001‐⑥ ニューヨーカー
初体験についての短編集。
『私』は、引っ越してきたばかりの町で
初めての銭湯への向かいます。
浴場にいる人たちを、ちょこっと観察。
『私』の『初体験』を、
あなたと半分こ。
洗い場へ戻ると、1席空けて隣では、三週間前トマト老女が
引き続き手拭いで身体を手入れしていた。
さっきは、耳、耳の裏、顎、顎の軒下、腕、、上半身シリーズだったのが、
いまは足の指に取り掛かっているようだ。
足の指、一本一本を、角度を変えながら、
少しずつ少しずつ手拭いを濡らし濡らし、
磨く。
キュッキュッキュ。
音が出ていたなら浴場の天井まで響き、音同士で反響しそうだ。(もちろん音なんかしない。)
トマトさんと目が合う。
明らかに新参者、物珍しそうに銭湯を観察する私に、彼女はふわりと微笑む。
そして右の足指にとりかかり始めた。
私は充分に髪を濡らし、シャンプーを泡立て、髪を洗い始める。
トマトさんにつられて、頭皮を揉むリズムは自宅でのそれとは比較できないくらい、
ゆっくり、念入りになった。
私は住み始めたアパートの風呂にまだ馴染んでいなかった。
シャワーヘッドの高さ、
新品の座椅子の感触、
安い床素材、
換気扇の音、
浴室に響くシャワーの音、
室内でこだましない自分の声。
慣れない、というのは感動を伴うときは刺激になる、
慣れない、というのは感動を伴わないときは不快さを帯びる、
のかもしれない。
不快さは、私の浴室での所作を、
焦って、荒くさせた。
ワシャワシャ。
ならマダマシで、
ガシガシ。
になると
シフトの終わりをイライラ待ってるガソスタのスタッフみたいな手つき。
車体への愛はわずかしかないだろう。
不快だと、なにごとに対しても、
急かされるように、焦りながら過ごして、
何もかも「やらされている」、
感覚が、乱雑になる。
ここは初めて来た銭湯なのに、
銭湯、という場所には普遍性があるんだろうか、
大衆を受け入れる寛容性を内含した場所だからなのか、
トマトさんのふわり笑顔にほだされたのか、
私の頭皮を洗う五指は、
一音、一音、鍵盤を確認するピアニストみたいに、
慎重で丁寧になった。
頭皮に触れる指の角度、
どの程度の圧をかけるのか、
ワンストロークでどの範囲まで揉み刺激するのか、
泡の感触、髪と指の摩擦感。
どれもが自分の調整可能な事柄だった。
普段気づかないシャンプーの香りにまで気づく。
洗う、という行為のはずが、
磨く、という儀式になった。
私はトリートメントまで終え、櫛で髪を梳くと
なんとなくトマトさんの方をみた。
ひきつづき、どうぞ。