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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
カリストーの秘密―おおぐま座―
13/36

2

「俺は平気だから」


 肩に腕を回され、ぐいっと力強く彼の方に寄せられる。おかげで私はそれ以上、穂高の顔が見えなくなった。密着度が増してダイレクトに温もりを感じる。


 私からの質問を誤魔化すためだったのかもしれない。


 それでも私はおとなしく彼に身を委ねた。穂高にもたれかかり目線を斜め上に向ければ、屋根で途切れた先に透き通るような青が広がっている。


「あのー」


 すっかり微睡まどろみそうになっていた私は、突然の第三者の声に心臓が口から飛び出そうになった。


 必要以上に慌てて、目を泳がせる。すると若い女性が時刻表の前に立ち、こちらを申し訳なさそうな顔で見ていた。


「すみません、県庁前に行くバスって動いていますか?」


 か細い、鈴を鳴らしたような声だった。二十代くらいで檸檬色の半袖ブラウスにオフホワイトの膝下まであるロングスカートという組み合わせ。


 長い髪は後ろでは緩く束ねられている。化粧っ気がないけれど、はっきりとした顔立ちだ。私は思わず立ち上がる。


 ここから県の中心部までは、車でだいたい一時間ほど。バスならもっと時間はかかる。ところが今は――。


「いいえ。もうバスは動いてないんです。私鉄なら、まだ……」


「そうですか、ありがとうございます」


 私の回答に女性は伏し目がちになる。落胆する彼女に私はつい踏み込んで聞いた。


「どうされたんですか?」


「ちょっと病院に行きたくて」


 消え入りそうな声で彼女は告げた。


「病院ですか? どこか体調でも」


「大丈夫。今すぐどうこうってわけじゃないから」


 無理矢理作った笑顔だった。華奢な感じだからか、ほぼすっぴんだからか彼女の顔はみるみる青ざめていく。


 今にも倒れそうだと思った瞬間、彼女は顔を歪め口元に手をやった。さっと移動し、私たちから隠れるように奥の茂みの方で体を丸める。


 嘔吐しているとすぐにわかったけれど、あまりにも突然のことにどうすればいいのかわからず立ちすくむ。


 考えを巡らせ、とりあえず鞄からハンカチを取り出し、私は飲みかけのペットボトルの水を振りかけた。そして戻ってきた女性に差し出す。


「あの、よかったらこれ」


 彼女はためらいつつも、『ありがとう』と小さく告げて、私からハンカチを受け取った。口元に押し当て、大きく息を吐く。やはり顔色は血の気がなく青白い。


「大丈夫ですか?」


 聞いてから不適切な問いかけだと思った。大丈夫ではないのは火を見るより明らかだ。彼女は涙目で吐き気を抑えるように眉をしかめている。


「ご自宅はどこら辺ですか? ご家族は……」


 矢継ぎ早に尋ねそうになり我に返る。初対面の人間に不躾すぎた。ましてやこんな苦しそうな状態なのに。


 しかし女性は気を悪くするふうでもなく静かにかぶりを振った。


「家族はね、いないの。最近、こっちに戻ってきたんだけど、私一人で」


「そう、なんですか」


 歯切れ悪く答えると女性は口に当てていたハンカチをゆっくり離した。


「ありがとう。驚かせてしまってごめんなさいね。でもおかげで少し楽になったわ」


 そこで彼女は手にしていたハンカチに目をやる。


「どうしましょう。ハンカチを汚してしまって………」


「気にしないでください! たいしたものじゃないですから」


 あたふたと大袈裟に返す私に女性は微笑む。やっぱり綺麗な人だ。私にはない大人の余裕というか色気というか、そういうのが備わっている。


 彼女は時刻表をちらっと見てから視線を戻した。


「とりあえず今日は帰るわね」


 私の心をモヤモヤしたものが侵食する。なのに原因も吐き出し方もわからない。


「よかったら送っていきますよ」


 さらりと申し出たのは穂高だった。女性は目を丸くし私も驚く。けれどすぐに彼の意見に賛同した。


「おひとりで帰りになにかあっても大変ですし、せめて近くまででもご一緒させてください!」


「でも、あなたたち用事があったんじゃないの?」


 穂高の顔を確認するようにうかがうと彼は軽く頷く。その表情は優しくて、私の気持ちを優先してもいいと言ってくれた気がした。


 だから私は『平気です』と力強く答えた。


 結局、押し切る形で女性を家まで送っていくことになった。ちょうど進行方向も同じだったので手間でもない。


 彼女は石津いしづ理恵りえさん、二十四歳。


 大学進学をきっかけに県外に出て、そのまま就職したんだそう。しかし月の落下騒動があり、今月になって会社を退職。実家のある西牧村に戻ってきたんだという。


「久しぶりに戻ってきたんだけど、色々変わってて驚いたわ。さんさんマートは潰れているし、喜楽きらくは大きくなってるし」


 さんさんマートは地元ではお馴染みのスーパーマーケットで、県内の至る所にある。ただ西牧村では月の落下云々は関係なく経営悪化で閉店してしまった。


 喜楽は小さなお弁当屋さんで、昔から美味しいと地元では親しまれていた。


 その甲斐あってか去年の初めにリニューアルオープンして大きな店構えになったんだけれど、今も営業しているかは謎だ。


「それにしても、ほのかちゃんも穂高くんも月高だなんて頭いいのねー」


 お互いに自己紹介を終えてみると、理恵さんは気さくな人で私たちはすぐに打ち解けた。


 地元の話題に花を咲かせながら私と理恵さんが横に並び、穂高は一歩うしろを歩く。


『月城高校に通っている=頭がいい』という図式は県内では世代共通の認識らしい。


 この決まりきった台詞に私はいつもどう答えればいいのか悩んでしまう。


「で、ふたりは付き合ってるの?」


 ところが、こちらの答えを待たずして続けて理恵さんから投げかけられた問いは、私の思考回路を迷走させた。


「え、ええ!?」


 気が動転している私をよそに、理恵さんはにんまりと口の端を上げる。


「さっきも私が声をかけるまでいい雰囲気だったし。お邪魔してごめんなさいね」


「そ、そんなんじゃないです。私たちは、その」


 どんな体勢だったか思い出し頬が熱くなる。とはいえ、ここは穂高のためにもちゃんと違うって言っておかないと。

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