001-④ ニューヨーカー(入浴家)
初体験についての短編集。
『私』は、引っ越してきたばかりの町で
初めての銭湯への向かいます。
脱衣場から、浴場へ。
『私』の『初体験』を、
あなたと半分こ。
壁面に雄大な富士山!は描かれていなかったが、
土色のタイルが波状の模様を立体的に描いていた。
高い天井は白と水色に塗られていた。
雲と青空。
有機的な壁面の赤茶けたアースカラーと浴槽のライトブルーとタイルに気押されたのか、
本来は無機質な金属の手すりが、浴場のいたるところで迷子になっていた。
洗い場からお客が立ち上がる時の金属の手すり、
ピカピカのシャワーヘッド、
浴槽への出入りをサポートする金属柱。
これらの無機質アイテムたちは、肉体と湯気放つお湯との境界線を担っているように位置しているが、
どうも、迷いがあるように見えた。
金属たちが囁く。
(一体化してしまいそう。)
裸体を主体とする風景とワタシタチは同化して、
境界線として無条件に設置された目的を失ってしまいそう。
湯気と人によって膨張させられたタイルたちが、風景を飲み込んでいるのか。
裸婦たちの存在感のせいか。
私のほかには、60歳~80歳台くらいの女性が7人ほど浴場にいた。
60~80の20年のレンジだとはわかるけど、誰が何歳くらいか見分けがつかない。
10~30歳なら一目でわかるのに。
区別のつくものなんて、きっと身近な使い慣れたものだけなのかもしれない。
黄色いケロヨンの洗面器と座椅子をもって、
空いている洗い場に陣取る。
シャワー1席空けて隣は、三週間前のトマトのような老女が手拭いで身体を丁寧に拭う。
しぼんだ小柄な背中。
やや熱めのシャワーで体を洗い始める。
呼吸が深くなっていく自分に気づく。
完全無防備な状態なのに、誰にも攻撃されない安全安堵が、浴場に漂う。
安全って、
そんなのあたりまえかもしれないけれど、
慣れない土地に移った私には当たり前じゃない、
警戒を解ける場所に、感激を覚える。
肩の力が抜けていく。
肩なんてそもそも存在しない、体の重さなんてこの世にない。
突き抜けた極論を彷彿させるくらいの、解放感。
浴場内で深呼吸すると、その外では何が起こっているのか、
冷めた視点で、ぽわんと浮かんできた。
あるべき姿をできるだけ守ろうとする、マナーを知る人たちと、
できるだけ何も守らずにルールなんざ知らねえと、迷惑を生業にする層が、
浴場の外の世界では押し蔵まんじゅうしている。
押されて泣くな。
熱めのお湯が、気付け薬のような、ここは大丈夫の合図のように感じられた。
体を洗って、一番広く枠組まれた湯に入る。
ふわあ、
大きく、息が漏れた。
お久しぶりです。
私は、お盆休みとやらを、心底、待ちわびておりました。
ミレット投稿、再開です。
そんな、拍手なんていいですってば。