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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

企画もの

優しい嘘

作者: 鶯埜 餡

残酷な表現あります(いじめ、自殺未遂関連)。苦手な方はブラウザバックお願いします。

 12月のある日、Y市内葬儀会館―――――

 受付で仁科優菜はひっきりなしに来る弔問客の相手をしていた。

 地元に帰って来たのは14年ぶりだが、あまり懐かしい思い出はない。むしろこの儀式が終わったら一刻も早く今の住居へ戻りたい。そう思いながら接客しているせいか、ここにきている人の半分くらいは知り合いなのだが、不思議と初めて会う人のように思えた。

 すでに葬儀が始まる寸前ということもあり、来客のピークは過ぎていたが、故人の仕事柄、まだまだ客足は途絶えなかった。

 一息つこうと後ろにおいてあったペットボトルのお茶を素早く飲んだ時、声を掛けられた。

「―――――――お前、優菜だったのか。てっきり式場のスタッフかと思った」

 そのフォーマルスーツを着た男は優菜を見てはっきりといった。お茶を素早く飲み干し、声かけられた方を見た優菜は驚いた。

「あんたは――――――」

 その男は昔とほとんど変わらないそのいでたちをしており、優菜はそんな姿に少しだけ懐かしんだが、すぐさま冷ややかなまなざしに切り替えた。

(もう、騙されたくない)

 優菜は無意識に右手を握りしめた。それに気づいたのか、彼は苦い表情になった。

(なんで、何で今更そんな表情するの?あの時は、こっちを見向きもしてくれなかったのに―――――――)

 そんな感情が優菜から溢れ出そうだった。

 ここが優菜の祖母・楓のお通夜という儀式の最中でなければ確実に、彼を罵っていただろう。それくらい、優菜には彼に対する憎しみがあった。







 なぜ優菜が彼―――佐々木康太を憎むようになったのか。原因は14年前にあった。


 二人が出会ったきっかけは通っていた小学校、染井小学校の校舎――――ではなく、楓の開く小さな学習塾(といえる規模でもないが)だった。

 そもそも康太は楓に偶然、町内の集まりで声を掛けられたらしく、その時から楓の学習塾に通っていた。彼は人懐っこい性格であり、周囲の子供たちをまとめる役割を引き受けることが多く、通う春上小学校でも小学校高学年の時には、彼は集団登校の班長や児童会長などを自然と務めていた。

 一方、優菜は自他ともに認める地味女子であり、学級の女の子たちが流行りの化粧(!)や雑誌、アイドルの話に興じる中、優菜だけはひたすら本を読んでいた。もちろん、友達と呼べる存在もいたのだが、一人でいる時間の方が好きだった彼女はたいがいその時間を勉強や読書に充てていた。そのためなのか、成績はすこぶる良く、小学生ながら楓の学習塾でも彼女のアシスタントとして子供たちに勉強を教えていたこともあった。


 対照的な二人は楓の塾を通じて付き合いができ、家族ぐるみでもお付き合いが始まった。しかし、小学校を卒業するころにほぼ疎遠になっていた。

 そして、二人は小学校を卒業、地元の八重中学校へ入学した。

 八重中学校には優菜たちの小学校だけでなく、ほかに2つの小学校の児童がほとんど進学する学校であり、そのうちの一つの四季小学校は、言い方は悪くなるが、ガラの悪さ(・・・・・)が地元ではダントツに悪い小学校の児童が通ってくる、ということもあって、入学式では中学校の先生たちの間から別の意味での緊張感が駄々洩れていた。


 無事に入学した優菜だったが、小学校の時以上に周りの女子たちとなじむことができず、常に一人でいるようになった。そして、それまで以上に勉学や読書に励むようになった。

 しかし、それが間違っていたみたいだった。

 入学して最初の試験はそんなに難しくなかったので、満点取れてもたいして旨味(・・)がなく、優菜も目立ちたくないという一心から、ある程度手を抜いていた。しかし、二学期末の試験ですべての教科担任団は何をとち狂ったのか、全科目100点満点の中、学年平均が20点台前半という難しい試験問題を作り出した。そんな高難易度の問題たちを意識せずにあっさりと解いて見せたのが優菜であった。

 それだけならば、まだましだった。

 彼女のすべての科目の平均点は90点。学年平均20点台の世界でごく当たり前のように学年トップとして存在したのだが、その次点になったのは件の四季小学校出身の男子だった。彼は小学校ではそこそこ成績が良く、常に自分が一番にならないと気が済まなかったという。中学校に入ってからも変わっていないようで、見た目もかなりいいことから、彼の周囲の生徒(出身小学校・性別問わず)も彼を持ち上げようとして躍起になっていた。そんな彼を中心とした集団に先生たちも周りの大人たちも手を焼いていたという。


 そんな彼が二番手で、優菜が首席。

 全ての答案がそろった時、無意識とはいえやりすぎてしまったという思いが優菜の中にはあった。

 案の定、優菜の懸念は当たった。

 答案がすべて返却された翌日、嫌な予感を感じながらも登校すると、下駄箱の上靴は切り裂かれており、そして、優菜の机は汚されていた。しょうがないので保健室に行ったが、前日までほとんど利用者がいなかったそこも彼らのたまり場になっており、途方に暮れた。職員室に行って担任にも相談したが、何を彼らから吹き込まれたのか、優菜が悪いように言われたので耐えるしかなかった。その後も嫌がらせは続き、ある時は体操服を隠され、見つかった時にはすでに着られる状態ではなくされたり、彼女が大切にしていた本のカバーを一瞬、トイレに行った隙を狙って、ペンキで汚されていたりしていた。

 そんな中、優菜の幼馴染の康太はただ黙ってみていた。いじめにも積極的にかかわらなかったが、優菜がいじめられているところを見ているはずなのに、それを止めてくれなかった。祖母を通じて彼に相談したこともあり、その時には『今度見つけたら止めてやるよ』と言ってくれたが、結局何も変わらなかった。

 そういったことが数週間、続き、最終的に優菜は体調を崩し、自殺未遂まで起こした。当然、その間には両親ともに中学校の校長以下教員に掛け合った。だが、取り付く島もない様な状況だった。結局、両親は優菜を県外の父方祖父母の家に避難させた。

 その後、その近くにある私立中学および高校に編入、大学は別の都市にある国立大学文学部に進学、現在は編入した中学高校の所在地から近い銀行の営業職に就いている優菜は、昔から変わらず、染めたことのない黒髪を伸ばし、一つでまとめているだけのシンプルな格好だったが、あの時と比べて周りとなじめる環境になっており、友達もでき、和気藹々と仕事をしていた。


「お疲れ様、優菜ちゃん」

 通夜が終わり、葬儀会館での寝ずの番は母親の妹とその旦那さんが引き受けてくれることになったので、母親と優菜は一時帰宅した。車から降りるときにそう母親から声を掛けられた優菜は、私は何もしていないよ、と返し、

「お母さんこそお疲れ様」

 と、反対に母親を労った。本来ならば喪主は一家の大黒柱である父親だが、衛星電話もつながらないような場所に出張時に楓が交通事故で亡くなったので、母親の百合が喪主として動いていたのだ。

 ちなみに、この葬儀は元の学校の近くで行われており、最初は帰るのをためらったが、さすがに大切な祖母だったので通夜と葬儀の間だけと決めて、一泊二日の予定で戻ることを決めた。

「ありがとう」

 娘からの労いに帰した百合は郵便ポストの中をのぞいて驚き、優菜を呼び止めた。

「まあ、優菜ちゃんあてに何か手紙が来ているよ」

 その言葉に彼女も百合以上に驚いた。すでに住民票は移してあるので、郵便がこちらに届くはずないのだ。

 母親から借りたカギを使って家の鍵を開けているところだった優菜は、驚いてその鍵を落としてしまった。慌ててその鍵を拾い百合の元へ行くと、白い封筒を差し出された。

 そこには差出人の名前も住所もない、ただ『仁科優菜さんへ』とだけ書かれていた。そんな不審な手紙を、子供じゃない優菜はすぐに捨ててしまうこともできたが、手書きで書かれたその文字に捨ててはいけない、という引き留める力を感じたので、仕方なく家に持って入って読むことにした。



 優菜の部屋はそのまま残されていた。あまりベッドにはいい思い出がないが、そこに腰かけて封筒を改めてみた。おそらく字の雰囲気から康太だろうと思いながら、封を開けた。

 封筒の中には便せんが数枚入っていて、やはり差出人は先ほど会ったはずの康太からだった。かなりびっしりと書かれているが、どうやら葬儀に参列後にこの手紙を書いてくれたみたいだ。



『前略

 楓さんのこと改めてお悔やみ申し上げます。まだお元気そうだったのに、突然のことでとても残念です。さぞかし百合さんや優菜さんも悔しい思いだったことでしょう。


 本題に入りますが、まず、先ほどは葬儀場であんな発言をして申し訳なかったです。あの時と優菜さんの姿が、いや、雰囲気がとても変わっていて、俺は驚きました。これを書きながら、あいつらが今の優菜さんのことを見たらどんなことを言うのか少し想像してしまいました。でも、今の姿もあいつらに見せるのはダメかな。

 まあ、そんな話は置いておいて、優菜さん、俺は謝らなければならないことがあります。

 今だからはっきり言えることなんだけれど、優菜さんのことは小学校の時、頭が良すぎて大嫌いだった。嫌いだと感じていた。楓さんの学習塾でも小学生のくせして同年代の俺たちに教えるのを手伝っていた、という事実が受け入れられなかった、ただの嫉妬で、それは自分自身がもう少し勉強して、良い成績を取れば優菜さんのことを理解できたんだと思う。でも、その当時は違った。だから中学校でのいじめの時、優菜さんからそして、楓さんから相談を受けていたのにもかかわらず、見て見ぬふりをした。優菜さんのことを嫌いだと心の中で勘違いしていたから、助けるつもりはなかったのかもしれない。

 でも、それは甘かった。優菜さんが転校した直後、県の教育委員会に勤めていた母親にこっぴどく叱られた。少し前に楓さんから相談受けていたんだろうってね。優菜さんが自殺未遂まで起こしたから、楓さんもショックで寝込んじゃっているって聞いたんだ。俺は図星だったからいてもたってもいられなくなったけれど、もう県外へ転校したときにお前との縁は切れたんだ、と突き付けられたおかげで目が覚めた。もっと勉強して、もっと世間の事学んで、優菜さんに近づこうって。だから、いまだからこそ言える。あの時、助けてあげられなくてごめんって。

 別に俺を許してもらわなくても結構です。それだけ俺が優菜さんにしたことはひどいかったと自覚があるので、嫌われても当然です。ですが、もし、万が一(今、ここに、隕石が落下するくらいの確率でも構いません)、優菜さんがいいよ、と言ってくれるのなら、一度だけで、5分だけで構いません。会ってもらえませんか。もし、会ってもらえるようでしたら、明日の葬儀後、16時に楓さんの学習塾で待っています。

草々』



 優菜は康太からの手紙を読んで笑ってしまった。いつだって学習塾でもどこでも康太は明るく構ってくれていたから、自分のことを嫌いじゃない、と勝手に思い込んでいただけだったのか。

 寂しかったが、その手紙は康太の行動を裏付けるものだった。

「そっか、そうなんだ。ごめん、いけない。もう誰にも会いたくないんだ」

 そう呟き、手紙をしまった。

 遅くなってしまったが、のろのろと立ち上がりフォーマルから私服へと着替えた後、百合の元へ向かった。百合は怒ることなく優菜を待っていた。

「お手紙じっくり読めた?」

 百合はすでに着替えており、夕食の準備をしてくれていたのだろう。出来合い弁当だったが、湯気が立っており、見た目からも美味しそうな気がした。

「うん。康太からだった」

 康太の名前を出すと、百合はあら、と驚いていた。いただきます、と二人そろって言って、食事を始めた。

「そっかぁ、康太君ねぇ」

 百合はしみじみ呟いた。何か苦しい思い出、もしくはつらい記憶があるのか、目を閉じた。

「どうしたの?」

 優菜は尋ねると、百合は独り言のように言った。

「優菜が愛華お義姉さん家に行った後、今度は康太君が同じ相手からいじめにあったの」

 最初の百合の発言で優菜は食べている手を止めざるを得なかった。どういうこと?と乾いた声で尋ねた。

「小学校の時から児童会長してたし、人気もあったじゃない。なんでそんな彼がいじめの被害に?」

 優菜の問いかけに百合は微笑み、話し始めた。


「今から言う話は優菜は何も悪くない。それを念頭にして聞いてね。

 全てがあとで分かったことなんだけれど、康太君はね、小学校の時に英会話クラブに通っていたんだ。ここに偶々四季小学校の同学年の女の子が通っていたみたいで、康太君に恋しちゃったみたいなんだ。で、中学校で一緒になったでしょ?女の子は『運命だ』なんていって康太に付きまとったらしいの。でも、康太君はその女の子を相手にしなかったの。それが癪に障ったのか、女の子は同じ四季小出身のあの男たちに声を掛けて、康太君を力で叩きのめしたらしいの。運動はさっぱりな彼だから、コテンパンにやられちゃったみたいで、それ以来、奴らの奴隷扱いみたいにされちゃったらしいのよね。で、優菜の事件、本当は奴らにいろいろ物申したかったらしいんだけれど、そんな状況だったから、言えなかったみたいで。優菜やお母さんとの約束を守れないって、お母さんに必死に謝っている姿がかわいそうだったのよ。

 そんなこんなで優菜が転校した後、今度はあの子がターゲットにされたのよ。どうやらお母さんの学習塾のことがばれて。しかも、うちとの家族ぐるみで遊んでいたころの写真を康太君、大切に持っていたみたいで、それに気付いたガキどもが優菜にしたことを康太君にしたの。康太君、それを優菜のことがあったせいか、誰にも言っていなかったの。でも、あまりに耐え切れなかったのか、彼も学校で自殺未遂を起こしかけたの。偶々、教育委員会の方が八重中学に来ていた日だったからよかったものの、あと一歩遅ければ、というところだったのよ。ようやく、それで康太君と優菜の教員ぐるみのいじめのことが明らかになったの。教育委員会の方と校長さんが何度も謝罪に来たけれど、優菜のことはそっとしておいてくれって私が言って、優菜にはあえて会わせなかったの」

 あいつら本人やそのクソ親は謝罪にすら来ないわねと、おっとりとした性格ながらも、苛烈な言葉も吐く母親の告白に優菜は呆然としたが、それが事実なのだろう。すると、手紙の内容はどうなるのだろう、と思い、それを持ってきて見せながら尋ねると、少し百合は悩んだが、

「多分、優菜に気を使ったんじゃないかしら。彼は今でも時々、お母さんの所へ来て優菜の話をしていたのよ」

 と言った。え?と、聞き返すと、百合は、

「男ってカッコ悪いところをほれている女には見せたくないのよ」

 と笑いながら言った。

「優菜の気持ちを尊重するけれど、康太君に一度会ってあげてもいいかもしれないわね」

 百合は優しく微笑んだ。優菜は母親の掌の上で遊ばれているようだったが、うん、と頷いた。

 康太に会いに行こう、優菜はそう決意した。




 翌日、葬儀も終わり、縁戚一同の会食を済ませ、ようやく解放されたのは、康太との約束の20分前だった。本当は父親とも会っておくべきだが、明日からは仕事で今日中には自宅へ戻らねばならないので、必要なものをカバンに詰めていると、残り5分しかなかった。

 慌てて鞄を持ち、祖母の学習塾へ向かった(といっても、歩いて1分なのだが)。

 学習塾についた時、すでに康太は来ていた。小学生のころ、よく日向ぼっこしていた縁側に彼は座っていた。彼は昔と違って、薄い茶色に髪を染めており、ひょろひょろだった体格に少し筋肉がついたようだった。優菜が来ないと思っていたのか、少し寂しそうな雰囲気を醸し出していた。

「ごめん、遅くなった」

 優菜が声を掛けると、上げた顔で幻を聞いたような感じで辺りを見回し、優菜の姿を見つけると康太は破顔した。ううん、と言ったその声はあのころよりも低く、気持ちよかった。

「手紙なんだけれど―――――」

 最初は、どちらから話し出すべきか分からず、少し沈黙が続いたが、優菜から切り出した。「まずは、ありがとう」

 優菜の言葉に、気にしないで、という康太。

「でもさ、なんで嘘を書いたの」

「うっ――――――それは」

 『嘘』という単語に明らかに挙動不審になる康太。優菜は辛抱強く待つ。

「それは、あの時、いくら『個人的な理由』とはいえ、優菜さんの助けを求める声を無視したことが申し訳なかったし、優菜さんを助ける力がない自分自身が情けなかったからだ。そう言っておいた方が優菜さんにとっても今後、一切心配させなくて済むと思ってな」

 康太の告白に優菜はため息をついた。

 それから、康太はいろいろなことを話した。百合の証言の信ぴょう性は高いものの、いざ彼本人から聞くと迫力が違う。

 聞き終わった後、彼の左手に恐る恐る触れた。彼の左手首には今も消えない傷がある。

 康太は優菜の行動に驚いたが、手を振り払わなかった。

「私だけ逃げてごめん」

 優菜の謝罪に康太は首を横に振った。彼は空いている手で優菜の左頬を撫でた。優菜も逃げなかった。

「少なくとも俺は、優菜さんが逃げたなんて思っていない」

 二人の視線が合った。康太は無条件で微笑み、少しこわばっていた優菜の表情もほぐれた。


 冬の夕暮れは早い。

 17時に近くなると、辺りはすでに真っ暗だった。

 優菜の電車の時間が迫っており、康太は駅まで優菜を送っていってくれることになり、そこまで歩きながらあの事件以降のことを話すことにした。

 どうやら康太もその事件の時に転校したようだが、優菜とは異なり親戚がすべて県内にいる彼は県外への転校は難しく、県内の山奥にある全寮制の高校に通ったそうだ。そして、県外の私立大学理学部に行き、今は大学院で修士課程を学んでいるようだった。

 一方、あの事件の首謀した生徒(件のプライドだけ高い男を含む3人の男子生徒)は康太の事件をきっかけに全員、まとめて少年院送りにされたという(本来だったら、義務教育なので長期間の停学ぐらいが妥当とされるが、彼らは悪質であり、二人ほど自殺未遂させているのでさすがに、恐喝罪・暴行罪・器物損壊罪で立件されたそうだ)。ちなみに、康太に言い寄ってきた女の子―――――井田彩名というらしいが――――は、彼女自身に罪は求められなかったものの、周囲から相当な白い目で見られたらしく、彼女の一家ともども引っ越し、転校していった。そして、加害者側の意見しか聞かないで、優菜や康太を悪し様に言った教員たちもさすがに公務員といえどもクビを切られたという。


 それくらい、大きな事件だったのだ。

「でも、康太のお母様は大丈夫だったの?」

 優菜の質問に優菜さんは心配してくれてありがとう、と康太は微笑み、答えた。

 康太を叱った件については本当だったらしい。県の教育委員会の職員だったお母様だが、ありがたいことに事件の影響はほとんどなかったようだ。そして、いまでも職員としてバリバリ働いているという。そのことに優菜はホッとした。

 その後、二人は事件(過去)の事ではなく、今のことを話し合った。


 やがて駅に到着し、別れの時間になった。

 駅舎は無機質の白い建物で、よりひんやりとした空気が存在した。特に大きな駅ではないここの駅であり、数少ない本数の電車が到着していない時間らしく、人はまばらだった。

「今日はありがとう」

 改札口の近くで康太は優菜に荷物を渡しながら言った。優菜はこちらこそありがとう、と言いながら荷物を受け取った。

「ねえ、康太」

「ん、なんだ?」

 優菜の問いかけに康太はどうした?と優菜の方を見る。そこには何かに迷っている優菜の顔があった。

「私の自惚れだったらごめん、拒否してくれて構わないんだけれど」

 突然の優菜の言葉に康太は言葉をなくす。まだ、康太から目をそらす優菜からは、一歩引かれている感覚があったからだ。

「どうした?」

 康太の問いかけに優菜は再び迷うそぶりを見せたが、結局、問いかけた。


「――――――――――もし、よければ、私のことを優菜って呼んでほしいな、昔みたいに。あ、あと、時々連絡してもいい?」


 優菜の問いかけに最初は驚いた康太だったが、柔らかく微笑み、もちろんだよ、優菜、というと、優菜もほっとした表情になった。

 やがて、電車が来るアナウンスが入り、今度こそ二人は別れた。


 帰郷したのも悪くなかったなと思いながら、ホームに降りて入ってくる電車を眺めていた時、優菜は気づいてしまった。康太と連絡先を交換していないことを。

(どうしよう、私の馬鹿!)

 だが、もう電車のスピードは落ちていて、まもなく開く。この電車を逃すと乗り継ぎに間に合わなくなり、明日の仕事に影響する。仕方がないので、あとで自宅についた後、母親に聞いてもらうために連絡しようと決めて目を閉じた。



 十四年前、自分の転機ともいえる事件が起こった。その時自分がとった行動は間違っていなかったと思う。だが、唯一、康太を信じなかったことは悔やんだ。それがなければ、私も康太も―――――。


 今更悔やんでも悔やみきれない思いを抱きながらも、心のどこかで、こうして再び人生が交差したことに安堵している自分もいた。



 乗り換えの駅につき、別の電車に乗り換えても同じことを考えていた。

 家から最寄りの駅につき、徒歩五分の自宅までは人通りは少ないが、明るい街路灯の下を歩いた。

 誰もいない部屋に入り、支度を済ませ、鞄を片付けようとしたら、サイドポケットから一枚のメッセージカードが出てきた。


『仁科優菜さんへ

 これを見ているときには、おそらくあなたは自宅についているでしょう。そして、俺は優菜さんに連絡先を教えていないときでしょう。そう思ったので、裏に書いておきましたので、良ければ連絡してもらえると嬉しいです

                    佐々木康太』


 座布団一枚とられた、と感じた。

 康太は気が利くのをすっかり忘れていた。

 だから、人気者だということも忘れていた。


「ありがとう、康太」

 優菜は呟くと裏面を見ながら、スマホを取り出し、康太に電話を掛けた。

『もしもし』

 彼はすぐに出てくれた。彼のスマホにも優菜の電話番号は登録されていないはずなのに、自分からの電話だと思ってくれていたのだろうか。

「康太、ありがとう」

 すでに優菜は泣きそうで言葉がうまく出てこなかった。

『気にしないで。賭けだったから』

 康太も言葉が少なかった。どちらも何も言えず、ただ沈黙する時間が流れていく。

『――――――――――なあ、そっちは晴れている?』

 康太がやっと言葉を絞りだした。優菜は首をかしげながらも、晴れているよ?と答えた。

『じゃあさ、そっちの窓から月は見える?』

 康太の質問に優菜は再び首を傾げた。どういうことだろう、と思いつつも窓辺に行き、うん、見えているよ、と答えた。



『そう、それは良かったよ――――――――今日の月は一段と綺麗だね』



 数秒遅れて聞こえた康太の言葉に、優菜は一瞬戸惑った。

「――――――ええっと、それって」

 優菜の戸惑いが伝わったのか、康太も今頃になって慌てている。

『――――――ああっ。もう俺って恥ずかしいな』

 彼の笑い声が聞こえてきた。

『嫌いって思われていたのは、仕方ないけれど、会って、きちんと話せたから、もう許されたもんだと勝手に思っちゃったんだよね。しかも、まだ、会ってから数時間もたっていないのに、好きだっていうのは、烏滸がましいよね。ごめん、今のは忘れて』

 康太の焦りに今度は優菜がクスリと笑った。

「―――――――ううん。全然気にしてない。というか、私も康太のことが好きです」

 だから、優菜はあの時、康太のことが憎く思えてしまったのだ。

 どうして私の気持ちが伝わらないの、どうして私のために動いてくれないの、と。

『え、優菜、ちゃんと考えてね?俺はいつでも待っているから』

 優菜の返答に、最初に切り出した康太の方が焦っていた。それを柔らかく否定する優菜。


「ううん、考えるまでもない。私はずっと康太の側にいたい。いさせてもらえませんか?」

読了ありがとうございました。


長くて申し訳ありません。ただ、分けると中途半端になってしまうので、短編にさせていただきました。

秋月先生主催『夜語り企画』の一本として書かせていただきました。

テーマは『夜と月』。

月は最後にしか出せなかったので、もう少し月成分出したかったな、という後悔が…グヌヌ。

そして、評価は気にしない、うん。


モデルとなった家やら駅やらあり、一部の場面には元ネタ(実話)が存在します。

そう、一つはお葬式で康太が優菜に話しかけるシーンです(キリッ)。まあ、相手身内のおば様だったんですけれどね…(遠い目)


そして、作者にしては珍しく、現代もの(書くと厨二病発症するのでかけないのである)かつ、最後は『読者の皆様にご想像願います』エンドです(希望があれば、後日談短編くらいは用意できます、多分)。


ということで、あとがき終了です。

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― 新着の感想 ―
[一言] いい話でした。 苛められる場面は四面楚歌の状況に、優菜のことを思って、胸が苦しくなりました。 私自身がこういう作品を書けないので、現実問題をちゃんと書ける方はすごいと思ってしまいます。 康太…
[一言] 企画からお邪魔しました。 物語に入り込むタイプなので、胸をキリキリさせながら読みました(しかも半泣きでした)。 環境って不思議ですよね。 ほんの少しずらすだけで、大きく変わることがありま…
[一言] 読了感がいい、すがすがしいヒューマンドラマでした。
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