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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
カリストーの秘密―おおぐま座―
12/36

1

 歩幅的にどうしても彼が私の手を引く形になる。それでも私に合わせてくれているんだろうな、というのが伝わってきた。


 影がないので視界は開けている。ずっと遠くまで見渡せそうで目を凝らしてみたけれど景色はあまり変わりそうにない。


 冷夏で、かつ雲が太陽を遮っているとはいえ七月の気候は歩いているだけで体力を消耗していく。


「ねぇ!」


 不意に、別の方向からやや高めの声が飛んできた。


 のろのろと首を動かし声の主を探せば、道路を挟んだ反対側から小学校中学年くらいの少年が切羽詰まった表情をこちらに向けている。


 律儀に左右を確認し、彼は迷わず私たちのところに駆け寄ってきた。ボーダーのTシャツに短パンとまさしく少年といった格好で、ひょろりとした手足はいい感じに日に焼けている。


 麦わら帽子と虫取り網を持っていれば完璧だ。けれど今はそういった事態ではないみたい。


「猫、見なかった? 茶色いぶちですごく体が大きいの」


 なんの前振りもなく彼は質問してきた。私と穂高は思わず顔を見合わせる。


「見て、ないな」


「そうだね。猫は見てないと思う」


 私たちの回答に少年があからさまに落胆の色を顔に浮かべ肩を落とす。


「やっぱ食べられちゃったのかな」


 冗談でもなく彼は本気だった。『そんなわけないよ』と反射的に言ようとしてやめる。


 ここらへんではわからないけれど、食料供給が追いつかずリアルに今は犬猫さえ食べられてしまう時代だ。


「きみ、おうちこの辺?」


 励ましや慰めの言葉がかけられず、今度は私から聞いてみる。彼は大きく頷いた。


「うん。じいちゃんが店をしてるんだ」


「お父さんとお母さんは?」


「いないよ」


 私は一瞬、反応に困る。答えた彼は私とは対照的にあっけらかんとしていた。


「今の俺の家族はじいちゃんとミケなんだ」


「そっか。俺たちも気にかけとくよ。ミケ、見つかったらいいな」


 優しく答えたのは穂高だった。少年は笑顔になる。


「俺んち、『谷口商店(たにぐちしょうてん)』ってとこだから、品数少ないけどよかったら寄ってよ。じいちゃんも喜ぶだろうし。じゃあ俺、猫を探すから!」


 再び道路を渡り、民家側の細い道に入っていく少年を私たちは見送った。元気いっぱいのように見えて、彼なりに背負うものはきっと色々あるんだろう。


「家族がいなくなったら探すのは当然だよね」


「ほのかの家族は?」


 突然の質問に目を瞬かせると穂高は困ったように笑った。


「俺は出かけてくるって伝えたけど、ほのかは大丈夫? こんな状況だし、ちゃんと連絡しておかないと……」


「うちは平気」


 彼の心配を払拭するように明るめの声で私は答えた。そして自分から足を進めだし、先を促す。


「お父さんは警察官で忙しいの。ここらへん一帯を担当しているみたいで、それこそこのご時世、治安も不安定なのに人手も足りないし、いつも忙しくていつ帰ってきているのかもわからないくらいだし」


 彼の顔を見ないまま一方的にまくし立てる。波の音、そして蝉の声がやっぱり煩い。太陽がまた顔を覗かせ、地面を明るく照らしだす。


「お母さんは? それにほのか、妹がいるって言ってなかったか?」


「……ふたりとも、もういない」


 予想通りの沈黙がふたりを包む。もしかして穂高は今、さっき少年に質問して答えが返ってきたときの私と同じような気持ちになったのかな。だとしたら申し訳ない。


 でもフォローの言葉も浮かばず黙々と足を動かす。そうやって彼よりも先に歩いていた気がするのに、いつのまにか地面に映る私たちの影は並んでいた。


 そして彼の影が動いたのを見て私は顔を動かす。穂高と目が合ったときには、すでに彼の手が頭に触れられていた。


 麦わら帽子越しだから直接じゃない。けれど彼の大きな手のひらの感触が伝わってくる。


 この接触がどういう意味なのか理解できない。同情しているのか、彼なりの慰めなのか。


「俺は、今こうしてほのかと一緒にいられてよかった。ここにほのかがいて」


 どんな言葉を投げかけられても上手く返そうと思っていた。なのに、これは不意打ちだ。彼の落ち着いた声は、目の奥を熱くさせる。無意識に繋いでいた手に力が入った。


 汗ばむのとかもう気にならない。穂高は改めて握り直してくれた。


 私はまだここにいてもいいのかな? 世界が終わるそのときまで。


「少し休もうか」


 穂高の家を出て一時間以上になる頃に、彼から提案してきた。


 さすがに疲れを感じていた私は小さく同意する。ここまで歩いたのは久しぶりで、普段部屋に引きこもりがちの私としては、情けないけれど足が棒みたい。


 今日より明日の方がよっぽど痛むだろうな、と予想するとわずかに憂鬱な気持ちになる。それでもいいか。明日が無事に訪れればの話なんだから。


 日陰に入ったおかげで体感温度は下がった。どちらからともなく手を離し、屋根のあるバス停のベンチにふたり並んで腰掛ける。


 プラスチックの青いベンチは色褪せてあちこち汚れているし、座る必要がないなら遠慮したいところだ。でも今はそうも言ってられない。本当に疲れた。


 ごみの収集もないから、道路にもここにも多くのごみが散乱していた。見慣れた風景が荒れていくのを見るのはなんとも言えない。


 手だけじゃない、じんわりと体全体が熱い。熱が発散できず、中にこもっているような感じだ。


「大丈夫か?」


「うん。普段まったく運動しないから」


 眉尻を下げて私は答えた。彼の家でもらった飲みかけのペットボトルを鞄から取り出し、蓋を開ける。


 すっかりぬるくなっていたけれど、火照った内臓には冷たく感じた。のどを潤し胃に届く。ほっと一息ついて目を閉じた。


 体力が落ちているのは運動不足のせいだけじゃない。今は慢性的に食料不足に陥っているのもある。生産や流通などが滞って、豊食と言われていた頃が嘘みたい。


 一部の権力者や裕福層が買い占めている、なんて噂もあるけれど少なくとも近くのスーパーは閉店が相次ぎ、お父さん経由でもらってくる食材などで我が家はなんとか食いつないでいる。


 今日の私のお昼は少しのご飯、おかずは熟れたきゅうりを炒めて塩こんぶをかけて味付けしたものだ。


 一応、お父さんの分もいつも残しておく。満足な食事などほとんどできず栄養も偏る。そうなると極力エネルギーを使わない生き方をするしかない。


 金銭トラブルで揉めるよりジュース一本で命がけのケンカが起こる確率の方がよっぽど高いのが現状だ。


「つらかったら言えよ。無理しても意味がない」


 私はゆるゆると目を開け、左に座る彼に視線を送った。


「大丈夫。穂高こそ無理しないでね」


「無理?」


「うん。なんだか顔色がよくない」


 屋根下の影にいるという要因もあるのだろう。それを差し引いても彼の顔色は青白く見えた。なんだか息も荒い気がする。


 もしかして私よりも彼の方がよっぽど――

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