の言葉が出るのを待った。


 すると、どういうわけか穂高は私の頭にそっと手を置き、まったく予想していなかった内容を告げた。


「今、微妙なところなんですから、あまりほのかに余計なことを言わないでください」


 微妙? 余計なこと? 


 抽象的な穂高の物言いに私は混乱する。彼より私の方が現国も日本語も得意なはずなのに。


「そっか。それはごめんね」


 ところが理恵さんには通じたらしく、私だけ置いてけぼりだ。とはい自らこの話題を突き詰めてもいけない。意気地なしの自分。


「やっぱり地球が終わるときには誰かと一緒にいたいわよねー」


 唐突に理恵さんが前を向いて歌うように言い放った。


 月はうっすらとまだ空にいる。あれが地球に向かってくるとき、私は誰かといるのかな?


 一緒にいたいと思える人に会いに行くくらいの猶予はあるんだろうか。


 月城市から西牧村に入った看板を目にして、海沿いの大通りから奥の道へと入っていく。理恵さんの家は、どちらかといえば月城市寄りだった。


 水害を考慮してか、高めの階段を三段ほど上ったところに自宅はあった。昔ながらの、というかそれなりに年季が入っている。


 ドアだけ新しくしたのか、綺麗さが逆にアンバランスだった。


「よかったら上がっていく?」


 ドアを半分開けた状態で理恵さんは思い立ったように聞いてきた。


「いえっ。遠慮します。そんなつもりじゃなかったですし」


「そう? ハンカチのお礼もしていないのに」


 きっぱりと断った私に理恵さんはどこか悲しそうだ。


「おひとりで大丈夫ですか?」


 穂高が気遣うように尋ねる。すると理恵さんは笑顔になり、さらにドアを開けた。


「平気よ。それにさっきはいないって言ったけど、実は一昨日から家族が増えたの」


 どういうことか尋ねようとして、玄関の靴箱の上にある鳥籠が視界に入る。ぱっと見、中に鳥がいるようには思えない。


 近くに寄るよう勧められ、私と穂高は遠慮がちに中に足を進めて鳥籠のそばに寄った。


「家の近くで怪我してるのを保護したの。早く元気になってくれたらいいんだけど」


 籠の下の方にひっそりとインコがいた。緑色が鮮やかで、可愛らしい。


 しかし右の羽がぼさぼさで不自然に毛が抜けて、飛ぶ素振りを見せない。病気というより、なにかの動物にでも襲われた感じだった。


「そういえば理恵さん、ここらへんで猫を見かけませんでした?」


 同じ考えに至ったのか穂高が質問した。


「猫?」


「茶色いぶちで、すごく体が大きいんです」


 私も補足する。けれど理恵さんは首を横に振った。


「見てないわね。探してるの?」


「私たちの猫じゃないんですけど……。『谷口商店』の息子さんが探しているみたいなんです」


「そうなの。でも谷口商店って久々に聞いたわ。まだしてるんだ。子どもの頃、そこの近くにある焼肉屋さんによく行ったのよね。こじんまりしたお店だったけれど、美味しくて」


 理恵さんは懐かしそうな顔をしながら『さすがにそちらはもうないか』と呟いた。そしてふっと含みのある笑顔を浮かべる。


「猫探しもいいけど、気をつけないとだめよ。ここらへんジェイソンが出るんだから」


「ジェイソン?」


 私は目を見開いて抑揚なく繰り返した。出るにしても、あまりにも突拍子のないものだったから。


 私の反応に満足したんか、理恵さんはそれこそ猫のように目を細め、にやりと笑った。


「そう。子どもの頃から噂があってね。目撃証言もいくつかあったの。遅くまで外で遊んでいると、大きな斧を持った血まみれの男が『なにをしているんだ?』って声をかけてくるのよ」


 想像しただけで私の背筋は凍った。あいにくホラー映画は苦手だ。まだ口裂け女とかの方が笑って流せそうなのに、ここは田舎で生い茂った場所も多いので尿にリアリティがある。


 そのとき突然、うしろから肩に手を置かれ私は思わず叫んでしまった。


「わっ!」


 犯人は穂高で、呆れた面持ちでこちらを見下ろしている。続けて彼は私の頬に軽く手の指を滑らせた。


「ビビりすぎ。本気にするなよ」


「だ、だって……」


「ごめんなさい、怖がらせすぎちゃったかしら?」


 理恵さんは困ったように笑っている。穂高に触れられた箇所を慌てて手で覆うと、違う意味で心臓がドキドキしてくる。


 なごやかな空気が玄関に戻ったところで、すぐに事態は一変した。理恵さんが前触れもなく再び顔面蒼白になり靴を脱いで奥へと駆けて行ったのだ。


 胸騒ぎが起こり、不安な気持ちになる。ややあって理恵さんはのろのろと玄関に戻ってきた。


「ごめん、なさいね。上がってもらってお礼したかったのに」


 先ほどとは違い、覇気のないしゃがれた声だった。私は早口でまくし立てる。


「いえ、こちらこそ体調が悪いのに長居してすみません。とにかく休んでくださいね。お体大事になさってください」


 病院にちゃんと行ってください、というのは言えなかった。公共交通機関もほとんど動いていない状態で、それがどれほど難しいことなのかわからないほど自分も現実を見えていないわけじゃない。


 お医者さんも、バスの運転手さんもみんな人間で、それぞれに家族や大事な人がいる。みんながみんな、どんなときでも職務をまっとうできる人ばかりじゃない。


 ここらへんでも機能している病院はひとつやふたつだ。それも個人経営の小さなもので、もし重症な病気なら県の中心部にある医療センターや国立病院などに行くしかない。


 こういうとき田舎はどうしても不便で不利だ。


 複雑な思いで理恵さんの家を後にして、私と穂高は歩き出した。手は繋いでいない。黙々と足を進めていた。


「穂高は優しいね」


 自分の中でざわついているなにかをぶつけるように私は彼に声をかけた。


「優しい?」


「うん。だってあの状況で送っていくって言えるんだもん」


 私はそこまで頭が回らなかった。受け答えに精いっぱいで理恵さんのためになにかできるとは思えなかったし、提案する余裕もなかった。


 だから少しだけ妬けてしまう。優しい穂高に。


「私は自分のことばかりで……」


「最初に彼女にハンカチを差し出したのはほのかだろ」


 きっぱりとした口調に、私は思わず続けようとした言葉を詰まらせた。


「そう、だけど」


 横に並んでいた穂高がちらりと視線をこちらに送ってきた。目が合うと彼は目線を前に戻し、口を開く。

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